日本も大国に囲まれながら生き抜く戦略を 「バルト三国の知恵」を取材して
バルト三国の若い人たちは当たり前のように軽々と起業をし、政府はそれを応援していた。「小国」にだってできるのだから、日本もできるのでは? 私たちは「大国」ということで思考停止していないだろうか。
三つの国の人たちと話して強く印象を受けたのは、その姿勢と戦略性だ。そして、日本の状況を考えさせられることが多かった。
彼らは常に歴史と向き合い、学んでいる。そして未来を視野に入れている。自分は何をすべきなのか、何ができるのか、何をしたいのかを考える。
リトアニアの元エネルギー相で現国営エネルギー企業のCEO、ロカス・マスリスが繰り返していた言葉が忘れられない。エネルギー政策には「determination(決意)」が必要なのだと。「国にとって必要なことならば、政権が変わっても与野党が一致して推進する一貫性が重要だ」とも強調していた。
国の将来にとって何が大事なのか。政治家は過去に学び、先を見据えて戦略をたてる。そして一度決めたら決然と実行する。企業はそれを受けてどんどん技術を開発する。リトアニアの再生可能エネルギー関連企業は、次々にイノベーションを起こしていた。
今回、取材した人(ロシア語話者を除いて)に「ソ連の犠牲者は身内にいるか」とたずねた。ほぼ全員に、シベリアに強制移住させられたり、殺害されたりした身内がいた。そういう歴史があるから、ロシアとの関係に敏感になるのは当たり前だ、と思うかもしれない。日本は大国なのだから、人口数十分の1程度の小国とは比べられない、と思うかもしれない。
そうだろうか。
先の大戦では日本の侵略行為で周辺国に多くの犠牲者が出た一方、ソ連によってシベリア抑留された日本人も多くいた。山崎豊子の名作「不毛地帯」を読んだことがある。その中でシベリアに抑留された主人公が懲罰として閉じ込められた極小房を想起させるものが、リトアニアとエストニアのKGBの刑務所跡には残っていた。日本は大国かもしれないが、ロシアをはじめさらに大きな国々に囲まれている。
エネルギー状況も似ている。日本は天然資源に乏しく、全面的に輸入に頼っている。国際情勢はますます不安定化し、イスラエルがイランを攻撃するなど緊張を増している。
三国だってそう簡単にいくことばかりではない。ロシア語話者とどう共生していくかはずっと問題であり続けている。でも日々の生活では、皆がいってみれば大人の知恵を働かせて、共に暮らしていた。複雑な歴史や事情はもちろん双方が承知のうえだ。根を下ろして暮らしている人たちに出て行け、という権利は誰にもない。お互いが理解して、日常を暮らしていた。
三つの国の人々は、穏やかで謙虚、日々の暮らしをいとおしんでいた。それはごく普通の日常の大切さを知っているからだと思えた。「当たり前」が続くためにも、戦略性を持ち、過去と未来に向き合いたい。