拡大適用された麻薬特例法
連日のように日大アメフト部の薬物事件が報道されている。
本年8月に3年生の部員が、乾燥大麻片と麻薬だと思って覚醒剤を所持していたことから逮捕され、麻薬及び向精神薬取締法違反の罪で起訴された。その後、3人の同部員が麻薬特例法違反で検挙されている(12月13日現在)。
この3人については、いずれも大麻と認識しながら密売人から薬物を譲り受けたという点が容疑となっている。同じアメフト部内での薬物事件だが、最初の逮捕者とその後の3人の罪名が異なっている点がこの事件の特徴である。
大麻を吸っていた部員が他にも10人程度いると言われており、もしもかれらが逮捕されるならば、同じ麻薬特例法違反ということになるだろう。
麻薬特例法とは、もともと麻薬シンジケートによる国際的な薬物取引を取り締まるための特別な法律であり、譲り受けた物がはっきりと鑑定で科学的に規制薬物だと証明できなくとも立件できるという極めて特異な法律である。
これが薬物の国際取引とはまったく関係のない事件に拡大適用され、薬物じたいが消費されたりしてすでに存在しなくなっているような場合にも、薬物事犯として逮捕・起訴され、処罰されているのである。
このような事件は、関係者の間では「物(ブツ)なし事件」といわれている。これが日大アメフト部の学生たちに適用されているのである。
麻薬特例法は国際条約から生まれた
現在、世界の薬物規制についての基本的な枠組みを作っている基本条約は、次の三つの条約である。
(1)麻薬単一条約
第一は、1972年の議定書で改正された1961年の麻薬に関する単一条約(単一条約)であり、それまで各国が個別に締結していた規制薬物に関する多くの条約や協定等をとりまとめ、国際的な麻薬管理体制を整理統合するためのファーストステップとなった。
この条約によって大麻がヘロインやモルヒネ、コカインなどと同じ「麻薬」に分類され、危険薬物として取り締まる必要のあることが世界に強くアピールされた(その背景には、アメリカが国内で抱えていた政治問題や人種問題があったと言われているが、それについては割愛する)。日本を含む世界のほとんどの国がこれに加盟している。
(2)向精神薬条約
第二は、1971年の向精神薬に関する条約(向精神薬条約)である。これは、単一条約によって開かれた禁止主義の方向をさらに強化するものであり、単一条約が規制対象とした物質以外の幻覚剤、鎮痛薬、覚醒剤、睡眠薬、精神安定薬等の乱用を防止し、これらの物質の国際的な統制を実施するために締結された。合成麻薬もこのときに違法薬物のリストに加えられている。
(3)麻薬新条約
そして第三は、1988年の麻薬及び向精神薬の不正取引の防止に関する国際連合条約(麻薬新条約)で、国際的な麻薬カルテル(国際的に組織化されたギャング)の台頭への対策等が規定されていまる。この条約では、上記二つの条約に規定されていない事項、つまり、(1)薬物の不正取引から生じる収益の剥奪(はくだつ)といった薬物不正取引の経済的側面からの防止策、(2)薬物犯罪取り締まりに関する国際協力の強化、(3)麻薬等の不正な製造に用いられる化学薬品の規制措置などが盛り込まれている。
そしてこの麻薬新条約が、条約の目的を実現するために(日本を含めた)締約国に対して認めているのが「コントロールド・デリバリー」という捜査手法なのである。
コントロールド・デリバリーという捜査手法
コントロールド・デリバリーとは、犯罪組織が国際的規模で行なう禁制品(規制薬物や銃器など)の取引に対抗するためのもので、捜査機関が禁制品を発見してもその場ですぐに摘発するのではなく、十分な監視の下にその搬送を許して、受け取り先などの関係する被疑者にその物を到達させて犯罪に関与する人物を特定・検挙する捜査手法のことである。「監視付き移転」とか「泳がせ捜査」といわれることもある。
現在は、麻薬特例法と銃器犯罪を対象とした銃砲刀剣類所持等取締法(銃刀法)で限定的に認められている。
コントロールド・デリバリーの手法には2種類ある。(1)禁制品をそのまま搬送させるライブ・コントロールド・デリバリーと、(2)万一の場合を考えてあらかじめ禁制品を抜き取り、小麦粉や砂糖などの代替物を入れて搬送させるクリーン・コントロールド・デリバリーである。問題となるのは後者である。
クリーン・コントロールド・デリバリーを実施する場合、規制薬物は捜査機関の手によってまったく無害な物(小麦粉や砂糖など)とすり替えられ、容疑者がそれを受け取る。従来の法理論ではこのような場合に犯罪の成立を認め、容疑者を逮捕することは理論的に困難だった。
