【1分でわかる】「よそ者」から取る通行料が国の財源に? 古代エジプトから続く関税の意外な正体とは
この記事は、朝日新聞GLOBEの特集「関税~国家主権をめぐる攻防~」の構成記事として、2025年11月14日に配信されたものを再構成してお届けします。本編はこちらから
1. 関税は、古代の通行料や取引手数料から始まった歴史ある制度
2. 「よそ者」からお金を取る関税は、昔から国家の大きな財源だった
3. 時に貿易紛争を招き、世界大戦や南北戦争の遠因になるほど影響力が強い
4. かつて日本にとって「関税を自分で決める権利」の回復は、国を挙げた悲願だった
1. 関税のルーツは「よそ者」への通行料
関税は、古代の通行料や取引手数料から始まったとされています。エジプト税関には、関税について記された象形文字の石碑の拓本があり、2世紀のローマ帝国にはすでに関税率表が存在していました。都市や国家が成立すると運営に財源が必要になりますが、内側に住む人から集めるよりも、外から来る「よそ者」から徴収する方が簡単だったため、関税は古くから財政の柱として大きな役割を果たしてきました。
2. 独立と主権をめぐる「国境の番人」
現代のような国家ができる前から、関税は地域や都市ごとに課せられてきました。ライン川下りで見える古城も、かつては川を行く船からお金を徴収する税関でした。現代でも関税は主権の象徴です。1990年に独立を求めたスロベニアの人々が「国境がほしい、税関がほしい」と叫んだように、関税は国が「ウチとソト」を隔てる、領土と表裏一体の重要な権利なのです。
3. アメリカ経済を形作った「関税の対立」
アメリカ連邦政府の歴史も、実は関税から始まっています。独立当時は関税が連邦税収の大半を占めており、経済的独立の象徴でもありました。後の南北戦争は、奴隷制度だけでなく関税も争点でした。工業を育てたい北部は、英国製品に対抗するため高い関税を求め、農業州の南部は綿花輸出のために自由貿易を主張しました。北部の勝利で関税が引き上げられたことが、後の経済大国の基盤になったとされています。
4. 日本の近代化と「関税自主権」の回復
日本の近代税関の歴史も、国家の主権と深く関わっています。江戸時代末期に結んだ日米修好通商条約などは、日本が自ら関税率を決められない「不平等」な内容でした。このため、明治維新後の日本政府にとって「関税自主権の回復」は大きな目標となり、1911年にようやく達成されました。かつて横浜税関の塔が日本のシンボルだったのは、それだけ税関が国の威信を示す存在だったからです。
御厨氏によると、昔はどこの国でも税関は立派で目立つ建物だったそうです。しかし現代では、多くの税関がビルの谷間に埋もれるように立っています。これは、経済が発展して国内の徴税制度が整い、国が関税収入だけに頼らなくてもよくなったことの象徴なのだといいます。かつて横浜に帰国した人々が船から税関の塔を見て「日本に戻ってきた」と実感したというエピソードは、関税が単なる税金ではなく、まさに「国の顔」だったことを物語っています。