その男性とは、ドイツ・デュッセルドルフに住むマーク・フランケさん(55)。医学界ではかつて匿名で「デュッセルドルフの患者」として知られたゲイの男性だ。
フランケさんがHIVの感染を知ったのは2008年。2010年から3種類以上の薬を併用する抗レトロウイルス治療を受け始めた。だが、2011年に急性骨髄性白血病を発症した。一度は良くなったものの、2012年に再発。もはや打つ手がなくなったとき、世界で1例だけ行われたことのある新しい治療法を知った。
「CCR5」という遺伝子の変異によってHIVに耐性がある人の骨髄幹細胞を移植し、HIVの広がりを抑えるというものだ。2007年にこのやり方で、米国人の故ティモシー・レイ・ブラウンさんが「世界で初めてHIVを克服した」といわれていた。
「1度できたのなら、もう一度同じことができるのではないかと思った」とフランケさん。やがてこの遺伝子を持つドナーが見つかり、2013年、フランケさんは骨髄移植を受けた。世界で2人目だった。
その結果、現在ではHIVは「検出できないレベル」にある。ただ、主治医のビョーン・ジェンセンさんは、「完治した、という言葉は使っていない」と慎重だ。「HIVはどこに隠れているかわからない。体内に全くいないという証明ができない限り、『治った』とは言えない。ただ、抗レトロウイルス薬の服用をやめても、今もってHIVが検出されていないのは確かだ」
適合する遺伝子を持つドナーを見つけるのは簡単ではない。だが、国際エイズ学会のシャロン・ルーウィン前会長は「HIVの治療の未来に期待をもたらすもの」と語る。
フランケさんはこの治療を通じて、思いがけない出会いも得た。骨髄移植で幹細胞を提供したドナーのドイツ人アーニャ・プローズさん(58)だ。
フランケさんによると、ドイツでは骨髄移植から一定期間を過ぎると、提供者の情報を知ることができるという。彼はある日、提供者のプローズさんに手紙を書いた。「あなたのことを家族と呼ばせて下さい。私の命を救ってくれたからです。いつかお会いしてお礼を言いたい」
届いた手紙を開封した日、プローズさんは病院で初めての化学療法を受けようとしていた。フランケさんへの骨髄移植からしばらく後に、乳がんと診断されていたのだ。
「マークの手紙を読んで、ああ、私の人生は幸せだった、と思った。もし今がんで死んだとしても、一人の命を残すことができたのだから」
プローズさんの治療が落ち着いた2016年、2人は互いの家族と共に会った。そのときに撮った写真をフランケさんは大切にしている。笑顔のフランケの肩越しにを寄せるプローズさん。一人っ子のフランケさんは「この年にして姉ができるとは思わなかった」と話す。
フランケさんは医学雑誌やメディアに取り上げられるようになった。だが、長く顔や名前を出すことはなかった。
そんなフランケさんの背中を押したのは、プローズさんだった。「あなたが実名で出ることで、たくさんの人の希望になる。私も一緒に自分の体験を話せば、ドナーの意義を広めることができると思う」
プローズさんに励まされ、フランケさんは少しずつ、実名でメディアにも出るようになった。今では2人で学会にも招待される。取材を受けるフランケさんをプローズさんは静かに見守っている。「ヒーローはマークで、私ではないから」
ジェンセンさんによると、同様の治療を受けた患者は2024年7月現在、世界で7人になった。フランケさんは移植後、もっとも長く生きている患者として、HIV治療の新たな光になっている。