なぜなら、その場合「規制薬物(実は砂糖や小麦粉など)」を受け取った者は、客観的にはまったく通常の配達過程とは変わらない状況で「合法な荷物」を受け取ったことになるからである。
そこで次のような規定を麻薬特例法の中に設けて、国際犯罪組織が規制薬物の不法輸入等を「業として」行った場合(同法第5条)、客観的には規制薬物でない物を、薬物犯罪を犯す意思で、規制薬物として譲り受けたりすれば、処罰するできるようにしたのである。
つまり第8条は、第5条の薬物の不法輸入等を「業として」行った場合の処罰規定とセットであり、かりに時間が経って現物がもはや存在せず鑑定ができないような場合でも、国際的犯罪組織がそれによって得た不法収益等について没収することを可能とするためなのである。
薬物がなくとも起訴される「物なし事件」とは
このように麻薬特例法第8条は、あくまでも国際的規模の薬物不正取引に対抗するための特別規定である。同条違反についての法定刑が低く抑えられているのも、同条があくまでも例外的な規定であることをうかがわせるものである。
しかも、証拠物(薬物)がなくとも逮捕・処罰が可能となるところから、不当な捜査やずさんな捜査の危険性があり、この点について衆参両議院でも採決にあたって、麻薬特例法は国際的な不正薬物取引に対処するための特別な法律であるから、不当に人権を侵害しないように努めるべきであるとの厳しい付帯決議が採択されている。
ところが、その後の実務では、この付帯決議を完全に無視するような運用がなされている。つまり、麻薬特例法第8条が規制薬物でない物を、規制薬物との認識で譲り受けたりすることを要件としていることから、業として行なう場合(第5条違反)だけではなく、またコントロールド・デリバリーが行なわれた事案ではなくとも、規制薬物であることが科学的に証明できないような場合も文言上は含まれることになるとの解釈を前提に、第8条単独の適用を排除するものではないとされ、第8条の不当な拡大適用がなされているのである。これが、いわゆる「物なし事件」と呼ばれる場合である。
麻薬特例法第8条の無制約な拡大適用は、犯罪捜査においてもっとも重要な証拠物がなくとも有罪にできることから、薬物事犯についての捜査がずさんになる危険性があり、上記の付帯決議(立法者意思)にも明らかに反しているのである。
一般の薬物事件に関する報道を注意して見ていると、「大麻のようなもの」とか「覚醒剤様のもの」、「LSD様のもの」などを譲り受けたといった奥歯に物が詰まったような表現の記事をよく見かける。
これらはすべて、決定的な証拠物である規制薬物がもはや存在せず、鑑定が不可能な事案であり、本人の自供を中心に、関係者の証言や携帯電話の通信履歴などから立件されている事件なのである。
大麻めぐる厳罰化と関係?
日大アメフト部の事件で麻薬特例法が適用された事案は、1年以上も前のことであり、物(ブツ)じたいがおそらくもはや存在せず、その鑑定が不可能であり、関係者の供述や携帯電話などの通信履歴が解析されたのだと思われる。
そして何よりも、これは麻薬シンジケートの国際取引とはまったく無関係な事件であり、このようなケースに麻薬特例法第8条を適用することは、法令の文言を曲解したものであり、立法趣旨を大きく逸脱し、憲法第31条の適正手続きの保障に反するといわざるをえない。
また、日大アメフト部の薬物事件は、今国会で成立した大麻取締法改正案とも無関係ではないと考える。
新法は、大麻を新たに「麻薬」(麻薬及び向精神薬取締法)に分類し、従来存在しなかった大麻使用を「麻薬施用罪」(7年以下の懲役)として犯罪化している。
そもそも新たな刑事立法を行なう際には、刑罰による規制がやむを得ないと考えられる「立法事実」が必要である。大麻に関していえば、近年の検挙数が5000人を超えており、しかも20代以下の若年層が全体の7割を占めていて、若者への大麻のまん延が問題となっている。
これが大麻規制を強化すべき立法事実だといわれるのであるが、しかしそもそも薬物犯罪は「被害者のない犯罪」といわれ、警察が犯罪の存在を被害届や110番通報などから知るのではない。犯罪統計に計上されるその犯罪数は、捜査機関の検挙方針によって変動する「能動的認知の犯罪」なのである。
大麻事犯の増加も、警察の検挙方針がとくに若年層に向いていることを示している。実は覚醒剤の検挙者数は逆に減少しているのであるが、これは捜査を担当する限りある人的資源を大麻事犯検挙に投入している結果である可能性が高い。
犯罪の数が問題になるときは、このような観点から統計の数を読み解くと、その背後に見える政府や警察の検挙方針の変化が見えておもしろい。日大アメフト部の薬物問題においても、大麻取締法改正問題との関係がないとはいえないだろう。