地平まで続くサバンナの草原の合間に、円錐(えんすい)形のかやぶき屋根の民家が点在する。ウガンダ北部、南スーダンとの国境に近いアチョリ地方は、資源開発や都市化で近年活況な新興アフリカの姿とは無縁の土地柄だ。農産物を売ったり、他人の農地を耕したりして、少額の現金を手にして暮らしを営んでいる。
一見平和なこの地方が激しい内戦の舞台となったのは、1980年代後半から2000年代にかけてのことだ。住民の殺害や手足の切断を続け、その残虐さから国際的な非難を浴びた反政府武装組織「神の抵抗軍」(LRA)が活動を拡大し、住民らはおびえる生活を強いられた。LRAは未成年を含む多くの住民を誘拐し、男子を兵士に仕立てて虐殺に加担させ、女子には兵士との結婚を強いた。
人口約6000人のルコディは、その被害が最も大きかった村だ。LRA幹部ドミニク・オグウェン率いる部隊に何度も襲撃され、多数の少年少女が連れ去られた。2004年には村人64人が殺害される事件も起きた。
村はずれで農業を営むオラニャ・フランシスさん(35)は2000年、まだ12歳の時に、自宅に突然やってきたオグウェン部隊の兵士に誘拐された。草原を頻繁に移動しながら、戦闘や略奪を繰り返す部隊に同行させられた。他の多くの少年が兵士として住民の虐殺を命じられたのに対し、薬草や民間療法に関する知識を代々引き継ぐ家系の彼は、部隊内で医師の役割を担わされた。2年間を捕らわれの身として過ごし、隙を見て逃亡。一晩を草原で過ごし、翌朝地元の人に保護された。
ただ、一緒に捕らえられた兄は、生還できなかった。2001年、先に逃亡を試みた兄はつかまり、引き戻された。オグウェンはその兄を殺すよう、少年兵の一人に命じた。その命を受けたのは、兄弟より少し前にやはり誘拐され、少年兵としての訓練を受けさせられていた近所の親戚の青年(34)だった。
命令に従わないと、今度は親戚の青年が殺される。青年は兄の頭に、農業用のおのを振り下ろした。兄の遺体は草むらに放置され、埋葬も認められなかった。
その幼なじみも後に逃亡し、村に戻った。以前と同じように、近所同士で暮らしてすでに20年近くになる。
「子どものころからいつも一緒に遊んできた幼なじみです。ただ、その後は彼を見かけるたびに兄を思い出すようになりました」
誘拐され、殺人を命じられ
その青年にも話を聞いた。彼にとっても、それは痛恨の出来事だ。
「いくら命令とはいえ、自分が幼なじみを殺したのですから、申し訳ない気持ちでいっぱいです。顔を合わすたびに弟に謝罪し続けていて、それが自分でも苦しい。ここにいるのが怖い」
青年は2000年に誘拐され、数年間をLRAの兵士として過ごしていた。オグウェンに重用され、彼の警護を任され、長い間身近に接した。オグウェンは妻を7人持ち、誘拐した少女を兵士と結婚させていた。少女の中には10代前半で妊娠し、命を落とすケースも少なくなかったという。
「彼はかんしゃく持ちで人を愛せず、命令に従わない人は即座に殺しました。行軍について行けない人に対しても容赦なかった」。青年はこう振り返る。
彼がオグウェンから殺人を命じられるようになったのは、誘拐された1カ月後からだった。最初の1年間は銃の使用を許されず、手や道具で命令を遂行した。
「殺人なんてもちろん手を染めたくなかった。でも、命令で仕方なかったんだ」
何人殺したのか。
「手で殺したのは7人かな。その後銃で殺した数はわからない」
LRAから逃亡し、帰村して以後、青年は自ら殺した人物の幻想に悩まされていたという。「悪魔がやって来るんだ」と彼は表現した。
被害者救済と賠償に取り組むICC
2015年、大きな変化が訪れた。オグウェンが逃亡先の中央アフリカで拘束され、ICCに移送されたのだ。ICCは2005年、オグウェンに逮捕状を発付したものの、捜査が進まないことから、住民の関心も薄れていた。
2016年、戦争犯罪と人道に対する犯罪に問われたオグウェンの裁判が始まった。救済対象の被害者は、ICC史上最多の6万7000人前後と見込まれる。
裁判を進めるには、地元住民の理解が欠かせない。しかし、電気さえ通じていないこの地方で、メディアの影響力は乏しい。このためICCは、小さな集会を各地で開いて理解を広げる作戦を採った。
その中心になったのが、ICCカンパラ事務所スタッフのジミー・オティムさん(45)だ。北部に生まれ育ち、アチョリ語を話すオティムさんは、「アウトリーチ」(訪問支援)と称する説明会を、各地で開催。住民に法廷の様子を伝えるとともに、関心を喚起した。
ICCの活動に協力する住民を各地域で定め、その手引きで1カ所あたり数十人から数百人の村人を説明会に集めた。地元の学校にスクリーンを置いて法廷の様子を映したり、オランダ大使館の援助を受けて被害者をハーグの法廷に招いて傍聴してもらったりも。取り組みは現在に至り、月1、2週の割合で各地を巡回する。
「何千キロも離れた法廷で争われる複雑な裁判を、村人たちにどうしたら理解してもらえるか。村人たちに法制度の知識は乏しいものの、何が起きたかは逆によく知っている。人と場合によって手法や語り口を変えながら、対話を進めています」
オグウェンに対し、ICCは2021年、禁錮25年の判決を下した。その後、住民の関心は被害者救済と賠償に移っていった。
だが、多数の被害者への賠償に応じられる資産を、オグウェン自身は持っていない。その負担は、ICCによって設立された「被害者信託基金」が事実上担う。基金はすでに2008年から先行して、医療面での手術やリハビリ、心理面でのカウンセリングや生活支援などのプログラムを現地で進めている。
基金プログラム・マネジャーのスコット・バーテルさん(56)は「専門知識を持つNGOとも協力しつつ、手厚い支援の態勢を取りたい」と話した。
アチョリの人々には古来、殺人など重大な罪を犯した人物が、被害者や遺族に牛やヤギなどの財産を渡すことで許しを請い、罪を償う制度がある。オグウェンの場合、自ら服役を終え、ICCが彼に代わって賠償金を払えば、これが償いに準ずると見なす村人は少なくない。
住民とICCとの連絡役を務める被害者女性の一人(49)は「もし基金が賠償金を支払ってくれるなら、オグウェンも罪を許される。村で暮らすのも可能だろう。ただ、もし賠償がないとみんな怒る」と話す。
オグウェン自身、LRAに入ったのは、自身が誘拐されたからだった。「オグウェンがスケープゴートにされ、すべての罪を負わされている面は否定できない」。2008年からこの村で継続的に調査を進めてきた文化人類学者の川口博子さん(37)は語る。また、「村の生活は厳しく、ICCの賠償金を生計の糧として期待しているのが現実だ」という。
被害者への具体的な賠償や支援の内容は、年内にもICCから公表される。