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ルワンダ虐殺の遺族を建築で支援 庄ゆた夏さん、加害側と被害側を「修復」する試み

Breakthrough 突破する力 更新日: 公開日:
建築家の庄ゆた夏さん。小・中学生時代を近くで暮らした東京・多摩センターで「私がルワンダでやっていることは、日本のニュータウン的な開発とは全く逆。不思議なものですね」と話した=2022年8月、相場郁朗撮影
東京・多摩市で。「私がルワンダでやっていることは、日本のニュータウン的な開発とは全く逆。不思議なものですね」=2022年8月、相場郁朗撮影

ケイト・スペードがバックアップ

ほぼすべてが農村風景に溶け込むれんが造りの平屋。共同キッチンや多目的スペースは壁のない半屋外で、村人が気軽に立ち寄れる。「屋内にも会議室を作ったけれど、農作業の多い村人は部屋が汚れるからと遠慮する。実際の暮らしぶりに目を凝らさないと、必要な建築は見えてこない」と庄さんは語る。

ルワンダでは1994年、多数派民族フツが少数派民族ツチを襲う大虐殺が起きた。80万人以上が犠牲になったとされる。庄さんは虐殺で夫を失った女性らのための住宅や病院などの建築プロジェクトに2008年から取り組む。

主な資金は米国のファッションブランド、ケイト・スペードからの寄付。ルワンダでは今も、国際機関や外国企業などによる開発支援の存在が大きい。

ルワンダ・マソロ村の病院の多目的スペースでヨガをする住民。半屋外の場を柔軟に活用している=2019年5月、庄ゆた夏さん提供
ルワンダ・マソロ村の病院の多目的スペースでヨガをする住民。半屋外の場を柔軟に活用している=2019年5月、庄ゆた夏さん提供

現地の建築事務所で共同代表を務める米国人のジェームズ・セツラーさんは「ゆた夏が来ると、村人は『会いたかった!』と一緒に歩き始める。すべてに全力で取り組む姿勢が愛され、尊敬されている」と言う。

米国を拠点に、コロナ禍の前は年間3~7カ月をルワンダで過ごしてきた。「ルワンダ人は周囲を気遣う。本音を吐露できるのは家だけ」。図面を引くだけでなく、村人の家を回り、じっくり耳を傾ける。

安心できる空間を求めて建物を高い塀で囲いたがるが、それでは外部と隔絶してしまう。庄さんは、生け垣や柵で安心感を保ちつつ外とのつながりも感じられるデザインを提案し、受け入れられた。

「建てて終わり、じゃない。大切なのはプロセス」が信条だ。建物だけではなく、建てるまでの様々な過程、建てた後に生まれるコミュニティーも含むのが「建築」だと考える。

建設労働者にれんが積みや溶接の研修を行う。節約のため何も食べない人には食事を提供し、現地では滞りがちという社会保険料も負担する。「安心して働けて、自分の未来を見通せる」こともプロジェクトの一環なのだ。

学生時代から親友の米国人美術家、マリー・ロレンツさんは、庄さんを「ビジョンが明確で、決断したら即実行。自分の能力をどう生かせば世界に貢献できるかを常に考えている」と評する。

原点はアメリカでの生活

災禍に見舞われた地で、建築には何ができるのか。自問し、実践する日々が続く。だが32年前、1年だけの予定で留学した米国で、高校生の庄さんは途方に暮れていた。

17歳の庄さんがホストファミリー宅のソファで昼寝から目覚めると、目の前に警察官が立っていた。家族は30代の白人夫妻と2人の幼い子。優しく知的な夫妻だが、どちらもアルコール依存症だった。大事にはならなかったが、ただでさえ心細い初めての外国暮らし。「帰りたい」と東京の母・妙子さん(74)に電話で訴えた。

母から返ってきた言葉に面食らった。「帰ってくるな」。妙子さんは続けた。「今、帰国するのはアメリカに対してフェアじゃない。しっかり見てきなさい」

新しい滞在先を自力で見つけたが、そこのホストマザーは拒食症だった。どちらの家族も優しくていい人たちなのに、なぜ。豊かな社会が抱える闇の部分、人間の弱さへと目を向けるようになった。

米国で庄さんに影響を与えた出来事はもう一つ、2001年の同時多発テロだ。ハーバード大大学院の入学式の日の朝だった。式典は中止され、キャンパスにも緊張感が漂った。「米国一リベラルな空間」と信じていた大学の美しい中庭で、浅黒い肌のインド系女子学生がつばを吐きかけられたと知った。

