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五輪コーチも育った川崎 駅前で磨くブレイキンとヘイトに抗うラップ

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駅の改札近くでブレイキンの練習に励む若者=2025年12月16日、川崎市、高久潤撮影

日本のヒップホップの中心地といえば、東京の渋谷や六本木に並んで川崎の名が挙がります。駅前で、窓ガラスを鏡代わりに踊り続ける若者たちが、今も世界を目指しています。川崎市もまた、若者文化の発信を「街の看板」に据えるようになりました。 カウンターカルチャー色が強いヒップホップが市とともにどのように発展したのか。ブレイキングダンスの第一人者たちを訪ねました。

2025年12月の夜、川崎市のJR南武線の武蔵溝ノ口駅前。スマホを下に置き、若者たちが音楽に合わせて床に手をつく。フットワークからヘッドスピン、立ち上がればまた別の技がつながる。少し離れたところで見ていた他の若者たちがその動きをまねして体を揺らしている。

日本のヒップホップの中心地の一つとして、渋谷や六本木と並ぶのが川崎だ。近年ダンスの「ブレイキン」が注目されている。その象徴が、「KATSU ONE」こと石川勝之さん(44)だ。川崎育ち。世界大会で名を上げ、パリ五輪ではブレイキン日本代表のコーチを務めた。

インタビューに応じる石川勝之さん。KATSU ONEというダンサー名で広く知られる=2025年12月2日、川崎市、高久潤撮影


ダンスとの出合いは中学生のとき。マイケル・ジャクソンの『スリラー』のレーザーディスク映像に衝撃を受けた。見よう見まねでステップを覚え、やがて武蔵溝ノ口駅の前で踊る仲間に加わった。「あそこって夜になると、ガラスが反射で鏡のようになるじゃないですか。怒られても、やっぱりあの場所がよかったんですよね」

当初、駅前で踊ればすぐに苦情が寄せられ、警察官に声を掛けられた。転機になったのは地元商店街の夏祭り。仲間とブレイキンのショーを披露すると、大人たちから大きな拍手と歓声がわいた。「『また出てよ』って言ってもらえるようになった」と振り返る。

川崎市は、いまや若者文化の発信を掲げる。11月にはJR川崎駅前一帯で、世界中からトップダンサーが集まるストリートフェス「ISF KAWASAKI」が開かれた。ショッピングモールが即席のアリーナとなり、親に手を引かれて会場に来た子どもたちが目を輝かせる。今では子どもたちが憧れる「まちのヒーロー」の物語になった。

平日、休日問わず、駅の改札近くでブレイキンを練習する。ここでダンサー間の交流が生まれることもあるという=2025年12月16日、川崎市、高久潤撮影


一方で、ヒップホップと行政が手を組むことへの違和感をぶつけられることもある。かつて、街づくりの成功例として見学に訪れた政治家と並んだとき、「対抗文化のはずのヒップホップが政権与党と同席していいのか」と問われた。「分かるんですよね。『カウンター感』って大事だと思う。でも関心を持ってくれるなら協力する、ってことだった」

川崎のヒップホップには、駅前のブレイキンとは違う、もう一つの顔もある。路地裏や工場地帯の空気を吸って育った、若者たちによるものだ。

象徴的なのは、幼なじみの8人組ヒップホップグループ「BAD HOP」(2024年解散)。「持たざる」若者だった彼らが東京ドーム公演まで上り詰めていった姿は、街の誇りだ。

彼らの育った川崎は、ヘイトデモという暴力にもさらされた。15年以降、在日コリアンらを標的に「国へ帰れ」などと叫ぶデモ隊が押し寄せた。この時、多くのラッパーが路上へ出た。「地元の仲間や先輩を傷つけるな」。彼らはマイクではなく肉声で、差別の言葉をかき消そうと、市民と共に抗議の声を上げた。この闘いが、全国初の罰則付き差別禁止条例をつくる力にもなった。

「違い」を個性にするブレイキンと、理不尽な現実に抵抗するラップ。この二つが、川崎の街を力強く支えている。