横須賀新港をのぞむ私立横須賀学院小学校(神奈川県)。ここで、英語を専門とする阿部志乃教諭は、外国語教育の中で海外の学校と子どもたちとの交流に力をいれている。
英語だけでなく、ほかの言語にも同じように関心をもってほしいと考え、2008年度以降、あえて毎年交流先を変え、フィンランド、ドイツ、ベラルーシ、ブラジル、ガーナ、ケニア、バングラデシュなど、欧米、アジア、アフリカの45の国・地域とAI翻訳を通じて交流を図ってきた。
阿部教諭自身もわからない言語で、かつ子ども用の辞書をそろえることが難しいことも多く、16年ごろからAI翻訳も使っている。
今年の4年生は、スロベニアの子どもたちと交流をしている。
7月5日午前の授業。教壇に立った阿部教諭が、クラッカーの箱を手で持ち上げて紹介した。パッケージの裏側には英語ではない言語が並んでいる。「何が書いてあるかを調べてみよう。解読できるかな?」と提案した。
子どもたちは数人ずつの班にわかれ、それぞれのタブレット端末を取り出し、パッケージの画像をソフトで読み込んで、まず文字が何語なのか、それを割り出した。スロベニア語とクロアチア語だった。その上で、それぞれの言葉を選択して翻訳し、何が書かれているのかを調べた。クラッカーとあわせて食べるとおいしいソースのレシピが載っていた。
それぞれの班が、必要な情報のたどり方や発見を報告しあった。「今度、このソースを作って、クラッカーを食べてみましょうか?」
授業の最後に、阿部教諭がそう声をかけると、教室から「おいしそう」「やってみたい」と歓声があがった。
「AI翻訳だけでは足りない」と子どもが気付く
阿部教諭が意識しているのは、授業のなかでAI翻訳を使うこと自体を目的化しないことだ。「交流をする上で、何か具体的なことを知るために使うツールとして位置付けている」。子どもたちはAI翻訳をうまく使いこなす。でも使い込めば、交流するという目的達成のためにはこれだけでは不十分だと、子どもたち自身が気づくようになるという。
AI翻訳ソフトの中には、音声機能も充実しているものもある。「子どもたちにとって言語の違いを意識することにつながり、面白いらしい」。たとえば同じアルファベットでも言語によって発音が違うという気づきが生まれ、文字に関心をもったり、文法の法則を見いだしたりするようになっていくという。
「AI翻訳も使うことで、英語以外の言語圏の人とも簡単につながれるようになる。英語を相対化しながら、広い世界を感じてもらえれば」。経験を経て、英語圏以外に留学する子どもたちも出てきているという。
この手法を、数年前から公立学校で取り入れている先生がいる。大阪府守口市の市立小学校で教える北野ゆき教諭だ。北野教諭も海外の学校と子どもたちとの交流の機会をつくっている。今年は5年生がイタリア、6年生が台湾の子どもたちと交流している。
交流を下支えしているのが、やはりAI翻訳だ。辞書を買う費用もかからず、子どもたちが伝えたい言葉もスムーズにでてくることが多い。以前は、まだ十分に訳せない言葉もあった。子どもから「『推し』がでてきいひん」と言われたことも。そのときは「もっとわかりやすい日本語に変えよう」と言って、国語辞典も使って言い換えを促しながら手紙を完成させた。AI翻訳だけに頼らないことも教えている。
「嫌い」「怖い」の気持ちが変化 積極的に交流
実は、授業を始めるとき、子どもの一定数は「外国の人は嫌い」「コミュニケーションをとるのは怖い」と消極姿勢だという。それでもオンラインの動画などで、同年代の外国の子どもたちが英語で自分たちとコミュニケーションをとろうとする様子を見ると、関心が高まるという。一生懸命ひらがなで書かれた手紙が送られてくると、「相手の言葉で書いてみよう」と声があがりだし、自主的に「台湾の言葉は、中国の中国語とは違うようだ」と調べてくる。
「交流後は、外国人について『嫌い』『怖い』と言う子たちの割合が明らかに減るんです。外国語学習をそうした意識の変化につなげていければ」。北野教諭はこう言って目を細めた。
こうした交流でAI翻訳を使う効果について、神奈川県厚木市の市立小学校で働く成田潤也教諭は「外国語を学んでからでないと、外国人と交流できないと考えられてきた。でもAI翻訳を適切に使えば、学び始めの段階でも、交流できるようになる。言語を学ぶ動機付けにつなげられる」と説明する。
