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「マラリア対策に特効薬なし」媒介する蚊を採集調査、天井式蚊帳…ケニアの地道な努力

World Now 更新日: 公開日:
村人の家で蚊の採集装置を取り付ける長崎大の現地スタッフ=2024年1月3日、ケニア西部ビタ近郊、荒ちひろ撮影
村人の家で蚊の採集装置を取り付ける長崎大の現地スタッフ=2024年1月3日、ケニア西部ビタ近郊、荒ちひろ撮影

いまも年間2億人以上が感染するマラリア。死者の8割が5歳未満の子どもとされる一方で、大人にとっても決して軽視できる病ではありません。

1月はじめ、ケニア西部ビタにある「国際昆虫生理生態センター」(ICIPE)の拠点を訪ねた。感染症や農業被害などを引き起こす害虫防除などを目的に、1970年に設置された研究機関で、日本の複数の大学なども拠点を置いている。

ケニア西部ビタにある「国際昆虫生理生態センター」(ICIPE)の拠点=2024年1月、荒ちひろ撮影
ケニア西部ビタにある「国際昆虫生理生態センター」(ICIPE)の拠点=2024年1月、荒ちひろ撮影

その一つ、長崎大学熱帯医学研究所の研究アシスタント、ジョージ・ソニエさん(58)らと早朝、近くの村へ向かった。前日の雨で少しぬかるむ道を進むと、土壁にトタン屋根の家が点在する集落が見えてきた。

「急に高熱が出て、頭痛や吐き気がしたから、病院で検査したらマラリアだった。漁の間に蚊に刺されたんだと思う」。訪れた民家で漁師のハドキン・オーヨーさん(25)が語った。雨期にあたる昨年4月ごろに感染し、薬で回復したが、村では同じ時期に40代の女性がマラリアで亡くなったという。子どもだけでなく、大人にとっても身近な病だ。

村人の家で蚊の採集装置を取り付ける長崎大の現地スタッフ=2024年1月3日、ケニア西部ビタ近郊、荒ちひろ撮影
村人の家で蚊の採集装置を取り付ける長崎大の現地スタッフ=2024年1月3日、ケニア西部ビタ近郊、荒ちひろ撮影

オーヨーさんの家は入ってすぐが居間で、仕切りを隔ててベッドが置かれている。ベッドの上には蚊帳がぶら下がっているが、広げられた形跡はない。「蚊が飛んでいれば音でわかる。昨晩は音がしなかったから使わなかった」と答えた。

村では、泥に牛糞を混ぜて固めた土壁と木の枠組みの上にトタン屋根をかぶせた形の家が一般的だ。土壁と屋根の間には、数十センチの隙間がある。日光を採り入れたり、換気をしたりするためだが、そこから蚊が入る。

今回、訪問した目的は、蚊の採集。前の晩、豆電球とファンのついた乾電池式の捕獲装置を、隙間近くにぶら下げていた。電球の光に引きつけられた蚊が、その下に取り付けられた袋状の網にファンの風で吸い込まれる仕組みだ。

村人の家に一晩設置し、回収した蚊の採集装置=2024年1月4日、ケニア西部ビタのICIPE、荒ちひろ撮影
村人の家に一晩設置し、回収した蚊の採集装置=2024年1月4日、ケニア西部ビタのICIPE、荒ちひろ撮影

装置を研究所に持ち帰り、冷凍庫で凍らせた後、蚊を選別した。ソニエさんが慣れた手つきで、ピンセットで蚊だけをシャーレに移し、顕微鏡を覗きながら種類を確認する。羽に斑点のある姿が見えた。

マラリア原虫を媒介する雌のハマダラカだ。別のラボに送り、PCR検査でさらに詳しい種類やマラリア原虫の有無を調べる。地道だが、感染の実態を把握するために重要な調査だ。

村人の家に一晩設置し、回収した装置で捕獲したハマダラカ(右奥の2匹)=2024年1月4日、ケニア西部ビタのICIPE、荒ちひろ撮影
村人の家に一晩設置し、回収した装置で捕獲したハマダラカ(右奥の2匹)=2024年1月4日、ケニア西部ビタのICIPE、荒ちひろ撮影

