家族の歴史たどる旅
朝から降っていた小雨は、森の中に入ると空が木々に覆われ、ほとんど気にならなくなった。
歩きながらブライアンさんが言う。
「カナダやアメリカから見ると日本の歴史はとても長い。歴史の詰まった寺や神社、こうした巡礼路に日本ならではのスピリチュアリティー(精神性)を感じる」
ブライアンさんはカナダで生まれ育った日系3世だ。熊野古道について知ったのは数年前。どこで見たのかいまとなっては思い出せないというが、「美しい木々の写真を見て、そこが大昔からの巡礼路だと知り、歩いてみたいと思った」と話す。日本に来るのは2回目だ。
しばらく歩いていると、ナンシーさんが斜面を指さした。「カニがいる」。ぬれた岩の隙間から、真っ赤な沢ガニがあちこちで顔を出している。
ブライアンさんは、道ばたの地蔵や石碑を見ては、足を止める。身をかがめ、手触りを確かめるように、そっとなでる。「昔の人が手で石を彫ったぬくもりを感じられるようだ」
ブライアンさんはジュエリー・アーティストだった。ナンシーさんの胸元には彼の作ったネックレスが見える。「彼は昔から、手作りのものにひかれるんです」とナンシーさん。
雨にぬれた足元に気をつけて歩きながら、ブライアンさんは少しずつ家族の歴史を語る。
父方の祖父は小田原出身で、貧しい生活から抜け出すため、ハワイを経由してカナダのブリティッシュコロンビア州へと移民し、土地を開拓して農家になった。母方の祖父母も熊本県からカナダへ移民した。両祖父母はカナダで出会い、結婚。だが、第2次世界大戦が勃発し、日系カナダ人は開拓して得た農地や家を没収され、内陸部へと移住させられた。
「政府は日系人の土地や財産を没収し、売り払った。アメリカの日系人よりひどい扱いだった。カナダの暗い歴史だ」
戦後、両親は二度とこうした目に遭わないようにと、ブライアンさんをカナダ人として育てた。祖父母も両親も、戦時中のことは語らなかった。週に何度か食卓に上がる日本風の炒め物以外、日本とのつながりを意識することなく育った。
ブライアンさんは一軒の民家の前で足を止め、ずっと眺めている。見ると、庭には所狭しと盆栽や鉢植えが置いてある。
「両親も庭にたくさん小さな鉢植えを置いていた。カナダではふつうそんなことはしないから、不思議だった。日本ではこうして鉢植えを置くのか」
ブライアンさんは歩きながら、小さな発見を重ねている。両親や祖父母がカナダで持ち続けた日本の生活習慣。その断片を見つけては、彼らのたどった道に思いをはせる。
高台の展望スポットに出た。小雨にかすんだ向こうに小さく大斎原(おおゆのはら)の鳥居が見える。ベンチに座り、アメリカから来た夫婦とその友人たち、オーストラリアに住むイギリス人の夫婦ら6人が談笑していた。みな、歩いていて知り合ったという。
「こうして偶然出会った知らない人たちと一緒に歩き、親しくなれるのも、この旅の醍醐(だいご)味だよ」と、一人が言った。
ブライアンさんは再び歩き出して言った。
「歩きながら、1000年以上この道を歩いてきた人たちと、どこかで精神的なつながりを感じることができた気がする。ここを歩くまで、この旅が両親や祖父母の生きた道をたどるものになるとは、思ってもいなかった」
食卓で弾む会話
熊野古道はところどころで小さな集落を通る。地元の人は、慣れた様子で手を上げてあいさつを交わす。
「ここは古くから熊野詣に来る参拝者が家の裏を歩いていて、よそ者に慣れていたと聞きます」
田辺市中辺路町近露(ちかつゆ)で、2019年からゲストハウス「近露そら」を営む天野直美さんはそう話す。夫の泰行さんと神奈川県に暮らしていたが、和歌山市出身の泰行さんと、定年後に移り住んだ。
民家を改修した宿で、1年に約1000人の客を迎える。その約9割は外国人客だ。
夕方になると、1日のルートを歩き終えた人たちが到着し始めた。汗を流し、色とりどりの浴衣を着て大きな食卓を囲む。
