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自分の得意なことで、目の前の人に喜びを。 アフリカでツアー会社つくった日本人

私の海外サバイバル 更新日: 公開日:
ホストマザーを囲む日本から来た学生たちと竹田憲弘さん(後列左)=本人提供

■お菓子作りの苦い思い出

社会起業家にあこがれていました。就活をしていた時期に東日本大震災が起きて、社会人として自分はどんな価値を世の中に与えられるのか、ということを強く考えていました。

お菓子メーカーに就職し、希望して東北支社に。ただ働くだけではなくて、事業を通じて社会貢献をしたいという思いがありました。仕事は営業です。得意先のスーパーの棚に自社の商品を手に取りやすいような所に置いてもらったり、季節ごとの催事に合わせて企画を提案したり。復興支援をしたかったのですが、それはなかなかうまくいきません。まずは現場を知ることが大事だと、自分を納得させていました。

震災の影響でストレスを抱えていたり、外で遊ぶ時間が減ってしまったりした子どもたちが楽しめるような企画はできないだろうか。そう考えて、お菓子作りの企画を提案しました。「喜んでもらえるだろう」とうきうきしてやったんです。でも、「早く帰りたい」と泣き出す子がいて……ショックを受けました。もちろん、ほとんどの子は喜んでくれたのですが、自分のやっていることは本当に正しいのか、押しつけじゃないかって。いずれは社内の社会貢献をする部署に行きたいと考えていましたが、このままじゃ薄っぺらい自己満足にしかならない。そう思い、3年勤めた会社を辞め、青年海外協力隊に応募しました。

■ルワンダは「困っている人」がいない!?

青年海外協力隊のときに活動した農村部の任地で撮った写真=竹田憲弘さん提供

困った人を助けて世界を変える。そんな野望を抱いてルワンダに来ました。といっても、なじみのない所だったので、もちろん戸惑いもありました。映画「ホテル・ルワンダ」で見たことあるな、くらいの印象でした。

着く前は、周りに苦しい思いをしている人がいて、すぐ近くで人が死ぬようなこともあるかもしれないって覚悟していました。でも、実際来てみたら思った以上にみんな普通に暮らしているんです。困っている人がいないんです。何のために来たのかって、ここでも落ち込みました。

でも任地の村で一人ひとりの顔と名前を覚えて仲良くなり、暮らしに密着していくと、見えてくるものが変わりました。みんなそれぞれ悩みや問題を抱えているんです。

■「たったひとりの誰か」のために

青年海外協力隊員のときの竹田憲弘さん=竹田憲弘さん提供

協力隊員として過ごした2年間のなかで、「顔と名前の分かる、たったひとりの誰かのために働く」ということの大切さに気づきました。
思えば、東北にいたときは「被災者の役に立ちたい」という風にぼんやりとしか捉えられていなかったんです。だから、私の行動が深く刺さるものにならなかったんだと思います。誰のために何をするべきか。それまで、自分には見えていなかっただけだったんです。

自分が一番悩みを理解できて、一番問題解決に役立てる相手はどんな人なんだろう――。思い浮かんだのは、東北やルワンダに行く前の自分のような若者でした。何かをしたいけど、何をすればいいのか分からない。そんな自分のような人の手助けをしたい。アフリカや国際協力の世界を知るきっかけをつくりたい。そう思い、協力隊の任期が終わった後にツアー会社を企業して、日本からの学生や社会人を対象にスタディーツアーを始めました。

大学生だけでなく、アフリカに行ってみたかったという社会人、現地のことを生徒に伝えたいという学校の先生など、色々な人が様々な関心を抱いてルワンダに来ます。かつて起きた、大虐殺の歴史を学びに来る方もいます。いまは平和で、きれいな都市作りも進んで、かつてそんなことがあったなんて一見分からないくらい穏やかで、幸せそうに暮らしています。

日本から訪れたスタディツアー参加者たちとともに現地の小学校を訪れた際のようす=竹田憲弘さん提供

でも、たまに違和感があるんです。

アフリカって騒がしいようなイメージがありますが、人と人が対立する場面を避けるというか、小さないさかいすら起こさないように暮らしているような感じを受けることがあります。

