與真司郎さん カミングアウト後の変化は「これからも仲間として助けになりたい」
音楽グループ「AAA(トリプルエー)」として活躍したあとにソロアーティストとして活躍している與真司郎(あたえしんじろう)さんがカミングアウトしたのは今年7月だった。「日本も変わってきている。自分のマインドも変わって前向きになった」。カミングアウトから3カ月が過ぎ、一時帰国中の與さんに、その後の心境の変化について聞いた。(聞き手・朴琴順)
――カミングアウトから3カ月が経ちました。いまはどんな心境ですか。
最初の1カ月ぐらいは、あれで良かったんだろうか、みんなどんな風に受けとめているんだろうかと心配しました。この先仕事もなくなるんじゃないか、ここ最近毎年開催していたトークショーもきっとできなくなるんだろうなと覚悟もしていたんです。
だけど、みなさんすごく好意的に受け止めてくれて。こうやって取材を受けたり、12月にはトークショーもします。なんだかとても不思議な気持ちです。いまは前向きに、音楽活動に限らずいろんな新しいことをやっていこうと思っています。
――好意的な反応は、予想外だったんですか。
はい。特にファンのみなさんがこうやって応援してくれるとは思ってなかったんです。でも実際は「セクシャリティーに関係なく、いままでやってきたことが好きだから応援するんだよ」って言ってくれたんです。ファンの方の愛を感じたし、一秒でも疑ってしまって申し訳ないと思いました。
LGBTQ+の方だけじゃなくて、普通の人たちにも勇気をもらいました、と言ってもらって、AAAのファンじゃないけど、これをきっかけにファンになりましたという方が増えました。
「自分らしく生きていく」というのに感銘を受けたと言ってくれる人が多いです。LGBTQ+だけじゃなく、「自分らしく生きることの大切さ」を感じている人が多いんだなと思いましたね。
――カミングアウトを決意される前は「本来の自分を受け入れることなく、エンターテインメントの世界に居続ける」か、「世間から隠れてひっそりと暮らす道」しかないとカミングアウトされるなかで告白されていました。心配されていたのは、日本の芸能界でゲイであることを公言する人があまりいなかったからでしょうか。
そうです。だからとても怖かったんです。
ずっと、悪い形で(ゲイであることが)ばれて、叩かれてグループを抜けないといけない、メンバーの迷惑になる、ファンのみんなが自分のことを嫌いになるのでは…そう思っていました。だから会社にも、友だちにも、日本ではずっと誰にも言えませんでした。
カミングアウトを決意した後も、ロールモデルもいないし、「敷かれたレール」は何もなかったので、自分とスタッフだけで考えて反応を予想して…なかなかハードでした。
これまでの経験から「男同士で気持ち悪い」と言われたり、テレビでも面白おかしく笑いものにされたりするイメージしか持てなかったので。
――それでもカミングアウトをしようと思ったんですね。
小さい頃から、なんだか分からないけど、自分は人とは何か違う、普通に生きていけないんだと感じていました。
14歳から芸能界に入って、とにかくいろんな仕事をして忙しく過ごしました。仕事に集中してプライベートは後回し。良いのか悪いのか自分のセクシャリティーを深くは考えずに来たんです。でもこのままでいいのかな?という思いはずっとありました。
いつか週刊誌やSNSで自分の言葉ではなく、不用意な形で拡散することを恐れていました。もし自分がファンの立場なら、そういう形で知らされることは、嫌だと思っていて、いつかは自分の言葉で伝えたいと。
だけど日本でカミングアウトする人はいないし、リスクは高いので、ずっとできずにいたんです。
2016年にAAAが10周年になり、メンバーたちがソロ活動をするタイミングでした。自分も日本にいてソロで更なる活動を目指すという選択肢もありましたが、その頃には自分のメンタルがやばい、このままじゃ良くないんじゃないかと感じていたんです。それでアメリカのLA(ロサンゼルス)に行きました。
――LAに行かれたのは、日本からの脱出という意味があったんでしょうか。
はい、環境を変えないと自分がもたないと思っていました。もう自分が生きる場所は海外しかないと思っていました。
日本でゲイのコミュニティーには近づけなかった。ばれたらどうしようと思っていたし、自分自身を受け入れられていない部分もありました。
20代前半のころ、初めてプライベートでLAに行ったんですが、そこでストリートで男同士、キスをしているところを見たんです。それで僕はここでしか生きていけないんじゃと思っていた場所なので思い入れもありました。
LAでフリーに生きていけると思って実際に来てみたら、そうではなかったんです。
日本と行ったり来たりだったことや、英語もまだ堪能じゃないこともあって、信頼できる友だちがなかなかできなかった。それに、LAでも日本人がたくさんいるから、LAのゲイコミュニティーにも近づけなかったんです。振り返ると、自分自身の中にもホモフォビア(同性愛恐怖/嫌悪)があったんだと思います。その人たちが嫌だとか避けたいというよりも、とにかくばれたらどうしようという気持ちがぬぐえなかったんです。
日本でも、LAでもどこにも居場所がない。その頃が一番辛かったですね。
――そんな葛藤を経てLAで徐々に周りにカミングアウトするようになった?