さらにショックだったのは、建築専攻とはいえ周囲の話題が「崩壊したワールド・トレード・センターの跡地にどんなモニュメントを建てるか」に終始し、テロの背景や原因を語り合おうとする声が聞こえてこなかったこと。「建築が、国民を結束させる象徴として政治に利用されているだけでは」。歯がゆく、「建築とは何か。建築で暴力を防げるのか」と考える契機になった。

ルワンダで最初に手がけた住宅で。地元の土を袋に詰めた「アースバッグ」をれんがのように積んだ=庄ゆた夏さん提供
ルワンダで最初に手がけた住宅で。地元の土を袋に詰めた「アースバッグ」をれんがのように積んだ=庄ゆた夏さん提供

加害と被害の関係を建築で修復

ルワンダとの出会いは偶然だった。大学院を修了してボストンの建築事務所で働いていた2007年、ルワンダへ旅した友人の写真をきっかけに、虐殺の歴史と今に関心を抱いた。

隣人が殺し合う経験を経てなお、人々は山がちな地で助け合わねば生きていけない。虐殺で男性が減り、女性が復興の中心を担っている。自分の目で見ようと翌年、現地へ。女性たちのNGOと協働しようと建築事務所「GAC」を立ち上げた。

虐殺の加害者側と被害者側がともに家を建てるプロジェクトを見て、人々の傷ついた関係性が少しずつ修復に向かう様子に「建築家としてやれることがあると学んだ」。

「弱者」とされてきた女性が社会を変える原動力になる。そんな確信があった。その思いの原点は、東京・多摩ニュータウンでの子ども時代にある。

母・妙子さんの勤務先は生活クラブ生協。出資した消費者が組合員となって運営にも携わり、1960年代の発足時から市民運動の主体でもあった。妙子さんは組合員の主婦らと障害者支援や反原発運動などに取り組んだ。

母と2人暮らしの庄さんは、保育園や小学校が終わると母の職場へ。好きな絵を描いたり、手伝いをしたりして夜まで過ごした。病気で学校を休むと、事務所の大きな段ボール箱が即席のベッドになり、皆がかわるがわる面倒をみてくれた。「職員と組合員は対等で、とことん話し合う。事業のパートナーでもあり、支え合うコミュニティーでもあった」

マソロ村では懸命に働く村人と知り合った。でも、サクセスストーリーへの安易な期待は自戒する。支援する側の自己満足と表裏一体だからだ。よく働き、家を建てたいと目を輝かせた中年女性は、コロナ禍で仕事がなくなったとたん、食べるのがやっとの生活に舞い戻った。別の青年は、増やした家畜をねたんだ周囲に何百羽ものニワトリを毒殺された。「現実は甘くない。『何様のつもり』と突きつけられた気がした」。立派な施設ができても、住民に引き渡された

後に運営の資金や仕組みが回らなくなるなど、開発支援の限界も感じる。

とはいえ、こんなことがあった。村にできたスポーツ施設に、村人は当初、利用実績がほしい寄付元の企業から日当をもらって訪れていた。働かずに運動をする余裕などないからだ。それでも、バスケットボールに興じた女性は「初めて自分のためだけの時間を持てた」と笑顔を見せた。目を凝らせば、視点をずらせば、どこにでも前へ向かう扉はあるはずだ。複雑な力学が働く「開発」や「援助」の世界で最適解を見つけようと日々、頭を巡らせる。

ルワンダの建築事務所のスタッフと庄ゆた夏さん=2019年6月、本人提供
ルワンダの建築事務所のスタッフと庄ゆた夏さん(前から3人目)。ルワンダ大学での教え子もいる=2019年6月、本人提供

政府の統制が強いルワンダでは、政治への批判を表だって口にできない。2011年に現在の国立ルワンダ大学で建築理論を教えた時は、学生に日常や社会を観察して詩にするよう求めた。自らの環境や内面を見つめて言葉にし、西洋の借り物ではない理論を紡ぎ出す一歩になればとの思いだ。今、事務所のスタッフにはその時の教え子もいる。

戦争や難民問題、災害など、人々が家や街まで失う事態が世界で絶えない中、物理的、精神的な復興のために何が大切か、建築を通して問い続けたい。「建築の強みは、作る時も使う時もコミュニケーションがあること。その場に美や心地よさを感じたら、人は自然に集まる。本音や未来を語り始めるかもしれない」。そこに、大きな可能性を感じている。