ボスニア・ヘルツェゴビナは元々、バルカン半島にあった社会主義国家ユーゴスラビアを構成していた地域だった。
ユーゴスラビアは多民族、多宗教の国家だったが、第2次世界大戦から約30年間はカリスマ指導者ティトーのもと政情は安定していた。
1980年にティトーが亡くなると各民族主義が台頭し、独立の動きが相次いだ。ボスニア・ヘルツェゴビナも1992年に独立を宣言したが、イスラム教徒のボシュニャク人が主導した中央政府にクロアチア人勢力(ローマ・カトリック教徒主体)とセルビア人勢力(正教徒主体)が反発。それぞれ共和国を名乗って分離しようとし、三つどもえの紛争に発展した。
各勢力ともほかの民族を虐殺や暴力によって支配地域から排除する「民族浄化」を繰り広げた。そんな中、東部の都市スレブレニツァで1995年7月、ボシュニャク人住民らがラトコ・ムラジッチ司令官(当時)率いるセルビア人勢力に包囲されて孤立した。
国連が「安全地帯」に指定し、オランダ軍の平和維持活動隊を派遣していたが、セルビア人勢力そのまま侵攻。多数のボシュニャク人が難民となって国連施設に逃げ込んだ。
セルビア人勢力は難民たちをボシュニャク人の支配地域近くまで送ることを提案、オランダ部隊も承諾した。
ところがセルビア人兵士らは難民を「選別」、成人男性たちは別の場所へと移送し、殺害した。これとは別に森に逃げ込んだボシュニャク人らも捕まえて殺し、犠牲者は合わせて8千人超にのぼった。第2次世界大戦後のヨーロッパで最悪の殺戮行為とされる。
ジュバニッチ監督にとって、この悲劇を映画作品にすることは悲願だったという。「社会がある日突然、別の状態に変わってしまうという出来事。これはなにも私たちの国だけではなく、人類の普遍的な話だと思いました」と動機を明かす。
主人公で国連の通訳を務める女性アイダは夫と息子2人をかくまうようオランダ軍にすがるが拒否され、セルビア人勢力に連れ去られて殺害される。
アイダ役のヤスナ・ジュリチッチ氏による迫真の演技が光るが、極限状態をリアルに描くことができたのは、アイダに実在のモデルがいるからだ。
ハサン・ヌハノビッチ氏。彼は事件当時、実際に国連の通訳者としてオランダ軍と行動を共にしていた。そして作品同様、家族を失った。
ヌハノビッチ氏の両親と弟は国連施設に避難していた。彼らを助けるようヌハノビッチ氏はオランダ軍に懇願したが認められず、3人ともセルビア人勢力によって殺害された。
ヌハノビッチ氏をモデルとしながらも、作品では女性に置き換えた理由を、ジュバニッチ監督はこう話す。
「制作にあたってリサーチした際、事件で家族を失った女性たちに話を聞くことができました。彼女たちは『憎しみを捨て、次の世代のためにも一緒に暮らすべきだ』とスレブレニツァに戻るんですね。驚きました。彼女たちの人道主義を描くために、主人公は女性がいいと思ったのです。一方で、私は国連について大きな間違いを犯したと思っています。それを描写するには身近で目撃した通訳者の存在はちょうどよく、両方を満たそうとした結果、アイダというキャラクターが生まれました」
事件から約5カ月後、北大西洋条約機構(NATO)の軍事介入などもあって紛争は終結。3勢力はボスニア・ヘルツェゴビナという一つの国にとどまった。ただ、その中で、ボシュニャク人とクロアチア人が共同の政治体制(ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦)、セルビア人は別の政治体制(スルプスカ共和国)をそれぞれ形成。双方とも独自の行政や議会などを備えている。
虐殺を主導したムラジッチ氏は国連の旧ユーゴスラビア国際刑事法廷からジェノサイド(集団殺害)などの罪を認定され、終身刑が確定した。
それでも、スルプスカ共和国や、同じセルビア人が治める隣国セルビア共和国の政治家らの中には、殺戮行為を認めながらも、ジェノサイドとは認めない人が多い。再び民族間の対立に発展しかねない「薄氷を踏む」ような状態が続く。
監督は「たくさんの人が事実を目撃しており、ジェノサイドを否定する人の言説には大きな反発が起きている」と指摘する。
監督との主なやり取りは以下の通り。
――スレブレニツァの虐殺を映画化しようと考えたのはなぜですか。
セルビア人勢力がスレブレニツァの虐殺を起こしたと初めて聞いた時の記憶が忘れられないからです。ここは国連安保理決議819号で「安全地域」に指定され、国連平和維持活動の部隊がボシュニャク人住民たちを保護していました。にもかかわらず、セルビア人武装勢力に住民らを引き渡してしまった。
私はこれがとても恐ろしく、裏切り行為だと思いました。人権保護や文明が築き上げてきた価値よりも暴力の方が強いということを示してしまったのです。暴力の勝利です。
この出来事はずっと心の重しとなっていました。10年前に映画作品にする価値はあると思っていましたが、当時はまだ、やり遂げるだけの知識がありませんでした。それから四つの作品を完成させた後、今ならできると思いました。それが5年前です。
スレブレニツァの虐殺について、スルプスカ共和国(セルビア人主体の政治体制)当局は当初、とても強く否定しました。撮影を始めたときには、戦争犯罪人として裁かれず、自由に暮らしている人もいました。なんと不正義なことかと思いました。
これは私たちの国だけでなく、人類普遍の人道的な話だと思いました。一つの社会が突然、いとも簡単に別の状態に変わってしまうということがです。
