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「時代遅れ」の紙媒体に私がこだわる理由 カンボジアの「月刊プノン」80号へ

トッケイ7回鳴いたかな。 更新日: 公開日:
編集オフィスには、歴代の表紙デザインを飾った

カンボジアに移住し、地域情報誌「月刊プノン」の発行を始めて7年目になる。プノンはフリーペーパーで、発行費用のすべてを広告費でまかなう。新卒ですぐに新聞社に入り、記者として編集局で17年を過ごしてきた私は、「書くこと」以外の仕事を知らなかった。しかし、プノンのために立ち上げた会社には現在、社長である私と、カンボジア人のスタッフ1人の計2人。デザインと印刷、配布の一部は外部の手を借りているが、編集と営業、経理は2人でこなすしかない。そうして毎月、70ページ前後の雑誌を作り続けている。

雑誌一冊が出来上がって届けるまでの過程をすべて体験してみて、私は多くのことを学んだ。いや、まだ学んでいる最中だ。記事を書くだけでなく、広告営業をし、印刷工場へ行き、刷り上がった本は500カ所以上の宅配を含めた約700カ所にスタッフの手だけで届け(業者に依頼すると全部届かないことがあったから)、そのあとは請求書をもって集金にまわる。それを、毎月毎月繰り返している。

相棒のカンボジア人スタッフ、スレイレアックと

前職は国際報道に携わる新聞記者だった。記者として世界各地へ取材に行き、800万部の新聞に署名入りで記事を書くことは、素晴らしいやりがいを与えてくれた。しかし、ほんの数人で2500部の小さなミニコミ誌を手配りするこの世界にも、同じぐらい、社会と人間について知り、人生を豊かにしてくれるさまざまな気づきがある。そう思う毎日だ。

雑誌をつくるとき、私は「知っている人が出てくる本」を作りたいと思った。これは町内会報だ。遠くにいる偉い有名人よりも、近所のおじさんやおばさんが出てくる雑誌がいい。仕事とか人生観とか、シラフではこっぱずかしくて言えないようなことを真正面から語る場を作りたい、と考えた。その代表格が、巻頭4ページにわたるインタビューシリーズだ。

2013年の創刊から現在まで、52人の方々にじっくり話を伺い、1回につき4000字前後、のインタビュー記事にした。日本人、カンボジア人、中国人。活躍する分野もいろいろだ。異国で偶然にも、人生のあるひとときを分かち合うことになった人たちと、誌面を通して語らう。それが、ときに心細く孤独にもなる在外生活で、理解や励ましや、支えになったらうれしい。そう願った。

月刊プノンの最新号(1月号)

大事にしているのは、生き生きとした彼ら自身の言葉だ。たとえば、古い邸宅を改築して創業したブティックホテルが話題となり、今ではカンボジア各地に10軒近いホテルを展開するフランジパニ・ヴィラ・ホテルグループのディン・ソムティアリさん。急成長したホテルだけに、真似されたり、スタッフを引き抜かれたりすることがよくあるという。「真似されるのは頭にきませんか」という私の問いに、悠然とこう答えた。「真似しても盗んでもいい。彼らは一番大切なものを盗むことはできないから。それは仕事への情熱とアイデアです」。

ポル・ポト時代を生き抜いたジャーナリスト、コン・ボーンさんからは衝撃的な話を聞いた。「一緒に捕まった親友が、目の前でポル・ポト派兵士に頸動脈を切られ、のたうち回って死んだ。私は穴に突き落とされ、そこから逃げようと必死だった。生きたくて逃れようとしたのではない。どうせ死ぬなら銃殺され、一瞬で死にたいと願ったからだ」

また、「人を育てること、私はこれを人格的な協力と呼んでいる。相手の心をくみとる協力や外交を続けることで、カンボジア社会に日本の存在感が浸透してほしい」と、語ってくれたのは駐カンボジア日本国大使だった篠原勝弘さん。