数年前、神奈川県教育委員会の指導主事として働いていた際、県内の二つの公立学校の教員との共同研究で、AI翻訳の機械を導入。一つの学校では、「翻訳されやすい日本語の特徴」について、国語科と教科横断型で学習したり、実際にAI翻訳の機械を使って外国語指導助手(ALT)とコミュニケーションをとったりした。また別の学校では、小学6年生の修学旅行の一環で訪れた日光東照宮で、自分たちが授業で調べた内容をほかの観光客に伝えるという取り組みをおこなった際、AI翻訳の機械も使って海外からの旅行客も説明相手の対象にした。
旅行客だと、相手の話す言語も事前にわからない。このためその場で、子どもたち自身が言語を設定しながら話しかけていった。子どもたちからは「伝えたいことが間違って伝わった」「最初に声をかけるのが怖かった」といった声もあった一方で、「少しだけ、翻訳機を使わないで会話できた」「難しい言葉はAI翻訳の機械を使ってうまく伝えられた」「外国人のやさしさや温かさを感じられた」「交流できて楽しかった」といった感想が寄せられた。
修学旅行後、子どもたちに「AI翻訳があれば外国語を学ぶ必要はないか」とたずねたところ、「必要だ」という声が圧倒的だったという。
「AI翻訳だと、どうしても間ができてしまってスムーズな会話にならなかったり、正しく翻訳されなくて会話が成立しなかったりするから」「自分の言葉で伝えることで相手に伝わることがあったり、相手のことも、自分で理解することで感情がわかったりするから」などが、その理由だった。
さらに取り組みを振り返る中で、「いろんな言語を知るのは面白いと思うようになった」「AI翻訳があれば、自分一人でも外国語を勉強できそう」といった声が寄せられたという。
成田教諭は、「子どもたちがAI翻訳を使いこなすことができるようになれば、外国語を『先生から教わる』だけでなく、より『自ら学ぶ』こともしやすくなる」と期待を寄せる。
「日本語ができない子」でなく「中国語ができる子」
AI翻訳によって、来日したばかりの外国ルーツの子どもの学習につながり、クラスメートとの関係も良くなった、というケースもある。
大阪府守口市の市立小学校で勤務する加賀俊介教諭は数年前、担当する学級で、来日したばかりの日本語指導が必要な中国籍の子どもを受け持ったことがあった。週に1日は中国語ができる指導員が補助に来てくれるが、それ以外は、ほかの日本人の子どもたちと同じ教室で、授業についていかなければならない。
このため、加賀教諭は、市から子どもたちに支給されていたタブレット端末で複数のアプリを駆使。日本語で話した言葉を中国語で文字おこしをしてくれるAI翻訳のアプリも使って授業を進めた。
加賀教諭も意識して区切りながら説明すると、中国籍の子のタブレット端末にスムーズに中国語訳が表示されていった。授業がわかるようになっていく中国籍の子を見て、子どもたちも「日本語ができない子」ではなく「中国語ができる子」と一目おくようになったという。
中国籍の子自身も友達が増え、もっと日本語でコミュニケーションをとりたいと学習意欲が高まっていったという。
「語学教育のパラダイムシフトを」
AI翻訳の登場で、語学教育がどう変わっていくのかは、まだ見通せない。ただ大きく関心を集めており、6月の関西英語教育学会の基調講演は「どうする英語教師―AIが進化する時代において」と銘打ち、教室は小学校から大学までの英語教育関係者で満杯だった。
講演した千葉商科大の酒井志延名誉教授(外国語教育)は「(AI翻訳の進展で)企業は新入社員に英語の知識を求めなくなるかもしれない。だからこそAI時代に対応した、社会が必要とする英語教育の実践や指導法が必要なのではないか」と指摘。
その上で、「いまの国際情勢を見ていると、どこの国も自国を優先に考える動きがあり、理性的能力がかつてないほど求められている。外国語教育は学習者の異文化理解能力、コミュニケーション能力を高められ、人間の成長にとって必要だ。うまくパラダイムシフトしていければ」と結んだ。
教育者にとっても大きな変化の時期だ。でもAI翻訳があれば、これまで英語が苦手で、海外にうって出られなかった教え子たちも壁を感じずに進出できるようになるかもしれない。そうした子どもたちに必要な語学教育について、今までを否定せず、でも新しい発想をもって模索してほしい。そんな思いがある。
文部科学省は7月、教育現場での生成AIの利用に関する暫定的なガイドラインを発表。活用例として「英会話の相手として活用したり、より自然な英語表現への改善や一人一人の興味関心に応じた単語リストや例文リストの作成に活用させること、外国人児童生徒等の日本語学習のために活用させること」などをあげた。