近くの別の村も訪ねた。夫と2人の息子と暮らすポーリーン・オロウチさん(25)も、幼いころから何度もマラリアに感染してきた。最後にかかったのは2020年で、病院で薬をもらった。長男(5)が2022年に感染したときも、病院で治療を受けた。だが昨年、次男(3)が体調を崩したときは「お金がなくて、解熱剤を与えて様子をみた」と話す。幸い回復したが、研究所で調査アシスタントを務めるルーシー・オケチさん(45)は「もしマラリアだったら、命にかかわっていたかもしれない」と指摘する。

ケニアの公立病院では、5歳以下の子の治療費は無料だ。だが、病院までの交通費がなかったり、治療とは別にお金がかかるのではと不安があったりして、病院に行けない人も少なくないという。

ポーリーン・オロウチさんと2人の息子たち=2024年1月4日、ケニア西部ビタ近郊、荒ちひろ撮影
ポーリーン・オロウチさんと2人の息子たち=2024年1月4日、ケニア西部ビタ近郊、荒ちひろ撮影

天井から室内全体を覆うように張る天井式蚊帳の普及を進める動きもある。

ビタの港から小型ボートで15分ほど、ビクトリア湖にあるムファンガノ島西部を訪ねると、ドリス・カワラさん(54)が自宅を案内してくれた。

トタン屋根の一番高いところから蚊帳を吊し、屋根を支える木の骨組みに留め付ける形で天井全体から土壁との隙間までをすっぽりと覆う。天井全体に「網戸」が張ってあるような印象だ。壁と屋根の間の隙間から蚊が入ってくるのを防ぎ、扉などから入ってきた蚊も天井にとまろうとすると殺虫剤が練り込まれた蚊帳で退治できる。

長年、地域の保健ボランティアを務めてきたカワラさんは、「こうした蚊帳の活用や、家の周りの茂みをきれいにすること、私たち保健ボランティアの啓発活動など、地道な取り組みの積み重ねで、マラリアによる死者は昔よりずっと少なくなった」と話す。

長年、地域の保健ボランティアを務めてきたドリス・カワラさん=2024年1月4日、ケニア西部ムファンガノ島、荒ちひろ撮影
長年、地域の保健ボランティアを務めてきたドリス・カワラさん=2024年1月4日、ケニア西部ムファンガノ島、荒ちひろ撮影

天井式蚊帳の取り組みは、大阪公立大の金子明特任教授(67)=寄生虫学=のチームによるマラリア対策の実証実験の一環だ。日本と現地の研究機関が共同で研究を進める開発支援の枠組み「地球規模課題対応国際科学技術協力プログラム」(SATREPS)の一つで、ムファンガノ島で2022~2023年、約2000世帯を対象に行った。

金子明特任教授のチームが実証研究を進めている天井式蚊帳。天井から室内全体を覆うように張るタイプで、従来の蚊帳に練り込まれた殺虫剤に耐性を持つ蚊にも効果がある、新たな薬剤を追加した素材でできている=2024年1月4日、ケニア西部ムファンガノ島、荒ちひろ撮影
金子明特任教授のチームが実証研究を進めている天井式蚊帳。天井から室内全体を覆うように張るタイプで、従来の蚊帳に練り込まれた殺虫剤に耐性を持つ蚊にも効果がある、新たな薬剤を追加した素材でできている=2024年1月4日、ケニア西部ムファンガノ島、荒ちひろ撮影

従来の蚊帳に練り込まれた殺虫剤に耐性を持つ蚊にも効果がある、新たな薬剤を追加したタイプで、感染を減らす効果が確認された。今後も検証を続ける予定でWHOの認証取得も視野に入れる。タンザニア保健省の要請を受け、薬剤耐性を持ったマラリア原虫の拡散阻止が緊急の課題となっているタンザニアとルワンダの国境地域での導入も計画されている。

金子特任教授は「マラリア対策に『magic bullet(特効薬)』は存在しない。ワクチンが登場しても、これまで進めてきた蚊帳をはじめとする蚊の予防策や、人々の行動変化など、包括的な戦略が必要だ」と強調する。