■日本がアメリカを4つ買えた時代
株価は86年ごろから上昇が目立ち始めた。87年10月に世界同時株安があったものの、89年12月29日には日経平均株価が一時、3万8957円をつけた。
地価も上がり続けた。日本の土地の時価総額で「アメリカが四つ買える」といわれた。人々は「地価は下がらない」と信じて、マンションの買い替えに走った。「地上げ屋」が土地を買いあさり、転売して巨額の利益を上げた。リゾートやゴルフ場開発があちこちで行われた。派手な金づかいが目立つ開発業者は「バブル紳士」などと呼ばれた。
ある大手製紙会社の実質的オーナーは90年5月、ゴッホの「ガシェ博士の肖像」を125億円で、ルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」を119億円で落札した。ゴッホの125億円は当時の史上最高値。土地や株を売って金をつくったという。「死んだら絵を棺おけに入れてくれ」と語り、非難された。
多くの金融商品が登場し、企業も個人も「財テク」にいそしんだ。企業が株や不動産の「含み益」もあって潤っただけでなく、個人もおこぼれにあずかった。
夜の銀座では、1本10万円以上のシャンパンが当たり前のように抜かれた。大通りには、クラブから出てくる主を待つ黒塗りの社有車が二重三重に列をなした。タクシーは全然つかまらなかった。
東京・芝浦にあったディスコ「ジュリアナ東京」には、「ワンレン・ボディコン」姿の女性たちが集まり、「お立ち台」で扇子を振って踊った。クリスマスイブには、東京・赤坂の旧赤坂プリンスホテル(通称「赤プリ」)にカップルが押し寄せ、チェックアウト時に来年の予約をして帰った。テレビでは「トレンディードラマ」が人気を集めた。
就職も好調で、空前の売り手市場になった。内定者が他社に流れないよう、研修名目で国内や海外旅行に連れ出す企業も出た。ただ大量採用されたため競争が激しかったり、バブル崩壊後にリストラされたりした例もある。
バブルは必ずはじける。日本のバブル景気も、90年2月の株価暴落などで終息に向かった。だが渦中では、後に振り返ると「なぜ、あんなことを」と思うような奇妙な出来事もあった。
91年8月、預金証書を偽造した巨額詐欺事件で逮捕された大阪・ミナミの料亭の女性経営者に対し、日本興業銀行(現・みずほ銀行)がグループ全体で2000億円超を融資していた。この経営者は独自の信仰で神がかり状態になって株式相場の予想などをしており、多くの銀行や証券会社の担当者が群がった。一個人に破格の融資をした興銀の当時の頭取も、経営者に何度も会ったとされる。
先進国はいま、ゼロ金利かそれに近い超低金利だ。こうしたことは中世社会が終わるときにもあった。地中海世界で投資先がなくなって、中心だったイタリアの金利が1%台にまで下がった。それでイタリアの投資家はオランダやイギリスにお金を移した。
バブルと資本主義は、切っても切れない関係にある。イタリアの投資家がオランダにお金を移したことが、チューリップバブルにつながった。投資先がない行き詰まりのときに、バブルをつくる。
地中海世界からすると、北部のドイツやフランス、イギリスを取り込むことで、超低金利を乗り越えたといえる。コロンブスが新大陸を発見するなど、地中海世界の何倍もの世界が外部にあった。
資本主義はフロンティアを見つけることで、危機を乗り切ってきた。しかし20世紀後半からグローバル化が進んで、中国やインドなど新興国を統合し、もう地理的なフロンティアは残っていない。株式市場では、1億分の1秒単位で取引しなければ利益をあげられなくなっている。
グローバル化で世界中がゼロ金利になれば、海外に投資しても利益が出ない。いまの日本は貿易収支がおおむねトントンだが、原油価格が100ドルに上がれば、すぐ10兆円ぐらい貿易赤字が出てしまう。外国からの利子も期待できなくなれば、日本の「稼ぐ力」は衰える。日本政府がコントロールできない海外の環境変化に大きく左右されるという綱渡り状態だ。
ケインズはこんな趣旨のことを書いている。ゼロ金利になれば労働時間が減り、「人間のあるべき姿」を考える時間が手に入る。でも人間は相変わらず働け働けで、貨幣を求めているだろう、と。
実際、中央銀行は量的金融緩和を行い、貨幣を求めさせ続けている。そのお金を貸し出せと銀行に言っているが、貸出先、投資先など、もうどこにもない。必要なときに必要なものが手に入る。十分満たされた、行き着いてしまったということだろう。そういう意味で、資本主義は最終局面を迎えたといえる。(構成・星野眞三雄)
みずの・かずお 1953年、愛知県生まれ。80年、早稲田大大学院経済学研究科修士課程を修了し、八千代証券(現・三菱UFJモルガン・スタンレー証券)に入社。2010年に退社し、内閣官房内閣審議官などを務めた。16年4月から法政大教授。