「ダメ。ゼッタイ。」だけで解決しない大麻 大学が認識すべき世界の動向と科学の視点

このような問題が起こるたびに大学が執る措置として、違法薬物に関係した学生の処分はもちろんのこと、部の活動自粛、あるいは最悪廃部というところまで行くケースもある。そして学内における「薬物教育」の充実などが行われてきた。
このような中で、大麻の法的地位は大きく変化してきている。
一昨年は大麻取締法が改正され、大麻が「麻薬」に分類されて、大麻は麻薬及び向精神薬取締法の規制対象となった(2024年12月施行)。これにともなって、今まで処罰規定がなかった大麻使用行為が、新たに「麻薬施用(しよう)罪」(最高7年以下の拘禁刑)として犯罪化され、全体に重罰化が進んだ。
たとえ薬物を取り締まる関係法に同意していなくても、薬物取締法の適用を受けることに変わりはない。逮捕されると、多くのトラブルに巻き込まれるし、若いうちに薬物事犯の前科前歴がつくと、人生が大きな影響を受けることはいうまでもない。
他方、世界に目を転じると、とくに欧米では近年大麻の非犯罪化*)が進んでおり、カナダやアメリカの多くの州、ドイツやオランダなども娯楽用大麻に対する規制が緩和されている。大学生が旅行や留学などで大麻に触れる機会もさらに増えていくだろう。
大学生を取り巻くこのような環境にあって、大麻に関する科学的な知識と自律的な判断能力を育てていくことが求められるが、大学に問われているのは、大学じたいの薬物問題に対する認識である。
薬物問題とは、単に法律や政策の問題ではなく、その背後には、薬物と人に対するその影響についての文化的解釈の次元が広がっている。それは、薬物と文化や習俗に関する因果的関係、道徳性、危険性などについての理解の問題である。それは、人の喜び、快楽、苦痛や恐怖といった、われわれの素朴な経験についての洞察を促すのである。
薬物に対する法的規制が本格化したのは、この数十年のことである。世界中のほとんどの国が加盟している麻薬単一条約(1961年)が、今の薬物統制に対する基本的な仕組みを作り上げた。この条約は、薬物の医療的使用と医薬品へのアクセスを世界中で確保する一方で、薬物の非医療的使用を取り締まることを各国の義務としている。加盟国はこの趣旨にしたがって、国内法を整備し、薬物問題に取り組んでいる。
しかし、それは薬物を違法性や犯罪性と結びつけるという強固な考え方を生み出した。薬物に対するこのような見方は、多くの映画やメディアなどを通じて、われわれの集団意識の一部となってしまった。つまり、われわれが薬物の問題を考えるときに、その違法性と犯罪性の論理が自明の前提となってしまっており、その枠組みで薬物問題を見てしまうのである。
薬物問題を理解するときにもっとも重要なことは、それを「有害と無害」、「道徳と不道徳」、「合法と違法」など、要するに「善と悪」のあれかこれかの単純な二項対立としてとらえることのリスクである。
しかし現在は、従来の薬物禁止政策が国によって勢いを失ったり、また逆に力を得たりして、必ずしも一枚岩ではなくなってきている。薬物政策は、世界的には流動的な状況にある。
たとえば、中国、インドネシア、イラン、マレーシア、サウジアラビア、シンガポール、ベトナムを含む35カ国が薬物犯罪に対して死刑を適用しており、2008年から2018年の間に、薬物犯罪で世界中で4,000人以上が処刑された(国家機密である中国とベトナムの数字は除く)(Alison Ritter, Drug Policy, 2021, p.12)。
他方、大麻に関しては規制を緩める国や地域が増加しており、アメリカのバイデン前大統領が、従来の大麻に対する懲罰的対応(罰による懲らしめ)は誤りだったとして、今後は薬物問題を医療(公衆衛生)の問題としてとらえることを表明した。
薬物問題はグローバルな問題であり、自国の問題として、他国の歴史や文化的空間で薬物がどのように機能してきたのか、また現在どのような状況にあるのかを知ることが重要である。
「善と悪」、「道徳と不道徳」といった一般的に分かりやすい二分法は、薬物問題の本質をとらえることに弊害ですらある。薬物問題は、法律、政策、文化、習俗など、それぞれの国や地域の世界観の複雑な集合体の問題として考えるべきであり、しかもそれは文脈や時代によって異なる形で表れる歴史的な性格をもっているのである。
一部の若者にとって、「薬物」の使用は大胆で反抗的な行為、いわゆるクールなものと見なされることがある。しかし、このような認識に対して、従来のような「ダメ。ゼッタイ。」といった強制的な薬物教育を行うことは逆効果であり、かえって薬物に対する好奇心を強めてしまう可能性がある。
特に大麻に関しては、世界的な認識の変化を背景に、多様な情報がインターネットで容易に入手できる時代である。単なる禁止の呼びかけではなく、科学的根拠に基づいた中立的な教育が必要である。
もちろん、今の日本では、何よりも薬物に対する法的リスクを認識することが重要である。世界の薬物政策は大きく変わろうとしているが、日本を含めて多くの国では大麻はもちろん薬物は依然として法禁物(ほうきんぶつ)である。大麻使用によって前科がついたり、社会的な機会を失うなど、その後の人生が大きく変わる可能性があることを理解しなければならない。その影響が自分の学業・仕事・人間関係にどのような影響を与えるかを冷静に評価することが求められる。
この点を踏まえたうえで、大学は法律学、政治学、哲学、倫理学、文化人類学、歴史学、医学、精神医学、薬理学など、さまざまな専門家が集まる「知の宝庫」であることを改めて強調したい。
今までのように大学が「道徳的十字軍」となってイデオロギー的な薬物教育を行うのではなく、客観的で学術的なアプローチを通じて、社会全体で合理的な薬物コントロールの方法を探るべきである。若者自身が正しい知識を持ち、自らの選択に責任を持つことで、より健全な社会を築いていく。新学期を迎えるにあたり、このような考え方をさらに深めることが求められる。