――小さな頃の食べ物にまつわる思い出を教えてください。
終戦の時、小学2年生でした。疎開していたんですが、食べ物がなくて、すいとんとか、サツマイモばっかりで、コメのご飯はほとんど食べたことがなかった。いつもおなかをすかしていましたね。だから、子どもの頃に何かを食べて「おいしい」という記憶はないです。お砂糖を手のひらにちょっと載せて、なめていたのを覚えています。私たちはそういう話が通じる、最後の世代なんでしょうね。
終戦後は栃木にいましたけど、魚屋さんは村に一軒もなかった。年に何回か、車で売りに来る業者から塩ジャケを買ってたかな。刺し身を初めて食べたのは、大学生になってから。肉もカレーの中に入っている細切れ肉しか知らないから、塊の肉なんて見たことなかった。食べ物が余る、ということがなかったですね。
――長く食のエッセーを書いています。
「あれも食いたい これも食いたい」(1987年から2023年まで続いた週刊朝日の連載)は、「何でもいいからエッセーを見開きでお願いしたい」と言われて始めたんです。週1回だとすぐ締め切りがきちゃうから、「食べ物が一番良いんじゃないか」と。食べること自体はもちろん好きだったけど、これなら書きやすいだろう、という職業意識が理由でした。
雑誌の連載って、2、3年で終わるものが多いから、何十年も続くなんて全然思わなくて。同じ食べ物でも何回もやることになっちゃうんだけど、角度を変えるとまた書けるんです。僕のファンクラブというのがあって、その中の人で、僕の書いたもの全部読んで記憶してくれている人がいるんですね。過去に書いたものと重ならないように、その人に聞いて、書き出してもらって。ああ、これは書いているのか、じゃあこうしよう、と。それでも似通った内容になっちゃうこともあるんですけど。
みんなが知っている食べ物を取り上げるのが基本の考え方。高級なものはあまり取り上げない。みんなが食べていないものは共感が得られないでしょう。
――食べ物を残すことはありますか。
よくホテルの朝食でバイキングってありますね。たくさん食べ物を取ってきて結局残しちゃう人がいるでしょう。「ああ、みっともないなあ」といつも思います。欲張っていっぱい取りたい気持ちは分かるけど、それで残すとやっぱり「みっともない」「意地汚い」と思う。自分ではしないよう気をつけてます。
コンビニやスーパーの見切り品や訳あり品も好きです。お得感があるし、ちょっと古いとか、気にする必要は全くない。陳列品も前から取ります。というか、そういうことはほとんど気にしない。自然にそうしている。きれいであってもそうでなくても、多少日が経っていても、中身は同じ。コンビニのお総菜なんか、今は細かく1人分とかになっているから、まず余らせるということはないです。
でも、今は、みんな平気で残しますね。どうすれば良いのかな。お百姓さんの苦労を知ってもらうといっても、通じないかも知れない時代になっているし、難しいな。教育を続けるしかないのかな。食べられていない人が世界にまだいっぱいいますよって、伝え続けないといけないんでしょうね。
――今の食生活はどうですか。
少し前、体調を崩して入院していたんですが、病院の食事って塩分がないんです。塩気がないと、白いご飯でもこんなにまずいのか、と分かります。それも3食。あれはつらかった。見た目はおいしそうなんだけどね。塩辛かつくだ煮、しょっぱい物があればなあ、とずーっと思っていました。
僕はもともと、ごちそうを食べたいという風にはあまり思わない人間なんです。若い頃、30~40代の頃かな、ステーキが食べたいなあとか思ってた時があったけど、その時期だけですね。究極的には白いご飯とイカの塩辛とか納豆があれば十分。ご飯としょっぱい物ね。あ、ご飯はブランド米じゃなくても良い。パックのものをレンジでチンすれば、十分おいしいから。
――お酒はどうですか。ショージ君と言えば、「ビールに串カツ」では?
今回入院してからは飲んでません。医者から駄目と言われていますから。全く飲まないのは初めてだと思います。今はノンアルコールビール。海外の、一回ちゃんとビールをつくってからアルコールを抜くやつ。あれはおいしい。
串カツか。駅前のお店で食べたり、コンビニで買ってきたり、色んなところで食べましたね。串カツは好きだったな。うん、食べたいな。うん、本当のビールも早く飲みたいな。