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作品未満の「死蔵」データを量り売り アーティストの新しいライフハック

アートから世界を読む
「死蔵データ」を無人販売する作品《我無尽どっと混む》(「PUBLIC DEVICEー彫刻の象徴性と恒久性」展、東京芸術大学美術館 陳列館、2020年より)

美大卒業後にアーティストが直面する現実

大学卒業後にアーティストとしてどのようにサバイブするのか。それは美術系大学の学生たちにとって大きな課題である。美術に特化した大学では、美術を学び、作品を制作し、その評価を受けることが日常かつ目的だ。しかし美大は特殊かつ守られた環境であり、一種のユートピアと言ってもいい。ひとたび卒業すると、待っているのは実社会。経済、制作場所、目標など、さまざまな問題に直面することになる。

大学を出たばかりの若いアーティストで、作品を売ることだけで食べていける者はほとんどいない。就職する人もいるし、多くはアルバイトなどで収入を確保しながら制作を続けることになる。厳しい条件と向き合いながら制作意欲を持ち続けることは容易ではない。

そのような状況で活動を続けるアーティストたちにとって、アイデアを分かち合える仲間、互いを認め合うコミュニティの存在は大切だ。近年グループで活動するアーティストコレクティブ(アーティスト集団)の活動が注目されているが、コミュニティという観点からもコレクティブの意義はあるのではないか。

素材を販売する「ショップ」という発想

アーティストの荒渡巌は、東京藝術大学卒業後、自分と同じ先端芸術表現科出身の海野林太郎を誘い、2人を中心にアーティストコレクティブ「カタルシスの岸辺」(以下「カタ岸」)を結成する。その後メンバーの入れ替わりを経て、現在は高見澤峻介、田中勘太郎、大山日歩を加えた5人で活動している。それぞれのメンバーは自身のアーティスト活動を続けつつカタ岸に参加しておおり、緩やかで柔軟な集合体という形をとっているのが特徴だ。映像、絵画、立体、プログラミングなどそれぞれの得意分野を生かし、プロジェクトごとに外部のアーティストたちとも連携する。

カタ岸の活動の主力は「マテリアルショップ」の運営である。このショップでは、作品に使用しなかった映像や音声などの「死蔵データ」をさまざまなアーティストから収集し、それをほしいという客に秒単位で「量り売り」する。客はそのデータを二次使用することもある。なんともユニークな隙間に目をつけた手法だ。

他者の作品の一部をサンプリングする映像作品やクラブDJのような音楽はこれまでにもあるが、作品から切り落とされた余計な部分、「非作品」を流出させるという発想は特異だ。作品のオーセンティシティー(本物であること)や著作権を重んじるアーティストであれば、決して表に出したくないデータだろう。それを「一山いくら」の感覚に近い「量」を基準に値付けしていく態度は、芸術という価値に対する不遜な挑戦にも見える。

初めてショップを出したのは、2017年4月、取り壊し予定の銀座の廃ビルで開催された「GINZA 24H SQUAD」という24時間限定のイベントだった。まるで焼き鳥の屋台よろしく客の注文をとってはDVDを「焼く」という行為をせっせと繰り返したそうだ。目に見えないデータが人間くさいプロセスを経てDVDという「物」となって手渡されていく。

「GINZA 24H SQUAD」(2017)でのショップ

昨年2020年には「光光(KILA KILA)DEPO」というプロジェクトを実施した。渋谷にあるEUKARYOTE(ユーカリオ)というギャラリースペースをホームセンターのような場に変えてしまったのだ。

「光光(KILA KILA)DEPO」(EUKARYOTE、2020)

ビルの1階には、カタ岸メンバーが放出した不要だが捨てられない「死蔵マテリアル」が並べられ、客は好きなものを選んで購入する。それを2階の加工室「アートアンドリメイク・ブース」に持っていき、「店員」であるカタ岸メンバーに加工のリクエストをする。加工代は60秒1000円から60分15000円。仕上がった作品を客はうれしそうに持ち帰っていく。繰り返し訪れる人や、自分の失敗した作品を持ち込んでマテリアルを使ったリメイクを依頼するアーティストもいたという。3週間の会期で200作品以上を制作し、売り上げも上々だったそうだ。

「光光(KILA KILA)DEPO」(EUKARYOTE、2020)

ポスト資本主義の夢?

他にもカタ岸は、コインを投入して映像を視聴する《動牙番長》や《動牙師匠》というジュークボックスのようなマシンの受注制作や、美術史の知識を盛り込んだボードゲーム《アート・ギーク》の出張プログラム、展覧会のインストール(設置)なども行っている。特徴的なのは、活動の基軸にショップと商売という理念があることだ。時給や日給をきちんと計算し、死蔵マテリアル提供者とはあらかじめ売買に関する契約書を交わす。

《動牙番長》

しかし、利潤を追求する一般的な会社組織や商店とは活動の方向性は大きく異なる。アートと遊びと商売の境界を行き来し、アーティストと鑑賞者の関係を撹乱するカタ岸の試みは、資本主義や消費社会のシステムに則りながらも、さらにその先の可能性を探っているように見える。彼らの活動を「美術というより占いやヒーリングの体験に近い」* と海野が分析するように、「アート」にまとわりつくステイタスやマーケット上の値段といった目に見えない価値とは異なり、ショップという媒体を介して客と交わすコミュニケーションやサービスは、よりフィジカルで温度をもった、人間の心にダイレクトに届く手段ではないだろうか。

コミュニティの新たな形

活動する上での悩みがあるかどうか尋ねてみたところ、メンバーたちは「辛くなるようなことはやらない」と答えている。神出鬼没の屋台のようにショップを開くのも、店の場所を固定することでノルマが発生し、資本のサイクルに飲まれたりしたくないから。売り上げが伸びても自分たちが辛くなるぐらいなら活動をやめるという。さらに、カタ岸自体に強い主体性があるのではなく、個々のアーティストが「良いアイデアだけど自分がやるほどのことではない」と思うプランを貯めておいて、カタ岸として実現させることもあるそうだ。そしてショップという機能があることにより、アーティスト同士のエゴのぶつかり合いも発生しない*。 なるほど、ある意味アートとは逆の思考が、コレクティブとしての創造性を促すのかもしれない。

*トークイベント「カタルシスの岸辺:コレクティブの新たなかたち」(東京藝術大学、2020年12月11日)より

気負わずマイペースを保ちながら、斬新な発想で既存の価値観に揺さぶりをかけるカタ岸。メンバー同士がそれぞれの発想に共感し、心から楽しんでいることが伝わってくる。

競争の激しいアーティストの世界は孤独になりがちだ。しかしストイックに自分の世界に閉じこもることで、自身の可能性を潰してしまうこともある。そんな暗闇に没していかないためにも、自分を支えるコミュニティが必要である。カタ岸の緩やかな連帯は、これからのアーティストのコミュニティの形として示唆に富むものだ。カタ岸というモデルが、他の多くのアーティストにとっても励ましとなることを望んでいる。