このままじゃいけないと思ったんです。初めてのカミングアウトはLAの友人でした。自分で信頼できる人を探し、信頼できる環境、関係をつくっていきました。けっこう時間がかかりましたね。
実際にカミングアウトすると、楽になりました。その友人に受け入れられ、自分は悪くないんだと思えました。
LAではみんな周りにセクシャルマイノリティーが一人ぐらいはいると思うんですよね。LGBTQ+の人たちが。ストレート(異性愛者)の友だちも多いんですが、全然気にしない、特別扱いもなく普通に接してくれるんです。誰からもジャッジされない。それがすごく心地良いですね。
日本でもそうなって欲しいです。いまはまだやっぱり僕に少し気をつかってるな、と感じることがありますから。でも本当はLAと同じように、日本のみなさんの周りにもセクシャルマイノリティーはいるんです。ただ言えない状況なだけ。隠している人は多いと思う。そういう人が将来的に自分だけじゃないと思って欲しい。
――お母様には電話でカミングアウトしたそうですね。
はい、母には電話で。直接は言えませんでした。ファンの前でのカミングアウトと母へのカミングアウトの2回は本当に緊張しました。カミングアウトって重いんですよやっぱり。
一生誰にも、親にも言わないなと思っていましたから。いま考えると母には面と向かって言えればよかったと思いますけど…。
母はゲイであるということ自体は意外とすんなりと受け入れてくれました。内心は分かりませんけど「大丈夫だよ」って言ってくれて。二人して泣きましたけどね。
でも公共の場で僕が言うことについては、最初は反対していました。バックラッシュ、バッシングがあるだろうから、自分の息子がそれに耐えれるかということを思ってくれたんだと思います。でも今は「あなたは悪いことしてるわけじゃなく、周りに良い影響を与えられることをしてると思ってくれているんだよ」と言ってくれています。
カミングアウトなんてする必要がないという意見もありますけど、そういう人は当事者の苦しさを全然分かってないと思うんです。本当の自分を誰にも分かってもらえずに生きるって本当に辛いことです。
当然最終的には本人の選択の自由ですが、同じ立場の人には、一人でもいいから信頼できる人を探す旅に出て欲しい。「この人なら言える」と思える人を。
本当はそんなこともしなくていいのが理想だけど、いまは仕方がないから、それも一つのやるべき「仕事」だと思います。
芸能人の方のなかにも隠している人は多いと思います。芸能人でもそうでなくても、公には言わなくてもいいけど、どこかで楽に生きていける場所があれば良いと思います。
――ご自分のサイトにLGBTQ+に関するサイトや、相談窓口のリンクを用意するなど、すごく準備したんだなと感じましたし、カミングアウトの言葉から若い人たちへの責任感のようなものを感じました。
あの手紙は何度も書いて捨てて、書いて捨ててを繰り返して書き上げました。アクティビストの方やGLAAD(グラード)という大きな協会の方たちに意見を聞いて、アドバイスをもらって。相談窓口があることなども盛り込みました。
メッセージをどうしても伝えたかったのは、本当に自分が小さいときに葛藤してて、苦しかったからです。自分のような人間は世界で自分だけだと思っていましたから。これをいまの若い子たちに経験して欲しくなかったんです。
アメリカでも、日本でも、当事者がだいたいみんな通るのは自己否定。それはめっちゃ辛いことです。どこかのタイミングで自分を嫌っちゃう。自己肯定感が低くなってしまうんです。思春期は本当にしんどいです。自分がそうなんだと思ったらショックも受けるし、びくびくしてしまう。