何げない私たちの日常は、新型コロナウイルスのパンデミックによって突然変わり、その後の世界はまったく違った状況になる。こういったこともあるで、何も戦争だけではありませんが、しかし、戦争というのは、人道的なこと、すべての価値観にわたって影響していると思います。それが私の主な動機です。
――スルプスカ共和国で、スレブレニツァの虐殺を否定する動きがあるとのことでしたが、それは政治家がそういう発言をするのでしょうか。それとも市民レベルで認めない人が多いのでしょうか。
ボスニア系セルビア人(スルプスカ共和国の人)と、ボスニア・ヘルツェゴビナの隣国であるセルビア政府が、この事件がジェノサイドであることを強く否定しました。そればかりか、戦争犯罪人を英雄として公式に宣伝しています。
こうした政治的な方向は紛争が終わってから変わっていません。最終段階で、虐殺をジェノサイドと認めませんでした。
セルビア政府は多額の金をグループに渡し、ジェノサイドはなかったとロビー活動をさせています。ベネチアの映画祭の時は、セルビアのほとんどの新聞社がこの作品に反対する記事を掲載しました。
作品を見たわけでもないのに。それはまるでプロパガンダを機械的にやっているような感じでした。多くのセルビア人はそれを鵜呑みにして、ジェノサイドはなかったと信じています。ジェノサイドはフェイクであり、ラトコ・ムラジッチ氏はセルビア人を守った英雄だと思っています。
しかし、たくさんの人々が真実を目撃しており、そういった政府の言説に反対しています。例えば作品でアイダとムラジッチを演じた俳優はどちらもセルビアに住むセルビア人です。彼らは「セルビア人はこの作品を見る必要がある」と見解を発表しています。
――作品のラストシーンですが、民族間の融和のようなものをほうふつさせますね。アイダは襲撃されたかつての自宅に戻り、教師として復職した教室には、虐殺に加担したセルビア人の子どももいます。
あのシーンは、制作におけるリサーチで出会ったスレブレニツァの女性たちにインスパイアされています。お互いを理解し、助け合おうと努力する姿勢です。
彼女たちはスレブレニツァに戻った際、声をそろえて「みんな一緒に暮らすべきだ」と言いました。次の世代の人たちは憎しみを捨て、何が起きたのかを知り、正義と真実を探求しなければならない、と。その一方で、彼らは共に暮らし、お互いを愛さなければならないのだと。
これは私にとっては衝撃的でした。あのような悲惨なことが起きてもなお、どうしてそのような考えにいたることができるのだろうかと。
作品の原題は「Quo Vadis, Aida? 」です。ラテン語で「戻る」という意味で、新約聖書に出てくる言葉です。
スレブレニツァに戻ることを決めた女性たちはこの世を超えた、聖人に値する存在だと感じました。彼女たちは人間とは何かということを伝えてくれています。私にとっては大変な驚きでした。例えば自分の子供が殺されたとき、彼女たちのように人道的に行動することはできないでしょう。でも、そうありたいとは思いますし、彼女たちの振る舞いは絶対的に正しいと思います。そこで聖書のエピソードにぴったりだと思いました。
ラストシーンではまた、民族の違う子どもたちが一緒にお遊戯をして、手で目を覆ったり、開いたりする振り付けをしています。あれは、彼らに選択肢があるということを表現しています。
真実から目を背けるのか、あるいはそれを直視するのか。未来はよりよくなるのか、あるいは同じ過ちを繰り返すのか。私たちは選択に迫られているということを言いたかったのです。
――実際、学校はどうなっているのでしょうか。ボシュニャク人とセルビア系住民はそれぞれ別々の場所で学んでいるのでしょうか。
とても奇妙に聞こえるかもしれませんが、スレブレニツァでは同じ学校に通っています。
私もそこで子ども向け映画制作のワークショップをやったことがあるのですが、とても驚きました。両民族の子どもたちが一緒にワークショップに取り組んでいました。
子どもたち同士とても仲がよく、民族的な問題はありませんでした。その光景を覚えていたからこそ、あのようなラストシーンの描写になったかもしれません。
ただ、確かにボスニア・ヘルツェゴビナの多くの学校ではそれぞれの民族が学ぶ場所は別れています。学校に行っても出入り口は別なのです。授業も別です。でも将来的にはそうやって別々にやるのは危険だと思います。対立を生むきっかけになってしまう気がします。
――主人公のアイダのモデルはいるのでしょうか。
アイダはまず、私がリサーチの過程でたくさん会ったスレブレニツァの女性たちからインスパイアされて生まれた登場人物です。
そして、最も影響を受けたのは、ボシュニャク人のイスラム教徒で、国連の通訳者としてオランダ軍と仕事をしていた事件の生存者ハサン・ヌハノビッチ氏です。
彼は当時の状況を克明に自著に記しています。彼も家族と引き離されました。主人公の性別を変えて女性にしたのは、スレブレニツァに戻った女性たちの話と、国連の内幕の両方を同時に描こうと思ったからです。
――国連についてどう思いましたか。
恐ろしい間違いを犯したと思います。日本人の明石康さんも当時、国連の担当者ではありませんでしたか?
でも私は国連は不要だとは考えていません。それどころか、国連は人類が生み出した素晴らしいアイデアだと思います。
ただ、問題はどうやってそれをよいものに改善していくか、政治的な利害関係からどうやって独立させるか、ということでしょう。利害関係に引きずられたからこそ、スレブレニツァのケースで人々を救えなかったのです。
国連はあくまで人道主義に基づき、人権のために動く組織です。大国を支援するものではありません。