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「呪術的」と冷笑されたイスラム金融 リーマンショック後に再評価が進んだ理由とは

World Now 更新日: 公開日:
京都大大学院アジア・アフリカ地域研究研究科の長岡慎介教授
京都大大学院アジア・アフリカ地域研究研究科の長岡慎介教授=2024年5月10日、京都市、中川竜児撮影

イスラム諸国の人口増加と経済成長を背景に拡大を続けるイスラム金融。日本ではまだなじみが薄いため、「利子を取らない」といった独特の手法だけに注目が集まりがちだ。その歴史と考え方、展望について、京都大大学院アジア・アフリカ地域研究研究科の長岡慎介教授(44)に聞いた。

――近代のイスラム金融の始まりについて教えてください。

19世紀 、ヨーロッパの国々がイスラム世界に入った時に、利子を取る銀行(従来型銀行)も一緒に入ってきます。近代以前のイスラム世界では利子を取らない経済活動がありましたので、西欧化や近代化に対して、利子を本当に取っていいのかという論争が起きました。社会や経済が資本主義によって塗り替えられていく中で、もう一度イスラムに基づいた社会や経済を作り直そうという機運が次第に高まっていきました。

20世紀半ば、高名なイスラム思想家で、パキスタン建国にも大きな役割を果たしたマウドゥーディーという人が講演し、資本主義が抱える色んな問題の解決にはイスラムに基づいた経済活動が重要だと訴えました。それを聞いた思想家や経済学者が具体的にどうすれば銀行ができるか、模索を始めたのです。

マレーシアの巡礼基金タブン・ハッジのサイード・ハマダCEO。手にしているのは基金がつくられた1960年代の写真で、カウンターの横に立っているのは父親だという
マレーシアの巡礼基金タブン・ハッジのサイード・ハマダCEO。手にしているのは基金がつくられた1960年代の写真で、カウンターの横に立っているのは父親だという=2024年5月31日、クアラルンプール、中川竜児撮影

試行錯誤の結果、マレーシアでは1962年に巡礼のための積み立て基金(のちのタブン・ハッジ)ができ、エジプトでは農民を対象にした銀行ができました。

一気に花開いたのは1970年代です。それまではアラブ民族主義というイデオロギーもあったのですが、第三次中東戦争でイスラエルが大勝し、アラブ民族主義ではなく、やはりイスラム復興だと注目が集まりました。

もう一つは、お金の問題です。1973年のオイルショックで、アラブの湾岸諸国にはオイル・マネーが入ってきた。お金を手にしたムスリムの商人たちがこれを元手に銀行を作ろうと考えた。1975年にアラブ首長国連邦のドバイで世界初の商業イスラム銀行ができました。同じ年に、サウジアラビアにはイスラム世界の世界銀行と呼ばれる組織ができ、実際に動き始めます。

―そもそも、なぜイスラム金融は利子を取らないのですか。

利子というのは、自分がもしそのお金を持っていたならば、稼げたであろうお金の補償を誰かにしてもらうということで、機会費用の一種だといえます。例えば100万円持っていて、これを使ったら、1年後に110万円になったかも知れない。それを他の人に貸し与えることで、110万円になる機会を逃したから、10万円補償してもらうということです。

イスラムの教えは機会費用の概念自体を否定しているのではないと私は思っていますが、何もしないでお金が増える、貨幣が自己増殖するように増えていくことに対して、きわめて否定的です。イスラムの聖典のクルアーン(コーラン)にもありますが、自分の財産、あるいは神が作ったその周りの自然や資源はきちんと人間が汗水を流し、加工するなり活用しないといけない、つまり「自分が働く」ということが利益を得るための正当化の根拠になっているので、それに貨幣の自己増殖のようなことは反しており、不労所得ということになります。

――理念は分かりますが、銀行がお金を預かったり貸したりしても、そのままの額でやり取りするのであれば、商業的に成り立ちません。

そうです、銀行もやっぱりお金をもうけないとやっていけない。イスラム教はお金もうけを全く否定していません。要はもうけ方をきちんとするというのが、さっきお話しした「汗をかきなさい」ということで、働いた成果としてお金を受け取る仕組みが必要なのです。

