社長、あなたの決断と覚悟がカギです! 中間管理職“罰ゲーム”時代を変えるために

新聞記者も一皮むけばサラリーマンだ。社歴を重ね、筆を置いて管理職になる人もいる。
初めて肩書に「長」がついた時、正直、私もちょっぴりうれしかった。でも、すぐ後悔する。若い頃は指示されたことを忠実にこなしていれば何とかなった。
けれど、中間管理職は違う。無理難題と思っても上司の意向を受けて、部下に結果を求めなくてはならない。ときには悩める部下を励まし、成長をうながす。そんな、これまでやったことのない仕事もオンされる。
人間関係、時間との闘い、コンプライアンス……。かつての上司たちはこんなにも過酷なミッションと重い責任に耐えていたのか、と気が遠くなる。
そんな「地獄」の入り口をのぞいただけで、私は幸運にもいちライターに戻れた。
でも、まさに管理職の「適齢期」を迎えている、優秀で真面目な同僚たちは「無理ゲー」に挑み続けている。なかには年2回以上、1人で70人以上の面談に追われる同期がいる。「年上部下」とのコミュニケーションに悩む後輩女性がいる。会議とトラブル処理で1日が終わると嘆く先輩もいる。管理職なんてまっぴらごめんと会社を去った同僚もいる。
「出世の登竜門」とはいうけれど、このままでいいのかな? そのうち会社が成り立たなくなるんじゃないのか? そんな素朴な疑問を抱いたのが、「中間管理職」を特集テーマに定めたきっかけだった。
韓国、インド、オランダ、日本。同僚と手分けして世界各地の現場を取材し、専門家の言葉に耳を傾けるうちに、中間管理職を再び輝かせるヒントがうっすら見えてきた。
「マネジャーが部下を管理する方法を何十年も変えていない日本企業がとても多い。それこそが、日本が労働生産性や従業員エンゲージメントで他の先進国よりも低い要因の一つになっている」
「DX時代の部下マネジメント」(経団連出版)の著作がある、米国人コンサルタントのロッシェル・カップさんは、日米での会社勤めや数多くの日本企業で管理職向けの研修をしてきた経験から、そう言い切る。
彼女いわく、その要因の一つが、「良いモデル」の不在だ。管理職の多くは優秀なプレーヤーから昇格した人たちだが、マネジメントを専門に学んだ人は少なく、手本とするのは元上司や先輩にならざるを得ない。その先達もまた、先達をモデルに……。
刻々とビジネス環境や社会課題が変化していくのに、管理職のノウハウはアップデートされないまま引き継がれる。「まるで20年前のOSを新しいコンピューターに入れているみたいです」とカップさん。
この言葉を聞いて、我が身を振り返る。
たしかに、管理職を拝命したとき、それらしい「研修」を受けさせられた覚えはある。でも、そこで学んだことが、その後の管理業務の実践に活かされたかといえば、申し訳ないが、おそらくNOだ。日々降りかかるミッションや、予期せぬ問題に直面したとき、脳裏に浮かぶのは前任者やかつての上司の姿や振る舞いだった。でも、その人たちだって、必ずしも「正解」だったわけじゃない。
日本企業の多くが、そんな状況に陥っていると専門家たちは言う。でも、どうして?