いまはネットでいろんな情報に接することはできるけど、それでもやっぱりなかなか難しいですよね。自分はLAに来て学べたけれど、みんながそういう経験ができるわけじゃない。だから何かできないかとずっと考えていたんです。
――日本ではやはりカミングアウトはしにくい状況だと思いますか。
そうですね。実際カミングアウトしてみると、みんな意外と「だから何」って感じもありました。「驚いたけれど、でも考えたら何も変わらないよね」って。
本当に自分の周りで嫌なことを言われたのは数えられるぐらい。日本も変わってきているんだなと支えになりました。
――一般の人の意識は変わっているけれど、むしろメディアで「好きな女性のタイプ」「結婚は?子どもは?」と異性愛前提の質問があったりしますね。メディアの意識も変化しないといけませんね。
結婚や子どもの話などは、ストレートの人たちでもカップルで子ども作らないと決めてる人もいますよね。本来ディープな、プライベートなことだからだから、アメリカではそういう話を最初から聞きませんね。みんな人それぞれ、という考えがあるんでしょうね。
まあでも、芸能人への質問の場合は、メディアの方もファンの人をどう喜ばせるかを考えて、好きなタイプとかを聞くわけですよね。自分も誰かのファンだったとして、どんな人が好きなのかは確かに気になりますから。
だからそういう質問を受けたときに「自分はゲイだけど、タイプはこんな風」って普通に言える時代が来れば、お互い気持ち良く仕事ができるのかも知れません。ファンもその答えで勝手にジャッジがしない世界が来れば、それが一つのゴールなんじゃないかなと思います。
――カミングアウトに肯定的な反応が多かったことで、心境の変化はありましたか。
これまでとはマインドが変わった気がします。自分が楽しいと思うことをやっていきたいと思っています。いままでは自分らしく生きるのはアメリカでしか無理で、日本は本当の自分を見せてはいけないとと思っていたけれど、自分で枠をつくっていたことに気がつきました。
これまではいつドームでコンサートができるかとか、チャートや数字を気にしてました。だけど最近、ファンの人たちに正直に聞いてみたら、「(数字とかは)全然気にしない」っていう反応で。だから自分がやりたいことを極めて、それをファンの人たちも楽しんでくれたらと思います。
カミングアウトしたことで、これまでのようにいろいろ心配せずに済むので、いまはリミットがなく、ファンの方々とも話せるし、好きな友だちと何も気にせず話せるようにもなって、本当に人生が変わったと思う。
――今後活動のなかでも、啓発はしていきたいですか?
音楽だけにとどまらずいろんなことをやっていきたいです。
今回も企業の方たちに自分の体験について話したり、同性婚などをサポートしている弁護士の方たちとあったりする予定で、自分にとっても有意義な時間だと思います。
人とあったり、話したり…。LGBTQ+の当事者だけじゃなくて、メンタルヘルスのサポートなどにも関われていけたらと思っています。自分が傷ついた分、人の痛みもわかると思うから。メンタルヘルスは大事なのに日本のカルチャーではまだ敬遠されたりもしますから。
と言っても、LGBTQ+の問題についてのアクティビストや、リーダーになりたいわけではありませんし、自分には向いてないと思います。ただ同じ「仲間」として一緒に助け合ったり、相談に乗ったりする活動はしていきたいと思っています。