虐殺を生き延びたサバイバーの方に話をしてもらうこともあります。初対面でいきなり過去のつらい記憶を聞くことって難しいですよね。協力隊員のときからの付き合いや培ってきた経験を生かしています。

■見つけた国際貢献のかたち

日本からのツアー客を迎えるホストファミリーと竹田憲弘さん(右)=本人提供

社会起業家にあこがれて、世の中を変えたいという思いを抱いていましたが、それはそんなに簡単なことではないですし、誰の、どんな問題を、どう解決するのかという具体的なイメージが分からないまま夢だけを抱いていました。ルワンダに来て、それに気づきました。

いまは自分にできること、得意なことで誰かに喜んでもらえることは何だろう、と考えています。目の前の人の喜びのために、たとえそれが小さなことでもいいから動きたい。そう考えるようになりました。

日本からの訪問客は順調に増えてきて、会社員時代より収入が増えたときもありました。そんな時にコロナ禍が来てしまい、旅行客は完全にストップ。今はオンラインでスタディーツアーを組むなど、試行錯誤しています。

これまで日本から多くの訪問客を案内してきましたが、忘れられない場面があります。

日本の大学生たちと、ホストファミリーを引き受けてくれた現地の友人たちが、別れ際に「また会おうね」「本当に楽しかった」とお互い涙を流しながらハグしている姿を見て、自分には「出会い」をつくることができるんだな、と思いました。たとえ短い期間であっても、遠く離れた日本人とルワンダ人がわかり合えることができる。価値のある出会いをつくる。それが、自分なりに見つけた国際貢献のかたちです。

ルワンダの地方に住む子どもたちは、「世界」にふれ合う機会が多くありません。日本からきた大学生たちが学校を訪れることで、子どもたちの好奇心が芽生え、新しい世界が広がることもあるんですよ。直接的なものというよりは、間接的な社会貢献ではありますが、自分がやれることを愚直にやっていく。そういう思いでいます。

■ファンタ割りのルワンダビール

竹田憲弘さん(左)とルワンダで一緒に暮らす妻のあすかさん=竹田憲弘さん提供

2018年に結婚し、新婚当初から日本人の妻も一緒にルワンダに住んでいます。妻はモザンビークで協力隊員をしていたので、アフリカでの生活にまったく抵抗はありませんでした。ちなみに、プロポーズはタンザニアでしました。

ルワンダは治安も良く、仕事のしやすい環境が整っていますので、不安は全くありませんでした。経済的なことを考えれば、もう少し人口も多く経済規模の大きな国でも良かったのかもしれませんが、2年間暮らしていたからこそ知っている現地の動きや、人とのつながりがあります。他の国で起業という選択肢は考えませんでした。

いまはコロナ禍ですので、外出の機会はあまりありませんが、2人とも日本食が好きなので、大豆を買って豆腐や豆乳を手作りしたり、おからハンバーグを作ったりしています。現地で手に入る食材は限られていますが、二人で工夫しながら料理を楽しんでいます。ビーツの茎をゆでてかつお節としょうゆをかけると、ホウレン草のおひたしのようになります。みりんの代わりには、ルワンダで生産が盛んなハチミツが使えます。と言っても、工夫はほとんど妻の発案ですが。

竹田さんの自宅ベランダから見える首都キガリの街並み=竹田憲弘さん提供

アフリカの日常生活は、ブログやユーチューブ、ツイッターなどのSNSなどで発信しています。学生の頃からSNSのミクシーなどに書いていましたが、友人に「面白いからもっと書いて」と褒められ、それがうれしくて書くことを続けています。

いま住んでいる家は眺めの良さで決めたようなもので、とても気に入っています。毎食ベランダで景色を見ながら食べていますし、仕事も丘が見える窓際が多いです。夜には、妻と自宅のベランダから丘を眺めて、現地で定番のシトラス味のファンタで割ったビールを飲んだり、おしゃべりしたりしてゆっくり流れる時間を楽しんでいます。