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カンボジアの女性たちに「学校」開設 青木健太さん「未来を語れる生徒を増やしたい」

Breakthrough 突破する力 更新日: 公開日:
工房で長く働き、実験校にも通う女性と=2024年4月、カンボジア・シエムレアプ郊外、宮城結月撮影
工房で長く働き、実験校にも通う女性と=2024年4月、カンボジア・シエムレアプ郊外、宮城結月撮影

カンボジア、アンコール遺跡で有名なシエムレアプから車で40分ほど走った村に、その「学校」はある。

週に3度、近所の小学校の授業が終わった後に、生徒たちが集まってくる。子どもたちに交じって大人の女性たちの姿も。国語と算数、美術の授業がある。カンボジアで典型的な、教師が一方的にレクチャーする形式ではない。4人で机を囲み、自分で、時に周りに質問もしながら課題に取り組む。教師は時々ヒントを出して、生徒が自分で考えるのを助ける。

青木健太さん(41)が率いる「SALASUSU」(クメール語で「学校、がんばって!」の意味)だ。この事業にたどりつくまで、20年以上かかった。

自分でやるより誰かを応援したい

東京・世田谷で生まれ育ち、父は銀行マンで母はピアノ教師。小学校から私立の一貫校。大学もそのまま行けた。だが、通い始めた塾が面白くて入り浸った。講師の永島孝嗣さんの授業は、「必死に考えさせる」もので、数学の面白さを知った。永島さんはその後も人生に影響を与えることになる。東大をめざす生徒が多く、「面白い人に会えるかも」と東大に進む。

何となく入った起業サークルで、「自分は自らやるタイプというよりも、誰かを応援したい」と、同じサークルで1学年上だった本木恵介さんと対象を探し始めた。そこに「児童買春をなくしたい」というフェリス女学院大学の村田早耶香さんが現れた。

「彼女はとにかく熱かった。私はこの問題を解決するために生まれてきたの、という勢い。ひどい話だし、彼女と取り組みたいと思った」。カンボジアに焦点を定め起業コンテストに応募して解決モデルを探った。日本国内でIT事業を起こし、その利益を原資に、孤児院の子どもたちにパソコンを教え始める。3人で「かものはしプロジェクト」としてNPOを創設。青木さんはIT事業の責任者に就任。事業に熱中して大学は中退した。

カンボジアの生徒から国外の大学進学者も出るなど成果も生まれたが、「問題は農村が貧しいこと。最貧困層の家庭の少女が売られてしまう。農村の貧困を解決するべきでは」と新たな事業を模索し始める。

観光客に売るみやげものを作る工房を作り、運営を始めることに。IT事業を人にまかせ、青木さんは2009年からカンボジアに渡り、現地の責任者に就任した。IT事業はその2年後に終了する。

今「学校」として使う場所、農村の一角に工房を開いた。ガスも水道も通っていない地域に住む最貧困層の10~20代の女性たちが通ってくるようになった。彼女たちの多くが、小学校にも通っていないか、途中で脱落。ものづくりに加えて、読み書きや計算なども教えた。

あわせて、日常のくらしのさまざまな問題に対応する力である「ライフスキル」もトレーニングした。「困難な環境に生まれ育ち、あきらめることばかりが多かったせいで自分に自信をなくしている」。60種類以上のワークショップを開発し、コミュニケーション、アンガーマネジメントから栄養、貯金や家計管理まで学ぶ。

工房で同僚らと=2017年、カンボジア・シエムレアプ郊外、木村 彩湖撮影
工房で同僚らと=2017年、カンボジア・シエムレアプ郊外、木村 彩湖撮影

「最初はもじもじして自己紹介もできなかった女性たちが前のめりになって目を輝かせ、自分の夢や目標を語ってくれるようになる。これが本当にうれしくて」。現地産品を使ったバッグや雑貨を開発、シエムレアプのマーケットに店を開き、オンラインでの通販も始める。

一方で、カンボジアでの児童買春は国内で規制が強まったこともあり、劇的に減っていた。カンボジアの事業を終了し、まだ人身売買の問題が多いインドに移そう。団体として意思決定したが、どうしても納得できなかった。「自分は人が生き生きと変わっていくのを見るのが好き。インドに人身売買があるから移ります、というのはリアリティーがなかった」。議論の末、独立して「SALASUSU」としてNPOを立ち上げることを決めた。2015年のことだ。

