いち早くマネスキン紹介 和訳担当イワサさんが語るメッセージの意味とイタリア音楽
日本でいち早く彼らに注目していたのが、イタリア音楽に詳しいヨシオ・アントニオ・イワサさん。
マネスキンの日本版CDに収録されたイタリア語の和訳も担当したイワサさんに、マネスキンとイタリア音楽の魅力を聞いた。
――2020年1月に、ウェブサイト「Piccola RADIO-ITALIA」でマネスキンを取り上げていました。かなり早い段階ですね
まだブレーク前でしたが、「ティーンズバンドがこんな音を出すのか。10年くらいプロでやっているような音じゃないのか」と驚いたんです。ストリート演奏で腕を磨いたらしいですが、大したものだと感心しました。
昨年の来日公演(8月、豊洲PIT)で初めて生で演奏を見たのですが、やはりうまかった。演奏しているのが3人とは思えないような分厚いサウンドで。その公演も最初からイタリア語の歌だった。自分たちはイタリア人なんだ、というアイデンティティーを感じました。
――歌詞を訳して、気づいた点、面白いと感じた点はありますか
詞は放送禁止用語というか、下ネタで伏せ字にしなければならないものがすごく多くて、苦労するんですが(笑)。
セカンドアルバム収録の「イン・ノーメ・デル・パードレ」は、「父の名において」という意味。お父さんのことではなく、キリスト教のお祈りの時に、父と子と聖霊の名においてアーメン、と結ぶあのフレーズです。
敬虔(けいけん)なカトリック教徒が毎日口にする言葉を曲名にしているんですが、アルバムの中で一番過激なサウンド、一番過激な歌詞です。大人たちを口汚くののしっている。そのギャップが若い人にとっては刺激的でしょう。
デビューEP収録の「ヴェンゴ・ダッラ・ルーナ」はカパレッツァというラッパーのカバーです。「俺は月から来た」という意味ですが、宇宙人ではなくて、社会における異端者、アウトサイダーのことを歌っています。色んなやつらが白い目で見るけど、そんなことは知らない、俺は俺だ、というような。
彼らがマイノリティーに寄せる思いが出ているように感じました。
――英語の歌も結構歌っていますね
同じEPの「ベギン」はフォー・シーズンズのカバーです。フォー・シーズンズは1960年代に活躍したイタリア系アメリカ人のグループなんです。イタリアからアメリカにわたって成功した先輩たちへのリスペクトを感じる選曲です。
――彼らの人気が出たのは、イタリアのテレビ番組からと聞きます
2017年にXファクターというオーディション番組に出演しています。テレビで1シーズン当たり3カ月くらいにわたって毎週放送される人気番組で、そのシーズンが終わったころには新人でも知名度がすごく高まるんです。
3カ月も続く番組なので、歌がうまいのは当たり前で、人間的な魅力が問われる。ああこの子はすごく一生懸命だとか、素直で良いところがあるとか、とんがっているなあとか、キャラクターが見えてきてファンがつくんです。彼らにとってこの番組で得た固定ファンはとても大きいんじゃないでしょうか。
――2021年にはサンレモ音楽祭で優勝しています
サンレモ音楽祭は、いわゆる美しい歌、きれいな歌が優勝するという「お決まり」があったんです。ロックバンドやラッパーも出演していますが、やはりきれいな歌を歌おうとしてきました。
でも、マネスキンは「ジッティ・エ・ブーニ」という激しいロックの歌で勝負したんです。若いからこんな歌をもってきたんだな、面白いけどさすがに優勝はしないだろうな、と私は思っていたんです。
それが優勝したんですから驚きました。想像ですが、「今時ロックは売れないよ」とか「もっと売れる音楽やれよ」とか、周りの大人からは色々と言われたんだと思います。それでも、「いや、これが自分たちの歌だ」と忖度(そんたく)せずに信念を貫いたのではないでしょうか。
ちなみに、セカンドアルバムの「テアトロ・ディーラ」は「怒りの劇場」という意味です。これまで俺たちを見くびった大人に対する怒り、と読めなくもありません。そういうところに私はこのバンドの魅力を感じます。
――イタリアを越えて人気が広がるのは、同じ年のユーロビジョン・ソング・コンテストでの優勝です
イタリア勢として3番目の優勝者になって、特にヨーロッパに彼らの名前が知れ渡りました。その後の世界的なブレークにつながりましたね。
ただ、イタリア人にとっては一番重要なのはサンレモ音楽祭なんです。ユーロビジョンは、サンレモ音楽祭を手本に作られたヨーロッパ版サンレモ音楽祭なんです。イタリア国内でサンレモ音楽祭の視聴率は50%くらいあるんですが、ユーロビジョンはそれに全く及ばない。いつもは10%くらいしかないんです。
