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跳ねるビートに乗せ どんなことも言える 日本語ラップの先駆者いとうせいこうさん

World Now 更新日: 公開日:
日本語ラップの先駆者、いとうせいこうさん
日本語ラップの先駆者、いとうせいこうさん=2025年12月10日、東京都港区、中川竜児撮影

日本でも人気の音楽ジャンルとなったヒップホップ。だがそれは、「日本語でラップする」道を切り開いてきた人たちがいたからこそだ。40年前に『業界こんなもんだラップ』や『東京ブロンクス』を世に放った日本語ラップの先駆者、いとうせいこうさん(64)さんに振り返ってもらった。

――ヒップホップとの出合いについて教えてください。どこに一番の魅力を感じましたか?

1980年代初め、まだ大学生だった頃、FEN(在日米軍向けラジオ、現在はAFN)を聴いていて。当時、一番新しいアメリカの音楽を聴けるのがFENだった。カントリーやポップスが中心だったけど、時々ブラックミュージックもかかっていて、あるとき、突然跳ねるようなドラムの音が流れた。ドラムの間(ま)がすごくあって、「ドーン、タッ、ドーンドーン、タッ」と、なんというか祭り囃子(ばやし)的な、祭りの太鼓のビートに近い、有色人種的な感覚があった。最初に惹かれたのは、その跳ねるようなビート感だった。

大学でFEN研究会というサークルに入ってたから、同じように気づいた人もいて、「この間、不思議なのがかかってましたよね」って先輩に話して、「こんな感じでしたよね」って、うその英語を乗せてまねして、「おお、それそれ」と言われて。ビートに詞を乗せること自体はカントリーでもやっていたから、最初は詞にそれほど注意は向かなかった。ただ、言葉を乗せるということをアフロアメリカン的にやってるんだな、ということは何となく理解した。

何年かたって、藤原ヒロシとか(高木)完ちゃんとか、ダンスミュージックに詳しくて、新しいことを吸収する人たちと知り合って、ヒップホップの構造、つまりすでにあるレコードを二つのターンテーブルで交互につなぐことでビートを作り出す仕組みが分かった。

全く同じ演奏が繰り返されてるんだ、これはすごい、と。ファンクミュージックのグルーヴもリフレインがものすごく大事なんだけど、それは人が弾いている。ヒップホップは、全く同じ既成の商品が繰り返され、途切れたらまた最初から始まり、でも新しく弾いている音がない。上手く弾くというそれまでの価値観ではなくて、それどころか、一音も弾いてない。だけど、僕らが踊ってしまう反復性を持ってる。

要するに、これって現代音楽で、しかも踊れる現代音楽なんだ、と。現代音楽って何となくみんな真面目な顔してじっと聴いてなきゃいけないみたいなところがあるじゃない。そうじゃなくて、完全に踊れるのに、しかも現代音楽であるというヒップホップの構造みたいなものが、たまらなくすごいことだと思って、めちゃめちゃ惹かれました。

詞の方も、どんな言葉でも、どんなことでも言えるんだ、ということが分かってきて。もちろんポップスでも政治に対する嫌みは歌えるけど、それをある種曖昧にぼやかす部分がある。対して、ヒップホップは散文的な単語を駆使しつつ、生活のこと、政治のこと、何でも、日常で話している事柄を、主に脚韻で韻文化する。特に日本語の歌には出てきにくい「国会議事堂」や「デモ」みたいな言葉だってすぐに入れられる。これは歌えることが革命的に広がったな、と思った。

――ステージで披露するようになったのは、藤原さんたちと出会った後、クラブでマイクを突然渡されて、ということだったのでしょうか?