自信を失い、起き上がれなくなった朝

ここで最大の危機が訪れる。独立を決めて現地のスタッフと話し合う大事な会議の朝、起き上がれない。「今日行けない」とだけメールをして、すっぽかした。

それまでにも、突然いなくなることが何度かあった。「本当は自分に自信がないのに、自信があるふりをして、演じていた。つらかった」。よりによって大事な日に、いやだからこそ、限界を超えた。「みんなの前で、意気揚々と独立のビジョンやプランを語らなくちゃいけないと思うと苦しくて。どうしてもできなかった」

夜、管理職たちと向き合った。「何があったんですか」「だめじゃないですか」。そう言われて、思い切って吐露した。「自分はリーダーとして自信がない。人事や財務も苦手で、やるのが苦痛」。見放される、と思ったが、反応は全く違った。

「何で言ってくれなかったんですか」「私たちも青木さんに依存していました」「みんなでシェアしましょう」……。

「自分のダメなところを見せる正直なリーダーのほうが、みんなの力を発揮してもらえる。自分が格好をつけていたせいで、それぞれのリーダーシップを殺していたんです」。スタッフの仕事の分担を増やし、素の自分も積極的に見せる。楽になって、突然休むこともなくなった。

「彼には人間への深い信頼と愛情がある。ダウンしたのは、人のつらさや苦しさを自分のこととして引き受けてしまうから。独立の大事な時にあんなことがあったのに、ほとんどの人がやめなかった。それが彼のすごさだと思う」と、学生時代から行動を共にする本木さんは語る。

工房で。今は同じ場所を実験校としても使う=2017年、カンボジア・シエムレアプ郊外、木村 彩湖撮影
工房で。今は同じ場所を実験校としても使う=2017年、カンボジア・シエムレアプ郊外、木村 彩湖撮影

困難を経てやりたいことクリアに

だが一難去ってまた一難。今度はコロナ禍に襲われた。観光客が皆無になり、収入が半減。このままではつぶれる。クラウドファンディングをし、借金をし、それでも立ちゆかない。苦渋の決断で「家族」同様の工房の女性たちを半分解雇した。「彼女たちの家計も大変なのはわかっていた。でもどうしようもなかった」

残る仲間を維持するのも大変だった。コロナ前にちょうど、工房でやっていたワークショップから着想を得て企業のリーダーシップ研修を日本のNPOに売り込んでいた。それが功を奏し、オンラインの企業研修をして何とかしのぐ。自分たちの事業再考もして、コロナ禍が収まると日本向けのオンライン販売をやめて工房を縮小し、より教育に特化することに。「困難ななかでみんなの結束が強まった。何をやりたいのかクリアになりました」

塾の恩師、永島さんが再登場する。大学入学後も、彼や塾の仲間とはつきあい続けていたが、永島はその後、日本の教育改革に携わっていた。彼に工房でのトレーニングを見てもらったところ「ライフスキルを単体で教えるのではなくて、国語とか算数とかを勉強する中で育んでいくほうがいいのでは」と言われたことも気になっていた。工房の女性たちを見てもわかるように、小学校に行っても学力が身についていないカンボジアの教育内容の問題も頭にあった。世界銀行などの調査では、10歳で簡単な文章を読んで理解できる率が10%だという。日本は96%だ。

1月から、冒頭の実験校を始めた。授業料は格安だ。永島の協力も得て授業内容を練った。教師は、工房でライフスキルを教えていたスタッフ。工房の女性たちも生徒として加わると、「すごく良いんです。難しい問題でもあきらめずに手を変え品を変えトライし続け、周囲の小学生たちに話しかけ、学習を引っ張ってくれる。工房の文化が身についていたとうれしかった」。生徒たちはぐんぐんと成長し、手応えを感じている。実験校のモデルを公立校に導入し、教師養成も手がけたい。工房の女性たちが変わっていったように、生き生きと自分の未来を語れる生徒たちを増やしたいと願う。