例えば、従来型銀行がビジネスパーソンにお金を貸します。100万円貸して、彼がビジネスに使い、20万円とか30万円のもうけが出る。従来型銀行は最初に決められた利子がありますね、例えば5%とします。ビジネスが成功しても、失敗しても、100万円借りた場合、105万円を期限が来れば返します。

イスラム銀行の場合で考えましょう。100万円貸し、例えば50万円もうかったとすると、そのもうけをあらかじめ決めた割合で、ビジネスパーソンと銀行で分け合う。ビジネスパーソンがもうければもうけるほど、銀行ももうけが増える。逆に、もしビジネスがうまくいかず、100万円を返せなくなったとしたら、イスラム銀行は返してくれとは言えない。利益も損失もともにする。

クアラルンプールの繁華街にある銀行。従来型銀行とイスラム銀行の二つの看板を掲げている
クアラルンプールの繁華街にある銀行。従来型銀行とイスラム銀行の二つの看板を掲げている=2024年6月3日、マレーシア、中川竜児撮影

その心は、銀行はビジネスが成功するように、あたかも共同事業者のように時には口を出したり、アドバイスをしたりするということで、その働きがリターンをもらう根拠となるわけです。両者は、「顔が見える」関係なのです。例えば、返済期限が来て返せそうにないけど、あと3カ月頑張ったらもうけが出るかもしれないという時には、返済を延ばしてあげるとか。そういうことも可能になる。

――手がける事業によっては、お金を貸さないこともあるのですか。

イスラムの理念に反するものには貸しません。お酒を飲んではいけない、豚を食べてはいけないという教えがありますから、畜産やお酒を作る会社には貸しません。ギャンブルも駄目ですから、カジノにも貸しません。大企業であっても、その会社の運営に問題があるとか、労働者の働く環境に対して理解がないとか、子育ての支援の仕組みが全然考えられてないとか、今日的な意味でのコンプライアンスに反するような会社にも貸しません。非常に倫理的な判断をしています。

――お金を預ける側の私たち、生活者や消費者の側から見ると、銀行との関係はどういう風になりますか。

私たちは預けっぱなしで、1年後に通帳を見て「全然もうかってない、銀行は何をやってるんだ」という風ではなく、常にその銀行が適切な貸し出しや営業をしているかどうか、見ておく態度が必要とされます。変なところに貸し出しをしている、というような話があれば、預金を引き上げて他に移す。それが、預金者にとっての労働とみなされ、それによって、銀行が得た利益を、銀行と預金者でそれぞれ分け合うという共同事業者、共同経営者のような関係性ができあがる。

――日本では「金利がある世界」が戻ってくると言われていて、住宅ローンの金利に注目が集まっています。住宅を購入する際、イスラム銀行ではどうするのでしょうか。

イスラム銀行に対して、まずはどんな家が欲しいかをリクエストします。そして、イスラム銀行が住宅会社に行って、その住宅を仕入れる。それをイスラム銀行が顧客に対して転売するという形になります。転売する際、イスラム銀行の利益分をのせて、顧客は数十年の分割で支払っていくと。

――銀行が取る利益というのは、従来型銀行でいうところの利子と近いのでしょうか 。

利子があって当然の世界に生きている私たちからすればそう見えるかもしれません。しかし、ここでも利益の根拠は「自分が働く」ことなんですね。銀行は顧客が満足してくれそうな家を一生懸命探してくる。具体的には、顧客の代わりに住宅会社といろいろな交渉をして、価格をもっと安くしてもらったり、もっと住みよい設計にしてもらったりする。そうした銀行の「働き」の対価が、転売する際の利益なのです。そうしたイスラム銀行の姿は、金貸しというよりも「商人」です。商人はいかに安く良いモノを仕入れて、価値があると思ってくれる顧客に高く売って利益を手に入れる存在ですが、ここでのイスラム銀行はまさにそうした商人そのものなのです。

――日本に住み、銀行にお金を預けていたら、いくばくかの利子がつくというのが常識としてあります。その常識を否定するイスラム銀行の誕生は、どう受け止められたのでしょうか。

