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「アートはすべての人を包摂する」英国ミュージアム発の認知症ケア、飼育動物と制作

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医療や介護に関わるスタッフが昔の体験や思い出を語り合う心理療法「回想法」に使える品物を詰めた「メモリー・スーツケース」の使い方などを学ぶ、トレーニングの様子ナショナル・ミュージアムズ・リバプールが開いた
医療や介護に関わるスタッフが昔の体験や思い出を語り合う心理療法「回想法」に使える品物を詰めた「メモリー・スーツケース」の使い方などを学ぶ、トレーニングの様子。ナショナル・ミュージアムズ・リバプールが開いた=2023年11月、リバプール、増田愛子撮影

「老い」や認知症患者に関わる取り組みを通し、市民に自分たちの社会的な役割を再認識してもらおうと、力を入れる文化芸術団体もある。

「ミュージアムは『モノ』を大切に保管し、そこに宿る人々の記憶や文化を語る存在。医療的アプローチとは異なる方法で、認知症の人や彼らをケアする人を支えられるのではないかと考えました」

そう話すのは、英リバプールなどにある七つの美術・博物館で構成するナショナル・ミュージアムズ・リバプール(NML)のキャロル・ロジャースさん(59)。

2012年、当時のキャメロン政権が打ち出した認知症対策の戦略を元に保健省の予算で始めた、認知症ケアを支援するプログラム「ハウス・オブ・メモリーズ(HoM」を率いてきた。

昔の体験や思い出を語り合う心理療法「回想法」に使える品物を詰めた「メモリー・スーツケース」
昔の体験や思い出を語り合う心理療法「回想法」に使える品物を詰めた「メモリー・スーツケース」=2023年11月、リバプール、増田愛子撮影

元々、館から足が遠のきがちな高齢者との接点づくりに取り組んできた。まずは認知症の当事者や家族、社会福祉の専門家たちへの取材から始めた。「アート界の人間は、慣れ親しんだ世界にとどまってしまいがち。そこから外に出て、認知症の人が必要とすることを理解したかった」とロジャースさんは振り返る。

最近の出来事を記憶するのが難しくなる一方、昔の記憶は保たれるという認知症の初期段階に多い状態に注目。モノに触れたり、見たりしながら昔の体験や思い出を語り合う心理療法「回想法」に使える品物を詰めた「メモリー・スーツケース」を作った。中身は古い雑誌やポスター、乗用車の模型などで、テーマや文化圏の異なる約20種類のスーツケースがある。

テクノロジーも積極的に活用。2014年には、自宅などでもこうした活動を体験できるアプリを開発。コロナ禍によるロックダウンを経た2022年には、引きこもりがちな高齢者や認知症の人に向けて、移動美術館を始めた。床面積が30平方メートルあるコンテナを自動車で運び、内部の壁の全面に1950年代の商店や街の景色などを投影する仕組み。没入型体験が楽しめる。

リバプール市が運営する認知症ケアの拠点施設のマネジャー、ジャッキー・カークさん
リバプール市が運営する認知症ケアの拠点施設のマネジャー、ジャッキー・カークさん=2023年11月、リバプール、増田愛子撮影

HoMの大きな特徴は、医療や介護に関わるスタッフへのサポートも行うことだ。

認知症当事者やその家族、介護・医療従事者の声をドラマ仕立てで紹介する映像を見て話し合ったり、スーツケースの使い方を学んだりするトレーニングを開催。英国各地の美術・博物館とも連携し、これまで3万人以上が受講。受講者の約8割が、認知症ケアに前向きな気持ちになったとの調査結果も出ている。

リバプール市が運営する認知症ケアの拠点施設でも、デイサービスの利用者の活動にアプリを取り入れている。マネジャーのジャッキー・カークさん(51)は、認知症ケアに美術・博物館が関わるのは「新しい考え方」と話す。「アプリを使うことで、会話が刺激される。どんな時にその人が幸せだと感じるかを知る、カギにもなります」 

高齢者施設でアート活動

英国では1970年代頃から、一部の芸術団体によってアートと高齢者を結びつける活動が始まっていたという。包括的な社会の促進に取り組む民間助成団体ベアリング財団(本部ロンドン)の代表、デイビッド・カトラーさん(63)は、この時期に「アートは社会の全ての人を包摂すべきだという考え方が広まり、『高齢者』も意識されるようになった」とみる。

民間助成団体ベアリング財団(本部ロンドン)の代表、デイビッド・カトラーさん
民間助成団体ベアリング財団(本部ロンドン)の代表、デイビッド・カトラーさん=2023年11月、ロンドン、増田愛子撮影

早い時期から、高齢者の芸術活動に特化して草の根で活動を続けてきた団体の一つが、英北東部ニューカッスルに拠点を置くイコール・アーツ。高齢者施設に暮らす人や孤立しがちな人など、アートに参加する機会の限られた人たちに向け、アーティストと共に様々なプロジェクトを展開してきた。

活動場所の一つ、高齢者向けのケア付き住宅を昨年11月に訪れると、10人ほどの入居者が共有スペースに集まり、施設内のカフェを飾る「パイ」をテーマにした壁画を作っていた。

イコール・アーツが高齢者施設で行っているアート活動の一つで、この日は施設内のカフェを飾る「パイ」をテーマにした壁画を作っていた
イコール・アーツが高齢者施設で行っているアート活動の一つで、この日は施設内のカフェを飾る「パイ」をテーマにした壁画を作っていた=2023年11月、英ゲーツヘッド、増田愛子撮影

自分たちで成形した果物や魚のパイの形の焼き物を金属のトレーに並べていく。「明るい緑色は真ん中に置いてみたらどう?」。イコール・アーツでの活動歴約15年というアーティスト、リンジー・グリーブズさん(53)が入居者の意見を引き出しつつ、作業を見守る。

自身も画家として活動していた、代表のダグラス・ハンターさん(56)は「高齢者の興味や関心に耳を傾けて関係性を築きつつ、より高い到達点に手が届くように彼らを刺激していく。それがアーティストの役割です」と語る。現在、講習などを経て適性を見極めた、約40人のアーティストと活動する。

イコール・アーツ代表のダグラス・ハンターさん(左)とケイト・パーキンさん
イコール・アーツ代表のダグラス・ハンターさん(左)とケイト・パーキンさん=2023年11月22日、英ニューカッスル、増田愛子撮影

高齢者の要望から始まった、ユニークなプロジェクトが「ヘン・パワー」だ。

高齢者施設の庭などで雌鶏(英語でhen)を飼育。作品の題材にするなど、アート活動にも生かす。コロナ禍でピーク時よりは減ったものの、今は約30施設で取り組んでいる。

「ヘン・パワー」プロジェクトに参加する高齢者(左)
「ヘン・パワー」プロジェクトに参加する高齢者(左)=イコール・アーツ提供

餌やりや卵集めなど、世話を「する」体験が高齢者の自信につながり、認知症の人が穏やかに過ごす時間が増えたといった効果も報告されているという。

ハンターさんは「この分野への関心は高まっている。事例を示し、私たちの活動にふさわしい支援を受けられるように声を上げていくべきです」。