――歌詞の説明でもありましたが、ベースのヴィクトリアさんをはじめとして、性的マイノリティーや同性愛者を擁護する発言を積極的にしています
そうした人々に寄り添う姿勢があるのは間違いないですね。
イタリアはカトリックのおひざ元ですから、例えば「自分は性的マイノリティーである」と公言することには、日本とは全く異なる「重さ」があります。実際にカミングアウトする人も少ない。教会が持っている力がとても強いですからね。
保守的な社会で、アイデンティティーを公言できない人にとって、彼らのような存在は大きいのではないでしょうか。
――そうした社会的、あるいは政治的メッセージをロックバンドが打ち出すことは普通のことですか
イタリアでは普通のことです。ミュージシャンは、「文化人」という側面も強いです。
1960年ごろから一線で活躍しているアトリアーノ・チェレンターノというイタリアのロック界の帝王のような人がいるんですが、彼は自分の政治番組を持っていたほどです。
――そもそもなぜイタリア音楽に詳しくなったんですか
アマチュアのヘビーリスナーなんです。10代の頃にたまたまイタリアの音楽に出会って、それからずっと聴き続けています。
私がはまったのは1970年代からですが、それより前の60年代のイタリアは、世界のヒット曲の生産地だったんです。サンレモ音楽祭に出場した曲が、日本でもどんどん売り出されて、伊東ゆかりさんやザ・ピーナッツがカバーしたりもしたんです。こんな良い曲があるんだ、とはまってしまったんです。
ただ、イタリアは1970年代にシンガー・ソングライターの時代になって、歌謡曲タイプの歌手の仕事がなくなりました。そして80年代にCDの時代がやって来ます。音楽販売の主導権はメジャーな会社があるアメリカに移って、英語の曲ばかりになりました。
――確かに日本で洋楽と言うと、イコール英語の曲ですね
もちろんイタリア語の曲はなくなっていなかったんですが、日本ではほとんど紹介されなくなりました。それで自分で一生懸命イタリア音楽を追うことにしたんです。10年ほど前には、イタリア音楽専門の雑誌(ムジカヴィータ・イタリア、現在は不定期刊)を作ったんです。
――イタリア国内では、どんな音楽ジャンルが人気なんでしょう
1970年代にシンガー・ソングライターの時代が来たと言いましたが、この頃の人たちが1990年代まで音楽シーンを牽引(けんいん)していたんです。
若い人が売れる仕組みがなかったんですが、2000年代以降はオーディション番組が花盛りになって、そこから巣立った若い人たちが活躍できるようになってきました。今は、ベテランとそういう若い人たちがようやく同じシーンにいる、という状況です。
ジャンルで言うと、ラップやヒップホップの人気が高いです。マネスキンのようなZ世代だと特にそっちにいくことが多いです。その意味でも、マネスキンは特殊な存在です。非常にフォトジェニックですしね。
――今、イタリア音楽でおすすめはありますか
イタリアの文化やファッションを取り上げるウェブマガジン「ITALIANITY」でもマネスキンファン向けのおすすめミュージシャンを取り上げました。
まずはウルティモ。ソロのシンガー・ソングライターで、歌モノもラップもこなす光る逸材。ピアノを弾きながらラップするという超人技も持っています。2020年(24歳の時)に年間アルバムチャートの首位を獲得し、自身の3枚のアルバム全てが年間チャート10位に入る大ブレークを果たしています。
アキッレ・ラウロは、グラムロックの流れを現代に受け継ぎ、化粧にこだわった芸風にマネスキンに通ずる点があります。彼もソロのシンガー・ソングライター&ラッパーです。
ザ・コロルスは、Xファクターと双璧を成すもうひとつの人気オーディション番組アミーチ出身で、マネスキンに先立つこと3年前の2014年にシーンに躍り出たバンドです。彼らの活躍が後進のマネスキンが登場する直接の道筋を切り開いたと感じられます。楽曲はほとんどが英語詞で、フロントマンのStash(スタッシュ)の豊かな才能(ギター・ピアノなどのマルチプレーヤー)と190センチに迫る高身長&イケメンの風貌(ふうぼう)が人気を牽引(けんいん)しています。
ピングイニ・タッティチ・ヌークレァーリは、どこにでもいる普通の兄ちゃんたちという風貌ですが、確かな音楽的才能を感じさせる曲作りと演奏力の確かさ、ビートルズやバック・トゥ・ザ・フューチャーのネタなど、20代なのにレトロ志向が垣間見えるところにもマネスキンに通ずるものがあります。