西洋社会からは無謀な挑戦だと見られました。近代イスラム銀行ができた当時、英国の公共放送BBCが使った表現は「ブードゥー・ファイナンス(呪術的な金融)」という冷ややかなものでした。しかし、少し先の話になりますが、2000年代にイスラム金融が急成長していくと、英国はイスラム金融を取り込むための税制を整え、ブレア政権の財務大臣は「イギリスをイスラム金融のゲートウェイにする」と演説しました。従来型の利子を取る銀行は中東や東南アジアにたくさんありましたが、それらの銀行もイスラム金融商品を扱う部門を設けるようになりました。

――イスラム金融の成功の要因はどこにあるとお考えですか。

まずは敬虔なイスラム教徒のニーズです。利子を取ること自体が本来は禁じられているわけですから、イスラム銀行ができる前まで、イスラム教徒はタンス預金をしていたり、女性の場合は金の装飾品を買ったりしていた。1970年代にイスラム銀行ができた時、イスラム教徒が銀行の前に列をなしたというのは、今でも語り草になっています。

マレーシアのイスラム教徒がメッカ巡礼のために積み立てたお金を管理運用する基金タブン・ハッジの建物
マレーシアのイスラム教徒がメッカ巡礼のために積み立てたお金を管理運用する基金タブン・ハッジの建物=2024年5月31日、クアラルンプール、中川竜児撮影

信仰面のほかには、実際に経済的な利益がきちんと出たということです。預金者にとってきちんとリターンがあるという点がなければ、成功はしていません。

――リーマン・ショックの後、イスラム金融が再評価されたとも聞きました。どういう事情だったのでしょうか。

世界金融危機の最大の問題は、貸し手と借り手の顔がお互いに見えないという「匿名性」があったと思います。簡略化して言えば、お金を返すことが不可能な貧困層に対して、アメリカの投資銀行が猛烈な貸し出しをしていた。住宅価格が上がっているときは住宅を転売すれば良かったが、はじけてしまったら、とたんに返せなくなった。そうした事情を、日本も含めた世界中の金融機関や機関投資家は知らず、アメリカの格付会社のデータだけを見て、「大丈夫だ」と思い込んでいた。

そうした経営のあり方、貸出の方法をきちんと見ていなかったことが大きな原因だったと私は思っています。先ほど説明したように、イスラム銀行では貸し手と借り手の距離が非常に近い。お互い何をしているか、どういう人からお金が来て、どういう人がどういう目的で使っているか、透明性が高い。つまり「顔の見える金融」です。そうした点が、リーマン・ショック後に見直されました。

――イスラム教徒ではなくても、イスラム銀行は使えるのですか。

使えます。これからのキーポイントは、いかにイスラム教徒以外の顧客を取り込んでいけるか、ということになるでしょう。東南アジアのイスラム金融のハブであるマレーシアでは、利用者の半分以上は非ムスリムとなっています。イスラム金融のマーケットシェアも今は30%を超えています。

――イスラム金融の今後の課題はどうでしょうか。

先ほど住宅ローンのところでも話題になったように、銀行が仕入れて転売するような仕組みに対しては、利子のある取引に近いというか、「利子を少し変えただけではないか」という批判がイスラム世界の中からもないわけではない。また、「顔の見える金融」の望ましさも話しましたが、世界の金融需要を見ると、必ずしも全てそのやり方でまかなえるかというと難しい。そうした現実を踏まえて、イスラム銀行が単なる従来型銀行のまねではなく、新しい金融商品のあり方をどれだけ提案できるか、ということになるかと思います。

社会の抱えている貧困や格差といった問題の解決に、イスラム金融が関与する仕組みがマレーシアやインドネシアでは作られていて、注目しています。金融システムでもうけた利益を、自動的に社会に還元するのですが、これは従来は公的セクターである政府が担っていた富の再分配を、民間ベースで行うという点でも画期的な仕組みだと言えます。そういう分野にイスラム金融が進出することは、新たな可能性を切り開くことができるのではないでしょうか。

イスラム金融の理念には、私たちが暮らす資本主義社会の問題をとらえ直すきっかけになるものがあります。資本主義に対抗し、覇権を握ろうとしているわけではありません。例えば小切手は、近代以前のイスラム世界で使われていた仕組みなのですが、現在、小切手を「イスラム的」とは呼びません。誰もが当たり前に使っていて、由来など気にしない。私たちの社会をよくするため、資本主義社会のゆがみを修整するためにイスラム金融が有効なのであれば、どんどん使っていけば良いと思います。