京都とアフリカの職人技術を「融合」
中須さんは京都府出身。滋賀大学経済学部在学中の2012年、トーゴのラジオ局が記者募集している広告をインターネット上で見つけて渡航し、公用語のフランス語ではなく地元のエヴェ語を習得するなどして人々との交流を深めた。
大学卒業後は京都信用金庫(本店・京都市)に入社し、金融マンとしての道を歩み始めたが、トーゴ人の友人に言われた「みんなが笑って過ごせる世界をつくりたい」という言葉が頭から離れず、2018年10月、27歳の時に京都市でスタートアップ企業「株式会社アフリカドッグス」を設立した。
中須さんは、トーゴ滞在中に目にした地元の人々が織り上げる色鮮やかな布地と、京都信金勤務時代に出会った京都の染織職人の高いレベルの職人技に着目した。同時に、双方が低賃金で大企業の下請け的な仕事を強いられている現実にも疑問を感じた。
「トーゴと京都を知る自分が両者を仲介して新しい布地を開発し、双方が利益を得られる関係を構築できないものかと考えました」
今年6月、立命館大学国際関係学部で筆者が担当する「アフリカ研究」の講義にゲストスピーカーとして来ていただいた中須さんは、起業した当時の想いを大勢の学生に向けてそのように語ってくれた。
起業後は学生時代にトーゴで築いた人間関係をたどり、トーゴの首都ロメの北西約100キロの地方都市パリメに拠点を構え、京都との間を往復しながらビジネスを成長させてきた。
当初はトーゴから輸入した無地の布を京都で染め上げ、洋服に仕立てて日本国内で販売する取り組みから始まり、今では、トーゴの村々の子どもたちが描いた絵画を図案化し、京都の染色工房「アート・ユニ」(本社:京都市右京区、代表:西田清さん)と連携して「京風アフリカンプリント」と称する独創性の高い布地を開発するまでになった。
「京風アフリカンプリント」は、アフリカの豊かな自然をイメージさせる鮮烈な色使いと斬新な柄が特徴。布地から服を仕立てているのは、京都市在住のトーゴ出身の友人の男性である。
原画をデザインしたトーゴの子どもたちにも利益が還元される仕組みも整えたことで、中須さんはトーゴではすっかり有名人となった。
スタートアップ、拡大の矢先に
中須さんは布地関連のビジネスにとどまらず、アフリカの庶民の暮らしに関心を持つ日本人をトーゴで受け入れる研修などを企画してきた。その意欲と独創的な仕事ぶりは財界の経営のプロたちからも注目され、2018年の起業直後には、経済同友会所属の企業経営者らでつくる「アフリカ起業支援コンソーシアム」の支援先に選定された。
2020年には、前途有望なスタートアップの若手起業家を支援するプロジェクト「RISING STAR」(Forbes Japan主催)のメンバーに選ばれた。コロナ禍が沈静化しつつある今年、その活躍ぶりは新聞やインターネットメディアなどにも取り上げられ、すべては順調かに見えた。
中須さんは今回、8月4日にトーゴ入りし、新たに開発した「京風アフリカンプリント」の原画を描いた子供たちに出来上がった布地をプレゼントするなど忙しく動いた。ここまでは、いつもと変りないトーゴ滞在であったが、到着から4日後に事態は暗転した。
8日午後2時30分(日本時間同日午後11時30分)、日本から遅れて到着した研修参加者の大学生を運転手付きの車で首都ロメの空港に迎えに行き、活動拠点のパリメへ戻る途中、対向車が突然、中須さんたち3人が乗っていた車に正面から突っ込んできた。
後部座席に乗っていた中須さんは、衝突のはずみで開いたドアから車外へ投げ出された。
現場はパリメまで残り約10キロの農村地帯で、現場近くの住民たちが手分けして中須さんたち3人を近くの病院に運んでくれた。
運転手と大学生は軽傷だったが、中須さんは意識不明に陥った。だが、病院にはCTスキャン、MRIなど脳の状態を検査できる機器が存在せず、「意識喪失を伴う頭蓋顔面外傷、 鎖骨骨折、右手右肘外傷等の重体」と診断され、応急処置が施されただけだった。
トーゴには日本大使館が存在せず、600キロ近く離れたコートジボワール共和国の日本大使館が兼轄している。外務省の統計では、トーゴ在住の日本人もほとんどいない。
事故発生の連絡を受けた在コートジボワール日本大使館は救援に乗り出し、中須さんは事故から2日後の10日に首都ロメの病院に救急車で移送された。
しかし、この病院にもMRIはなく、脳の状態は不明だった。最終的には17日に医者が同乗するチャーター機でモロッコ・カサブランカの病院に移送され、ここで初めてMRIによって脳の状態を検査することになった。
不幸中の幸いだったのは、MRI検査で脳の状態を調べたところ、損傷が見つからなかったことだった。
鎖骨や右腕などの骨折の手術を受けた後に集中治療室に入り、日本から駆け付けた父雅治さんが中須さんの妻子の映った動画を見せるなどして目を覚ますよう働きかけ続けた。
その結果、8月26日にうっすらと目を開け、現在は「ありがとう」「何とか生きている」など徐々に言葉を発するようになっており、31日には集中治療室を出て一般病棟に移った。
カサブランカ入りしている父親の雅治さんによると、中須さんは意識が戻って以降、医師も驚くほどのスピードで回復しており、容体が安定すれば、10月中にも日本へ帰国できる可能性があるという。
しかし、ロメからカサブランカへのチャーター機の費用のほか、カサブランカでの医療費、さらに今後日本へ帰国する際のフライトなどの費用を合計すると、保険でカバーできる金額を大幅に超え、総額2000万円近くの自己資金が必要になる見通しだ。
そこで、中須さんが起業前に約4年間勤務していた京都信用金庫の榊田隆之理事長のほか、中須さんの経営者としての才覚を高く評価する経済同友会グローバルサウス・アフリカ委員会委員長の渋澤健氏、中須さんをよく知る龍谷大学副学長の深尾昌峰氏らが中心になり、9月2日に治療と移送に必要な費用の寄付を呼び掛けるクラウドファンディングがスタートした。
中須さんがトーゴの人々の生活改善に尽力してきた意思を尊重し、呼びかけ人一同は「支援が必要金額を超過した場合、帰国後の治療費やアフリカでの小学校建設など中須さんが取り組んでいた事業継続のための諸費用に充当させていただきます」とのコメントを発している。