呼ばれてラジオに出るようになって、日本語を乗せる実験みたいなことはしてました。でもそれは、文章をちゃんと乗せるわけではなくて、単語を繰り返して乗せるっていうもので。同じ頃か、少し後か、「クラブD」(原宿にあったクラブ。前身の「ピテカントロプス・エレクトス」は日本初のクラブと言われた)というところで、フロアにお客さんがいて、僕はDJと同じ場所に入ってたんだけど、ヒロシにマイクを渡されて、「せいこう、ちょっとあれやってよ」と言われて。

多分「セイ・イエーッ」とか、いわゆるコール&レスポンスをやったんだと思います。まだヒップホップを知らないお客さんに向かって、それっぽいことを初めてやった。流れているのは当然ダンスミュージックだから、盛り上がるっていうか、何をやっても盛り上げられるっていうか。

――1973年にニューヨークのブロンクスでDJのクール・ハークがやったのとほぼ同じかたちだったわけですね。まずパーティーミュージックがあって、その盛り上げ役としてMCが登場するという順番で。

そうそう。「みんな、盛り上がってるかー」みたいなことを英語混じりでやったし、その中に聞いたことのないような日本語の羅列を入れるとか、そういうこと。その後、講談社に入って、雑誌に自分の企画を出したら通ってしまって、その企画から『業界くん物語』というアルバムをつくるという風に話が転がって。ヤン富田さんという、ニューヨークでも彼の作ったものを欲しがっている連中がいるというほどの人がいて、すごい格好良いトラックを作ってくれたので、タイニー・パンクス(藤原さんと高木さんによるユニット)と僕で掛け合いみたいなことをしてみようと、つながっていった。

――初期の作品『業界こんなもんだラップ』(1985年)や『東京ブロンクス』(1986年、いとうせいこう&タイニー・パンクス)で、苦労した点はどの辺りでしたか?

ニューヨークの人気ヒップホップ・グループ、PUBLIC ENEMYが1989年に初めて来日した際、フロントアクトとしてクラブチッタ川崎のステージで歌ういとうせいこうさん
ニューヨークの人気ヒップホップ・グループ、PUBLIC ENEMYが1989年に初めて来日した際、フロントアクトとしてクラブチッタ川崎のステージで歌ういとうさん

日本語でラップしようとすると、民謡的になるというか、盆踊り的になるところがあって、要するに「なんとかなんとか どっこいしょ」「なんとかなんとか ああよいさ」みたいな間が生まれてしまう。今は別に民謡に聞こえても良いくらいに聞き手のリズム感が醸成されたけど、当時はやっぱり誤解されると古いイメージになってしまう。それで「なんとかなんとかなんとかGo Ahead」と入れたり、「なんとかなんとかなんとかなんとか」の4小節を次の小節までまたいで続けたりして、休符を消していこう、と。ニューヨークやロンドンのラッパーたちのレコードを聴いて、これさえやれば日本語でも全く問題ないと早めに理解しました。

韻に関しては、最初はあえて意識しなかった。僕は「韻はポップス的なものの名残」と理解していたので。おまけに日本だと、俳句や和歌でも脚韻を踏まないし。それと、日本語は語尾が「です/ます」「である/がある」となることが多いから、脚韻がどうしても似通ったものになってしまう。それもあって、「縛られなくていいな」と判断した。ただ、「分かってないな」と思われるのも嫌だったから、サビだけ英語を入れて韻を踏むとか最低限のことはしようと(*東京ブロンクスのサビは、♪東京ブロンクス Baby Thanx For Machine Guns and Tanks,Punks)。

今でこそ、脚韻を長く踏んで、中間韻も頭韻もあって複雑になって、こんな散文的な内容を韻文的に歌えるのかと驚かれるようになって、もちろん昔から日本語でも倒置法とか体言止めとか色んな工夫が必要になったけど、最初期はもっとシンプルな脚韻でした。

――『業界こんなもんだラップ』や『東京ブロンクス』の詞は、基本的にフィクションですね。

自分の話はほとんどない。ヒップホップは1人称の世界という風に言われているけど、僕は他の分野でも自分から何かを言うより、フィクションを通して何かを言ってきたから。フィクションというものの面白さを知っていたし、もともと私小説が好きじゃなかったということもあったかな。

――ファッションとしてのヒップホップはどう見ていらっしゃいましたか。

カンゴールの帽子とジャージ、アディダスのヒモなしスニーカーね。周囲のみんなは地方に営業に行く時に、「襲撃」って呼んでたけど、スポーツ用品店とか、体育用具が売っているような店に行って、売れ残ってるジャージとか、アディダスのスニーカーを買いあさってました。

