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「運ぶ」の起源たどれば人類史わかる?一夫一婦制、直立二足歩行…更科功教授に聞いた

World Now 更新日: 公開日:
えさが入ったプレゼント箱を持ち運ぶチンパンジー
えさが入ったプレゼント箱を持ち運ぶチンパンジー=2017年12月24日、高知県立のいち動物公園、朝日新聞社。約700万年前、ヒトとチンパンジーなどが枝分かれする出来事「直立二足歩行」が起きた。自由になった手で、ヒトの祖先は食べ物を持ち、パートナーのメスや子どもに運んだという。この「食料運搬仮説」に関しては、貴重な食べ物が置かれた環境で、チンパンジーが食べ物を手に頻繁に二足歩行したといった研究も報告されている

「運ぶ」という行為から、人類の歴史をひもとくことはできるだろうか。周りを見渡すと、より遠くに、より速く、より多くのものを、と追求し続けた結果としての現代が現れてくる。では、「始まりとしての運ぶ」は何だったのか。人類の進化について記した『絶滅の人類史』の著者で、武蔵野美術大学の更科功教授(63)に聞いた。(聞き手・中川竜児)

――人類はいつから、何を運ぶようになったのでしょう。

ヒトとチンパンジーなどの系統が分かれたのは約700万年前です。ヒトが他の類人猿と異なる点は、大きく二つあります。牙(犬歯)が縮小していること、直立二足歩行をすることです。この二つの違いを説明するため、様々な仮説が展開されてきましたが、現在有力なのは、人類学者オーウェン・ラブジョイが唱えた一夫一婦制の開始になります。

ゴリラは一般に一夫多妻、チンパンジーは多夫多妻の集団をつくります。カチッと完全にということではなく、緩やかなものですけどね。そこでは、メスをめぐる争いが起こって、牙を使って攻撃し合う状況が生じます。

一夫多妻の場合はオス同士が争うということが直感的に分かりやすいと思いますが、多夫多妻であっても、同じメスに複数のオスがバッティングすることがあります。チンパンジーの場合、メスの発情期が見て分かるので、それもあってオス同士の争いが激しくなる。

――一夫一婦制だと事情が異なると。

オスとしての争いが少なくなるのが一般的な傾向と言えます。人間の場合は発情期がありません。初期人類が同じだったかは分かりませんが、交尾できるオスとメスが一対一の関係に近くなると、争いはますます生じなくなるでしょう。それで牙が必要なくなった、と。しかもその新しい種は、直立二足歩行しました。空いた両手で食べ物をメスや自分の子どもに運んだのだろう、というのがラブジョイの仮説です。

一夫一婦的な社会では、ペアのメスが産んだ子は、ほぼ間違いなく自分の子になりますから、オスが食べ物を運べば子どもの生存率は高まります。その子には直立二足歩行が遺伝して、直立二足歩行の個体が増えていく。進化というのは、「優れたものが勝ち残る」のではなく、「子どもを多く残したものが勝ち残る」という点を考えても、現時点で最も整合している仮説とみなされています。

――一夫多妻でも、オスは自分の子に食べ物を与えることにはなりませんか。

メスがすごくたくさんの子どもを産むので、オス1匹では世話しきれなくなって、あちこちでメスが世話をするようになるんです。それに、別のオスとの争いもありますから、一夫一婦的な社会や集団の方が可能性は高いでしょうね。

近年は、直立二足歩行が木の上で進化したことがほぼ確かだろうと考えられるようになっています。昔は木から降りて立ち上がったというようなイメージで語られていましたが、それはあり得ないだろう、と。

例えば、アフリカのサバンナで直立する動物はいませんし、人間の子どもを見ていても、何もないところでハイハイしていて、急に立ち上がるわけではなく、伝い歩きのような感じで立つようになりますね。チンパンジーの行動を考えても、木の上の方が体を立てることは多い。枝がありますから。木の上で枝をつかんで体を縦にするという方が初期段階としては考えやすい。樹上で直立二足歩行をしていたのではないかと考えられる類人猿の化石も見つかっています。

人類が生まれたころ、ちょうどアフリカでは乾燥化が進んでいました。熱帯雨林の周辺部を疎林と呼びますが、人類の化石はその辺りで見つかっていると考えられるんです。木と木が離れているので、その間の地面で直立二足歩行する機会が増えたということもあったかも知れません。そうした環境変化も、ラブジョイの仮説はまずまずうまく説明できます。

――直立二足歩行になり、空いた手で道具を使ったイメージを抱いていました。映画「2001年宇宙の旅」の冒頭、猿人が手に持った骨をたたきつけるシーンも強く印象に残っていますが、こうしたイメージはどこから来ているのでしょうか。

一つは、歴史的に「人間とは何か」という問いが重ねられてきたことと関係があるでしょう。問いの前提には、人間は他の動物とは決定的に違うものなのだ、という考えがあると思います。私自身はその前提に対して懐疑的ですが、人間と動物の違いとして「道具を使うこと、作ること」と言われた時代がありました。

でも、世界的に有名なチンパンジーの研究者が、チンパンジーが道具を使うことを発見しました。カレドニアガラスは、えさを採るのに枝を使うし、それを加工することも知られています。一度使った枝をしまっておいて、また使ったりもします。

人類の運搬の歴史を表したチャート図

「2001年」の方も、時代背景があると思います。アウストラロピテクスの化石を研究した人類学者が、一緒に見つかった動物の頭骨に傷があるのは、アウストラロピテクスが骨で殴ったからだと推測しました。さらに、アウストラロピテクスの頭骨に傷が見つかると、仲間同士の争いに武器を用いた、と考えたのですね。

その後、動物行動学者が、自分のおなかを見せることで攻撃をやめさせたりする動物と比較して、人間が大量殺戮(さつりく)をするのは急速に武器を使うようになったがために、攻撃をやめさせる仕組みを進化させる時間がなかったのだ、という主張も出てきました。それらの主張をベースとして、「血塗られた人類史」的な見方が、書籍や映画にも影響を与えていったのではないでしょうか。

――それらも現在では誤りだと考えられていると。

そもそも骨にあった傷自体が、洞窟が崩れたり、ヒョウにかまれたりしてできたのではないか、と疑問視されました。同じ動物同士が殺し合うことも山のようにあります。むしろ人間は、ほとんど殺し合わない動物ではないでしょうか。

――牙が縮小した理由は争わなくなったから、しかも運んだのは食べ物と考えると、とても平和的で「人間らしい」姿です。

そもそも、人間は殺すようにできないですから。殺人事件があると、ドラマでも武器、凶器を探します。なぜかと言うと、自分の体だけでなかなか殺せないからですよね。凶器がないと殺せないわけです。チンパンジーだったら、嚙むことで殺せるのですが、人間はお互いを殺せるような牙を持っていない。自分の体一つでは相手を殺せないように進化している。

ただ、これは700万年~600万年前ごろの話です。その頃はそもそも何も持っていない状況に近いわけで、殺し合う理由がないと思うんです。約1万年前に農耕が始まりますが、財産を所有するようになれば、飢饉の時に奪いに来る者があったり、争いも生じるでしょう。戦争が始まったのもそれからのことだと思います。

ここ1万年の人類は少し事情が違うかも知れませんが、それでも、例えば殺人事件の発生件数と、野生の動物の殺し合いを比べたら圧倒的に少ないのは間違いないでしょう。