カンボジアで初めての近代的な大規模小売店をつくったイオンモール・カンボジアの矢島誠社長(当時)は、「今、売れているものを並べても遅い。これから売れるものを見抜いて、新しいライフスタイルを提案していくのが最先端のショッピングモールとしてのわれわれの役割」と、話した。

日本食を紹介するイベントなど、日本文化紹介の活動もしている

若い起業家で、遺跡と村の暮らしを軸にした新たな観光スタイルを提案しているナプラ・ワークスの吉川舞さんは「訪れる人の心に響く滞在にしたい。遺跡を見るだけでなく、周囲の村人たちと触れ合い、自分なりの物語を体験してほしい」と、語ってくれた。舞さんが活動の場としているサンボ―プレイクック遺跡群は、このインタビューの後、世界遺産に登録された。

17年もの長い間、プノンペンの多国籍コミュニティ合唱団をとりまとめてきた神内真理さんからは、「毎回メンバーが変わり、国籍も言葉も音楽のレベルもばらばら。自分がエネルギーの出し惜しみをしたら、だれもついてこない。全身で動いて引っ張った」という、たおやかな外見からは想像し難い力強い言葉が飛び出した。

カンボジアの伝統舞踊を体験するイベントを地元の団体と共催

自分にとって新しい人、未知の分野に足を踏み入れるたび、「こんな人が身近にいたのか」と驚かされる。そこから輝くような、たぎるような言葉が出てきたときには、書き手としてこの上ない喜びを感じる。私が、時代遅れともいわれる紙の媒体にこだわるのは、紙媒体だからこそ、そんな出会いができると思うからだ。

正直、紙の媒体を一度はやめようと思った。時代はインターネットだ、紙をやめれば印刷費も配布費用も手間も浮く、などと考えた。でも、ぎりぎりのところで踏みとどまる決断をした。ネットニュースやソーシャルネットワーキングサービス(SNS)は、トピックを選んだり、検索をしたりできる。つまり、情報をカスタマイズできる。でも紙媒体は、媒体を選ぶところまではできても、中に書いてあることを検索はできない。余計なものをたくさん目にしながらでないと、目的地にたどり着けない。

「余計なこと」を知る。それは時間や労力の無駄だろうか。プノンにも、巻頭インタビューを含め、知りたいと思っていないことや、探していない人やものがたくさん載っているだろう。読者が実際に利用できる情報は一冊の中に一つか二つしかないかもしれない。それだって「グーグル先生」なら瞬時に検索してくれることだろう。

それでも、私はこの無駄がいとおしい。自分が関心すら持たなかった未知の世界への入り口であり、知ろうともしなかった隣人への架け橋だ。そんな入り口が見つかるのなら、なにも急いで探し物にたどり着かなくてもいいのではないかーー。カスタマイズや検索の便利さに恩恵を受けていながら図々しいことだが、私はそんな、まどろっこしさが好きなのだと思う。

イベントの撮影をする筆者=プノンペンで

異国で暮らすということ。それ自体がすでに、多くの人にとって未知への挑戦だ。大きな挑戦に疲れ、ときにはいろいろなものに目や耳をふさいでしまいたくなる。広い世界を求めてきたのに、視野が狭くなる。決まりきったことを繰り返すだけの日々に安らぎを感じる。エネルギッシュな情報やメッセージがあふれるSNSに、辟易とすることもある。

何かを探すためではなく、何も探したくないとき、寄り添うようにそばにある媒体。そこで思ってもいなかった新しい世界への入り口を見つけ、励まされたり、癒されたりする。世界はこんなにも広くて深いのだと、自分の悩みの小ささに気づく。余計なものがたくさん目に入る、まどろっこしい時間を楽しむ。「情報誌」としては逆説的で笑っちゃうけれど、私はプノンを、そんな時間と空間を提供する雑誌にしたいと思っている。