ここでもヒロシがいたということがすごく大きかった。彼はロンドンにいて、ヴィヴィアン・ウエストウッド(ファッションデザイナー。パンク・ファッションに絶大な影響を与えた)のもとにいたから、「(アメリカのファッションを)そのまま取り入れない」というセンスがあって、パンクスのはいてたボンデージパンツの上にジャージはおって、山高帽をかぶるというスタイルになった。アメリカをそのまま真似しなかったセンスは本当に素晴らしかったと思う。のちのち本家のファレル・ウィリアムス(音楽プロデューサー、歌手、ファッションデザイナーなどとして幅広く活躍)とかがそうなるわけですから。

――その後のアルバム『MESS/AGE』(1989年)では、韻をかなり使っています。

結局、ここでは色んな言葉遊びを詰め込みました。僕自身がアナグラム(ある言葉の並び方を変えて別の言葉にする遊び。英語ならact→catなど)が好きだったから、そちら系の作家や哲学者に影響を受けてきた結晶として、最初はやらなかった押韻に最後は集中した。

でも、アルバムのお披露目パーティーがあって、ミュージシャンとDJ、MCの僕という3人の編成だったんだけど、直前になって「僕らは好きに演奏するから、いとう君も好きなこと乗せていいから」と言われて。彼らは彼らで逆に「演奏しない」形をひっくり返したんだと思うんです。

しかしラッパーとしては当時はフリースタイルなんてなかったし、今でも僕はできないし、やるならすごく吟味して作りたいと思うタイプだから、すごく格好良いセッションに対して、「この曲に合うのはどれだっけな」「えーっと、今回のアルバムならこれかな」みたいな感じでやるうち、彼らは途中で自由にモチーフを変えていっちゃう。こっちはそれにすぐには対応できない。それで「音楽とラップはまぐわえないんだ」って思っちゃった。僕はしばらくラップの世界から遠ざかって、もう日本の古典芸能ばっかり聴くし、お稽古するという時代に入っていきました。

――そこからポエトリー・リーディング(詩人が自作の詩を読み聞かせるパフォーマンス。生演奏とのコラボなども盛ん)に?

そう。悩んで、俺はもうラップはやれないと思っていた時期に、自分の本を横に積んでおけば、DJから何の曲を出されても、「あそこの一節を読めば面白いな」とすぐに思える、と気づいた。リーディングの手法ならいくらでもセッションできる、どんどん曲が変わっても、自分で拍子に乗りたければ乗って良いし、無理に乗らなくても良いし、という自由をそこで得られた。

2022年9月、都市フェス「J-WAVE presents INSPIRE TOKYO ~Best Music & Market」にダブポエトリー・ ユニット「いとうせいこうis the poet」として出演したいとうせいこうさん
2022年9月、都市フェス「J-WAVE presents INSPIRE TOKYO ~Best Music & Market」にダブポエトリー・ ユニット「いとうせいこうis the poet」として出演したいとうさん

――YouTubeでいとうさんのポエトリー・リーディング、「POEM FOR GAZA」を拝見しました。詩は最初にきちんと作ってあるのでしょうか?

あれはちゃんとしたメッセージがある詩だから、細かく作ってあります。でも言っている間に何か足したいものがあって言葉が出てきたら足す、というフリースタイル的な要素もあるし、そもそも詩を事前にバンドのメンバーに配ったことは一度もないんです。

「今日はこれを読むからね」というのは全くしてなくて、彼ら自身もどんな詩が来るか楽しみにしている。時には僕がここでもう終わりだと思ってるのに終わらなかったりする時もあるから、「どうしよう。あ、あれを足せばいいんだ」となって、そうするとその場で文章と文章が不思議なセッションを起こす場合がある。それに自分自身驚いたりもできるし、音楽の人たちによって文学が変わっていく面白さが感じられる。今はそれが一番やってて楽しい。

――スピーチとラップの関係にも注目されています。

一つには、アメリカではポエトリー・リーディングって、詩人とジャズの組み合わせで盛んに行われていたということがあって。もう一つは、アメリカのラッパーたちが是非とも一緒にやりたいとはせ参じる、コーネル・ウェスト(アメリカを代表する黒人思想家、行動する知識人としても知られる)という人がいるんだけど、彼のスピーチは、ゴリゴリの政治的主張だけど、まるで音楽みたいに聞こえる。憧れます。

