世界が失いつつあるものは 痛みとともに思い起こすとき

1945年5月8日、ナチス・ドイツが連合国に降伏した。首都ベルリンを制圧したのはソ連軍。80年後の今、ウクライナに侵攻するロシアのプーチン大統領は、その「偉大な勝利」の記憶を国民を鼓舞する道具にする。
今回の旅で話を聞いたリビウの歴史家ヤロスラウ・フリツァクさん(65)は、「プーチンにとって戦争は再び達成すべき『勝利』、ウクライナにとっては二度と繰り返してはならない悲劇。そこに根本的な違いがある」と話した。「ラファエル・レムキンは、世界をひとつのハープだと考えた。文化、歴史の異なる人々の弦が一本でも切断されれば、美しい音色は奏でられない。発想は常に戦争の被害者の側にあった」
レムキンがかつて住んだアパートを訪ねた。オペラ劇場から中心部と反対側に歩いて20分。扉や通りに突き出したバルコニーにはさびが目立った。東西冷戦が本格化した1950年代、世間から忘れられたレムキンは困窮し、ニューヨークのバス停で倒れて死亡した。そんな寂しい晩年を思い起こさせた。
ジェノサイド条約や世界人権宣言の採択から3四半世紀が過ぎた。第2次大戦後にファシズムとの決別を決意して立ち上がった世界はその後、何を得て何を失ったのだろうか。
ウクライナでも、パレスチナ自治区ガザでも民間人の犠牲が止まらない。ウクライナでは一般住宅や子どもの遊び場がミサイル攻撃を受け、ガザでは国際司法裁判所がイスラエルにジェノサイド行為を防ぐ全ての手段を取るよう命じたにもかかわらず、一昨年10月以来の死者数は5万人を超えた。
冷戦終結後、「犯罪中の犯罪」ジェノサイドは国際法廷で裁かれるようになった。しかし、過去の大量殺害がジェノサイドにあたるかどうかをめぐって国どうしの争いも起きている。
ジェノサイド条約が採択される際には、大国の反対を防ぐため、保護される対象から「政治集団」を外す妥協策がとられた。それでも、根底にあったのは人が国や民族、宗教を理由に理不尽な死を強いられることがあってはならない、という考えだったはずだ。それがいつの間にか、国と国の論理にすり替えられてしまった。
今はさらに大きな変化が起きている。今年1月に発足した米国の第2次トランプ政権は、ガザ住民の域外への強制移住を公言し、侵略される側のウクライナにロシアへの譲歩を迫る。
東京大学の遠藤乾教授は、第2次大戦後、力を振り回す米国中心の国際秩序に多くの国が従ってきたのは「そこに人権や民主主義といった、否定しがたい一定の『正しさ』があったからだ」と指摘する。だが、米国はその「正しさ」さえ捨て、大国間の取引で利益の追求に乗り出した。当たり前のように思われてきた秩序が過去のものになりつつある。
私たちはレムキンやハーシュ・ラウターパクトが思い描いた世界のモラルスタンダードを失うのか。それがどのような痛みを伴って生まれたものか、今こそ思い起こすべき時だろう。
ロシアの侵略は、私の人生とリビウ市民の人生を根本的に変えました。(人口71万人のうち)5万人の市民が今、戦場にいます。市内で毎日葬儀が行われ、私も毎日、棺に花を供えている。これまで計500万人の避難者がリビウを通過し、一度に200万人が滞在したこともありました。
IT産業の集積地だったリビウは、ドローン(無人機)やその他の防衛装備製造の集積地に変わりました。リビウと東京には共通の日常があります。子どもは学校へ行き、劇場やレストランも開いている。でも、ここでは毎日のように空襲警報が発令され、我々はシェルターで時間を過ごさなければならない。
リビウは全土から子ども、女性、高齢者、兵士の負傷者を多数受け入れています。市営の病院だけでも1万9000人。我々はそのための医療機関を作り、「アンブロークン」(不屈)と命名しました。高度な外科手術、義肢製造やリハビリ、メンタルヘルスの技術を備えています。現在、日本の建築家・坂茂(ばん・しげる)氏の設計で進めている新たな外科病棟の建設は、木造建材を使うことで通常3年かかる工事を1年で終わらせます。ウクライナでは今、こうした施設がすぐに必要とされているからです。
私は市長の職務を2004年の「オレンジ革命」後に始めました。そして(親ロシア政権を崩壊させた2014年の)「尊厳の革命」が起き、3年前からはロシアの全面侵攻です。我々は苦しみの中で国を生み出している。
ロシアが多くの市民を殺害しているウクライナ東部では長い間、主にロシア語が話され、人々はロシアのプロパガンダに影響されていました。その人々が、ロシアが自分たちの村や街、家族を破壊していることにショックを受けています。仮に東部の人々とロシアにつながりがあったにせよ、ロシアは自らそれを切り落とした。一方でウクライナ西部はソ連の占領と抑圧を経験した。かつては分断が指摘されたウクライナの東西が、今は同じ苦しみを共有し、固く団結している。ロシアの侵略がこの国を変えたのです。