この日は、オーストラリアから来た親子3人、一人旅をしているアメリカ人の若者、やはりアメリカ人の夫婦の6人で夕食を囲んだ。刺し身、鶏の照り焼きと野菜、雑穀米のご飯とおみそ汁、栗のデザート。お米は同じ集落の田んぼで収穫したもので、栗は庭の木になったもの。すべて直美の手作りだ。
ベジタリアンのアメリカの夫婦には鶏の代わりに豆腐料理を用意。小麦などが食べられない人にはしょうゆも専用のグルテンフリーのものを使うなど、アレルギーや要望に応じ、一人ひとりに合わせた食事を作る。
知らない人同士だが、食卓ではすぐ会話が始まる。「去年はネパールに行った」「タイもおすすめ」「北海道や長野もいい」。聞いていると、世界各地を歩いている人が多い。ある夜には、3組のうち2組がエベレスト登頂の経験者だった。その国の自然や、地元の生活や文化に触れる旅をしているのがうかがえる。
これまで何度か日本を訪れたというオーストラリア在住のキム・フラーさん(52)は、「外資系リゾートホテルが立ち並び、日本の文化や魅力を感じられなくなってしまった場所もある」と嘆いた。「熊野がそうならないことを祈るばかり」
初めて来日し、1人で熊野古道を歩いているというアメリカ出身のトラビス・ステドニックさん(24)は、地元シアトルでも、よく1人でトレイルを歩いて過ごすという。
「ここは森の中を歩けるだけでなく、古い巡礼の道だと知り、魅力を感じたんです」
自然の中を歩くことが瞑想(めいそう)に通じる、と話す人が何人かいた。フランス出身のナターシャ・メラロさん(43)は「自然の中を歩くことは瞑想に似ていて、深くものを考えるようになる。今日は、これから人生で挑戦したいことは何だろうかと考えながら歩いていた」と言う。
直美さんと泰行さんは、時々話に入りながら、食卓の会話を聞いている。ここで食事をした人は3000人をくだらない。
ある時には、ボートピープルとしてベトナムを逃れた姉妹が、当時の記憶を癒やそうと歩きに来た。その話を聞いたアメリカ人男性が、麻薬中毒だったことを明かし、歩くことで人生を見つめ直したいと語った夜もあった。
「少し前まで、わざわざ来るのは思い入れの強い人が多かった」と、泰行さんは言う。だが、いまではネットやSNSでたまたま知ったという人も少なくない。
中辺路に向かうバスの中で出会ったフランス出身のアン・バゾージュさん(31)は「いまどき」の旅をしていた。熊野古道をどこで知ったか聞くと、あっけらかんと言った。
「チャットGPTに日本の旅のおすすめを聞いたら、熊野古道が出てきた」
茶屋で交わる人たち
発心門王子から熊野本宮大社に向かって歩き始めて1時間あまりで「伏拝王子(ふしおがみおうじ)」に着く。その向かいにあるのが、伏拝茶屋だ。
乾ひろ子さん(76)が明るい声で、「ディス・イズ・ジャパニーズ・ハーブ・ジュース」と、地元で作った真っ赤な「しそジュース」(200円)を売り込んでいる。海外からの観光客に物おじしない明るさと身ぶり手ぶりで、ちゃんと通じている。それでも、「月に2回、市役所で開かれる英会話講座に通ってもう7年。なかなかうまくならないわ」と嘆いた。
茶屋は、地元の有志7人がボランティアで運営しているという。
「聞いたことのない国の人もたくさん来るようになったから、地図を見てどこから来たのか教えてもらっている」と、壁に貼った世界地図を指さした。
乾さんはこの近くで生まれ育った。「高齢化が進み、若い人はほとんどいなくなった。でも、ここにくれば世界中の人に会える」
「スピリチュアル」を求めて
お昼どきの茶屋は忙しい。ひっきりなしに外国人客がやってくる。
カナダから友人と来たアンバー・ガートナーさん(62)は、「ここは自然が素晴らしい」と繰り返した。カナダにはもっと広大な森林があるのでは、と言うと「熊野は雰囲気が全く違う。ここは巡礼路と歴史があり、人と自然との距離が近い」