優れた政治家のスピーチもそうですよね。アメリカ大統領の就任式では伝統的に詩人が朗読します。バイデンの就任の時に若い女性が詠んでいたけど、もちろん韻も見事に踏んでいて、これラップじゃんって。アメリカのラップの由来には、そういう流れ、ジャズに乗せて詩を詠むことや、政治的な演説というものがあったんだ、と。そういう伝統の中で、アメリカのラッパーたちはやってるんだな、と思った。

じゃあ自分たちは何の伝統からやればいいのかってことを考えると、それは俳句や能という日本の文芸、古典芸能で、ラップから離れていた時期、僕はそこで色々な表現の仕方や息の出し方というものを師匠たちに教えてもらっていたから、ああ、これで良かったんだ、この説得力を今こそ活かせばいいんだということが分かった。

僕も「国境なき医師団」に同行したりして、世界中のいたるところ、色んな国でヒップホップが歌われていることを知っていたけど、それ以上にここまでか、というほど広がって流行っているわけですよね。それも、世界のそれぞれの民族とか歴史の中から伝統が引っ張り出されて、ヒップホップと結びつき、色んなやり方が試され、生まれているんだろうと。僕はそのことに感動する。じゃあ僕は僕のやり方をやろうという風に思っている。

多くの人が最初は「ヒップホップはアメリカのものだ。何で日本語でやってんだ」「日本語でやると格好が悪い」って言ったけど、ラッパーとして僕が考える限り、世界中でやってる人たちはそんなこと気にしてない。言いたいことがあるからやってるんです。やりたい乗せ方があって、言いたいことがあって、自分たちのやり方でやっている。それが僕は格好良いと思う。

――日本のヒップホップシーンをどう見ていらっしゃいますか。

一番はフリースタイルが出てきて、それがものすごい勢いで進化したことに驚いた。『フリースタイルダンジョン』(2015~20年、テレビ朝日の番組として放送)の審査員として目の前で体験したけど、凄まじかった。「うわあ、また次の時代に来たな」と。

「じゃあこのトラックで」と、DJが8小節とか聞かせて、ジャンケンで順番を決めて、そこにスクラッチが入って始まるんだけど、彼らは、そのトラックでかつてどんなラッパーたちがどんな内容を歌ったかということを引用したり、そのラッパーがよくやっていた格好をまねして見せたりとか、そういうことをフリースタイルでやってますから。ものすごくレイヤーが深くて、さらにそのレイヤーの中で、自分の主張、相手の言ってることへの反論も見事にやってる。とんでもないことを、ものすごい速さで。

ヒップホップとの出合いについて語るいとうせいこうさん
ヒップホップとの出合いについて語るいとうさん=2025年12月10日、東京都港区、中川竜児撮影

平安の歌人も同じようなことをやっていたけど、彼らはゆっくり考えながらだったから。ただ、サイファー(数人が輪になって即興でラップする)って、「座の文芸」なんだよね。座の文芸は日本の文芸の基本だったけど、明治になると古いからやめろ、和歌も俳句も捨てろ、と言われた。ところが今こんな形で復活してるというのは、ちょっと痛快ですよね。

「フリースタイルダンジョン」に呼んでくれたのはZeebraで、よく声をかけてくれたなと感謝してます。彼の考えは、どのくらい昔から日本にヒップホップがあったのかということを、審査員で見せようということだったんだと思う。ほとんどの人は僕がやってたことを知らないから、「何であいつが出てんだ?」って思われてたみたいだけど、でもある程度の年齢の人にとっては、「おお、あの人まで連れてきたんだ」ってことになる。

あと僕には僕の解釈の仕方があるから、若い子たちに、「これって平安にもやっていたことだよ。あるいは江戸の狂歌師たちも。引用するとか、ある五七五七七の頭の文字をつなげて別の単語にするとか。みんなは今、そういう過去の上に乗っかって『また新しい文芸』をやってるんだよ」と言える。彼らのやっていることの面白さを文芸史との関係の中でも説明する。それは僕にとってもすごく良い体験でした。