20年続く論争 どちらを信じればいいのか
金融政策の話は難しい。経済学の博士号を持っている人たちが、全く異なる見通しや懸念を持ち、論争をしている。
日本銀行による積極緩和策を唱える「リフレ派」と、超金融緩和や財政との一体化のリスクを指摘する「反リフレ派」の20年以上の論争。知人からは、「どちらを信じれば?」との迷いをよく聞く。迷って当然だと思う。
どちらの主張が正しかったのかは、いずれ歴史が審判を下すだろう。ただ、どちらを信じるかで、貯金や投資、借金をして家を買うべきかといった私たちの「今の行動」は変わってくる。
日本の財政金融政策が正しい方向だと思えば、円預金や日本の株・債券を中心とした投資で問題ない。他方、このままでは危機が来て円が信認をなくすと思う人は、外貨預金や外国の証券投資などに移し替えたりするだろう。将来、高いインフレ率になると思えば、お金の価値が下がるわけだから、預金をするより借金をするほうが合理的になる。
「専門知」の分裂……それは、個人にとって厳しい判断を迫られる時代となって、眼前に広がっている。
私は、1990年代、経済記者として日銀の金融政策や、大蔵省(現・財務省)の金融行政を担当した。2000年代にはワシントンに赴任してFRBもカバーした。正直に告白するが、そうした経験に恵まれてもなお、金融政策の議論は私には難しい。考え方も変化してきた。
98年に日銀法改正にあわせて本を出した。米国に駐在していた02年、その本が文庫化されるにあたり、そのころから活発化していた「リフレ派」「反リフレ派」の議論を整理する必要に迫られ、補章をつけた。
当時の私は、「リフレ派」寄りだった。日銀の政策はあまりに消極的に思え、それまでの政策を批判し、積極策を取るべきとの考えを記した。「だが、そう考えるのは、今アメリカにいて、アメリカ人のエコノミストや当局者の意見を聞きすぎているためかもしれない」との留保はつけた。米国の主流派エコノミストの多くは、日本が取るべき金融政策については、「リフレ派」の立場だった。
私が米国の主流派への懐疑を強めたのは、その1年後、03年のことである。FRBは00年のITバブルの崩壊後、超金融緩和を続けていた。金利低下を生かし、住宅を担保に借金を増やして新車を買うといった人々の行動に、日本の80年代のバブルと共通するにおいを感じた。米国を去る直前に書いたFRBの連載の最後の記事は「危うい成長構造」という見出しにした。
当時、米国の当局者やエコノミストに「住宅バブルが起きつつある」と指摘したが、「日本とは全く状況が違うよ」と、ほとんどの人に相手にされなかった。バブルが崩壊し、世界を揺るがす金融危機に発展したのは5年後だった。
今も米国の主流派の学者・エコノミストの中には、日本経済の処方箋について「リフレ派」的な考えを持つ人は多い。
かつて「神様」 後に評価急落
ただ、神様のようにもてはやされた当時のFRB議長、グリーンスパンの評価はバブル崩壊後に急落した。少なくとも私は、FRBや米国の著名な学者の多くが、住宅バブルや金融危機の兆候を見逃したのを目撃して、経済学の権威だからといって、正しい見方や予測ができるとは限らないと感じた。中央銀行の力も過大評価しないほうがいいと考えるようになった。
世界金融危機後の2012年、FRBの名議長と言われたポール・ボルカーにインタビューをしたことがある。「中央銀行の試練は景気が回復した時に訪れる。その時、金融面の規律が保てるのか、心配している。投機や様々な行き過ぎ、新たな不均衡が急速に生じうるからだ」と話していた。「経済の不均衡や生産性の低さ、過度な借金体質といった問題を解決するために、意図的にインフレにしようとすると、インフレ率はどんどん上昇しがちだ」とも述べた。
FRBは今、そろりそろりと金利を上げ、超金融緩和からの出口にさしかかっている。日銀はまだ出口を探っていないが、インフレ率が2%を超えて上昇する時代になれば、利上げをめぐって政治との緊張関係も生まれるだろう。
どの国でも、政治のトップが中央銀行のトップを選ぶ。その意味では、中央銀行は最初から「政治的存在」だ。独立性が与えられているとはいえ、完全な独立ではない。
政府との協調は必要だが、政府と完全に一体化してしまうと、中央銀行に一定の独立性を与えている意味はわからなくなる。
先行きが不透明な今、多様な立場の専門家が、金融政策の効果とリスクについて議論を深め、世の中に提示することは大切だろう。間近に迫った次の総裁、副総裁の人選に、その問いは投げかけられている。