話していると、熊野古道を言い表すのに決まって出てくるのが「スピリチュアル」という言葉だ。
フランスから来たナタリー・ブルネさん(50)は「スピリチュアルな体験をしながら歩ける旅がしたかった。熊野古道はまさにそれだった」と言う。
ステドニックさんも「熊野古道のスピリチュアルな面にひかれた」と言い、メラロさんも「スピリチュアルな旅がしたかった」。
もっとも、それが何を意味しているかは、人によって少しずつ違うようだ。歴史や巡礼路などの背景を感じたいという意味合いもあれば、歩くことで得られる精神的な充足感も含まれているようにも聞こえる。
「スピリチュアル」を求めて、変わった旅をしている女性たちにも出会った。デンマークから来たリナ・ショキョレヤーさん(77)と友人のアンマリー・リスビョーグさん(69)だ。
熊野に来る前には東京や大阪、京都などのパワースポットを巡ったと、大きな岩の写真などを見せてくれたが、知らない場所ばかりだ。熊野古道はどうかと聞くと「ものすごくレイキ(霊気)を感じる」と声を合わせた。
何カ月も先まで宿泊予約が埋まっている熊野古道を、ふたりは宿を取らずに歩いていた。「泊まれるところを知りませんかと聞きながら歩くと、たいてい『うちに泊まる?』という人に会える」とショキョレヤーさん。
半信半疑で聞いていると、「昨夜は近くの神社の人が家に泊めてくれた」と写真を見せてくれた。お金の節約ではなく、人と出会うためだからと、宿泊代に近いお金をお礼に置いていくという。お昼を食べ終わると、ふたりは「そろそろ今夜泊まるところを探さなくちゃ」と言いながら茶屋を出て行った。
私も再び、熊野本宮大社に向けて歩き始めた。
朝からぱらついていた雨は次第に激しくなり、木々の間を雨が降ってくる。ぬかるんだ足元に気を使いつつ、1時間半ほど歩いた。最後はびしょぬれになりながら、熊野本宮大社に着いた。
雨にぬれた本殿は、降りてきた山々を背景に、厳かな雰囲気をまとっている。荷物を下ろして本殿に参拝すると、心地よい疲れが広がった。
本宮の外は静かな町だ。派手なのぼりも、はやりの食べ物の店の行列もない。その落ち着いた雰囲気にほっとする。参拝を終えた人たちは、それぞれの宿へと散っていった。
熊野はこのままでいい
今年は、円安を背景に、世界中から観光客が日本を訪れた。インバウンドの観光客がスーツケースを引っ張りながら町を歩く光景にはすっかり慣れつつある。インバウンド客をターゲットにした店舗や、大きな商業施設が各地にでき、東京では高級ブランド店に列が延びる。
一方で、そうした「作られた観光地」を巡るより、ありのままの日本の自然や文化、「ふつう」の生活に触れたいという旅行者もまた、確実に増えている。熊野古道で出会ったのは、まさにそんな人たちだった。
熊野古道の旅は、二つの意味で贅沢(ぜいたく)だ。訪れるにはある程度長い旅程が必要で、数日間の宿泊と荷物の運搬、京都や大阪からの交通費などを含む海外客向け旅のプランは20万~30万円くらいかかる。そして、歩くのは森と古い集落。毎日巡礼路を歩き、地元の生活を体験することに意味を見いだす人にしか、その価値はわからない。
海外からの旅行者と一緒に宿に泊まり、歩く中で、私自身、学ぶことは多かった。地元の人は、「熊野を訪れる海外客は、その土地の習慣や文化に敬意を払う成熟した旅行者が多い」と話す。私たちがより新しく、より便利なものを追い続けるなかで切り捨ててきた素朴な生活や生き方、手つかずの自然を楽しむ。
田辺市熊野ツーリズムビューローで熊野古道を海外に売り出したカナダ出身のブラッド・トウルさんは、当初、「本当に海外から人が来るのか」といぶかる地元の人たちを、「熊野はこのままでいい。ありのままの良さが伝われば、世界から人が来る」と説得したという。
観光だけではない。私たちの生活のあり方そのものについても、考えながら歩いた旅だった。