「罰ゲーム化する管理職」(集英社インターナショナル)の著者で、パーソル総合研究所の主席研究員・執行役員・シンクタンク本部長である小林祐児氏は、終戦直後の復興期にその起源があると言う。「焼け野原から復興するために、日本企業の多くが職種や階層の壁を取り払い、全社一丸となって取り組む態勢を構築したのです」
その名残が、「入れ子」構造だ。
多くの日本企業では今も、課長や次長がいるのに、その上の部長が重ねてメンバー全員を管理する。「欧米ではほとんどあり得ないシステム」と小林氏は言い切る。
そして、こうした日本独特のシステムに、昨今の「働き方改革」や「コンプライアンス重視」が加わり、管理職にいっそう負荷をかけている。
皮肉なことに、パーソル総合研究所の調査では、「働き方改革が進んでいる」と答えた管理職ほど、「課題が増えた」と感じていた。その典型的な例が、一般社員を定時に帰そうと努力して、結局、管理職自身が仕事をかぶるケースだ。
きつい仕事でも給料が上がるなら我慢できる。そう考える人もいるだろう。
だが、現実はそうなってはいない。コンサルティング大手「マーサー」が130カ国・地域の5万社以上を対象に調査したところ、日本はアメリカや英国、中国、インド、韓国などと比べて、部長や課長に就いても昇進に伴う報酬アップの度合いが少ないという結果が出た。中間管理職として報酬面での「報われ度」が他国よりぐっと低いのだ。
日本の中間管理職の窮状を救うヒントはないのか。専門家たちが真っ先に口にするのは、管理職本人の意識を変えることだ。
日本の管理職がより効果的に働くためには、「サーバント・リーダーシップ」の考え方が重要だ、と前述のカップさんは説く。
これは、上から目線で部下に命令するのではなく、まず奉仕して目標達成を促すリーダーシップのスタイルだ。そのためにも、自分の権限をできるだけ部下に委譲し、「任せる勇気」を持つことが求められる、とカップさん。
「いちばん良くないのは何にでも口を出すマイクロマネジメント。不要な業務を見直し、自分は管理職の最も重要な仕事である部下の育成やケアに集中すべきです」
他方、パーソル総合研究所の小林氏は、中間管理職に対して「もっと仲間を増やせ」と訴える。「管理職同士が互いに相談し、団結して社長にもの申しに行こうと言えるぐらいのつながりを作るべきです。社長に比べたら、管理職はまだ孤独ではないのですから」
そして、管理職だけでなく、部下の方にも意識変革が必要だと言う。
パーソル総合研究所の調査では、管理職が最も「負担」に感じる仕事の上位に並ぶのは、「部下のマネジメント管理」関連だった。いわば、評価や育成など人間関係のストレスが中間管理職を「罰ゲーム」にしているといってもいい。
「ただし、そう聞くと、会社はすぐ管理職研修をしようとします。でも、それではかえって中間管理職の負荷を高めるだけで何も解決しません」と小林氏。
「キャッチボールに例えれば、練習を積んで管理職が大谷翔平選手のような豪速球を投げられるようになっても、受ける部下が素人では捕球できない。だからこそ、部下である一般社員向けの研修こそ強化するべきなのです」
最後のカギは、企業のトップが握っている。
そう説くのは、立教大学経営学部で「シェアド・リーダーシップ」理論を研究する石川淳教授だ。
アメリカの研究者によって提唱されたこの理論は、ざっくりと言えば、メンバーが必要なときに必要なリーダーシップを発揮し、誰かがリーダーシップを発揮しているときには、他のメンバーはフォロワーシップに徹するという、新しいリーダーシップの考え方。
日本に紹介した一人である石川氏は、「この理論が日本社会にうまく導入されたら、中間管理職の役割を大きく変える可能性を秘めている」と言う。
現状は、中間管理職に「リーダーシップ」と「マネジメント」の二つが同時に重くのしかかっている。だが、職場のメンバーが適切なリーダーシップを発揮するようになれば、管理職は「マイクロマネジメント」から解放され、戦略策定や人材育成といった、より重要でやりがいのあるマネジメントに専念できるというわけだ。
ただ、その実現には企業風土の変革が欠かせない、とも石川氏は言う。
その際に特に重要になる要素が、「社員相互のリスペクト」「個々の強みを発揮するマインドセット」「会社の戦略目的の共有」の三つだ。
石川氏は、現場の声を重視してきた日本企業にはシェアド・リーダーシップの考え方は受け入れやすい素地があると言う。
だが、「ただし」と付け加えた。「逆説的ですが、導入はボトムアップでは実現しません。いかにトップダウンでアプローチできるか。企業トップの意識改革が最も重要な要素です」
私ははっとした。この言葉を聞いたのは、何度目だろう。
中間管理職の「罰ゲーム化」解消の成否について、専門家たちは異口同音にこう唱える。「社長、あなたの決断と覚悟にかかっている!」と。
取材が佳境を迎えた2月下旬、突然、職場の上司に呼び出された。
異動である。4月から中間管理職を拝命した。管理職を救うヒントを探していたら、自分がなってしまった。皮肉なオチに、思わず笑ってしまった。会社の気まぐれとは思いつつ、それでも、と思う。
これは取材したことを実践で試せという神のお告げかも?! そう考えれば「罰ゲーム」も少しは楽しめる、かもしれない。