毎日、生活していくなかで、頑張れば頑張るほど空回りして、結局ストレスを感じてしまう――。そんな人も多いのではないでしょうか。近年はSNSの普及によりストレスを抱える人も少なくありません。今回は日本と海外を比べながら、そして筆者の経験も交えながら「どのようにしたらストレスから自由になれるのか」について考えてみます。
SNSが「目覚まし」代わりに
SNSが好きか嫌いかと聞かれたら、筆者は「好き」です。朝起きて、眠い時でも、Twitter(「X」に名称が変わりましたが、ここではTwitterと書きます)などを見ると頭がさえ、思考がはっきりします。筆者にとってTwitterを見ること、つぶやくことは「コーヒー代わり」そして「目覚まし代わり」なのです。だからツイートは朝が多かったりします。
筆者の目覚めに大いに貢献しているTwitterですが、適度に目が覚めたところで、いったん横に置かないと、その日に使う自分のエネルギーを全部Twitter(SNS)に持っていかれることになってしまいます。
自分がつぶやいたことにリアクションがあり、さらにそれに返事をしていくと、楽しいですが、かなりの時間を費やします。そのうち、匿名で筆者に嫌みを飛ばしてくるツイートを目にしてしまうと、やっぱり気になりますし、そこで「リアクションしようか」「スルーしようか」などと考えているうちにどんどん負のスパイラルに入って行ってしまう気がします。
そのため最近はTwitterである程度目が覚めたら、携帯はいったん、かばんにしまうようにしています。
SNSは楽しいけれど、疲れる
でも日中にふと時間が空いたとき、夕方に電車で移動しているとき、やっぱりまたSNSを開いてしまいます。Twitterでは見知らぬ人との会話が多く、筆者は基本的には楽しいのですが、「疲れるなあ」と思わされる場面も。
たとえば、先日、『ドイツの女性はヒールを履かない 無理しない、ストレスから自由になる生き方』という筆者の新刊について、宣伝もかねてつぶやきました。
タイトルを見てもわかる通り「女性の生き方」にまつわる本ですが、なぜか私のツイートに対してヒトラーの話題を送ってくる人、ドイツという国の政治の問題点を長々と書いてくる人がいました。そして「ヒールが嫌なら、ドイツにお帰り下さい」というコメントも。
嫌でも目に入ってきてしまい、「全てのコメントを真剣に読んでいたら、メンタルをやられるぞ」と思いました。
ドイツでも問題になっているSNS上の誹謗中傷
日本ではSNSを中心としたネットでの誹謗中傷が原因で命を絶つ人が後を絶ちません。ネットの誹謗中傷は日本だけでなくヨーロッパでも大きな問題です。
2022年7月にSNSでの誹謗中傷が原因で自殺したオーストリア人の女性医師Lisa-Maria Kellermayrさんの件が報じられると、ドイツ、オーストリアなどのドイツ語圏の国を中心に「SNSの是非を問う議論」が起きました。
この女性医師は「(新型コロナウイルスの)ワクチンを打ちましょう」と啓蒙活動を行っていたのですが、その過程でワクチン反対派の人達からの猛烈なバッシングに遭い、やがて彼女のもとには「拷問してから殺してやる」といった脅しが頻繁に届くようになりました。
女性医師はこの問題について、医師仲間をはじめとする多くの人に相談をしていたことが分かっています。しかし返ってくるのは主に「ネットをやめればいいじゃない」というアドバイスだったといいます。
彼女の死後は公の場で追悼式が行われ、ネットのあり方について議論が行われるようになりましたが、生前は彼女の受けてきた中傷を過小評価する声が多かったのです。
彼女の死を受けて、自身のTwitterで長年医学に関する情報の発信をし、6万5000人以上のフォロワーがいたドイツの女性医師Natalie Grams-Nobmannさんが自身のTwitterアカウントを削除しました。
アカウントを削除した理由について、この女性医師は「SNSで冷静な会話がほぼ不可能であること」「ネットでの誹謗中傷がエスカレートし自らの生活が脅かされる可能性があること」「誹謗中傷についてSNSの運営会社に連絡をしても、対処をしてくれないこと」などを挙げました。
顔が見えないから中傷できる、匿名の怖さ
それらのニュースを耳にして筆者は改めて「よくも悪くも、自分を守れるのは自分しかいない」と思いました。
誹謗中傷をする人が悪いのは言うまでもありませんが、それらの対処に追われる過程で疲弊してしまうのは自分自身だからです。
女性医師のNatalie Grams-Nobmannさんは読んでいてためになる内容のものを沢山ツイートしていたため、筆者は同氏のアカウント削除を残念に思ったものの、「自分を守るためには、これぐらいすることも必要なのかもしれない」と感じました。
最近、筆者自身も「匿名は怖い」と考えさせられることがありました。
ある人物がTwitterで筆者のことを「ガイジンとか言うと『日本人だもん』って被害者ぶってくる。日本人名じゃなくてカタカナの名前を使っているのに笑」と書いていました。
ところが、その人のほかのツイートを見てみると、「本屋のドイツ語コーナー見ていたら話しかけられて、ドイツ旅行で使えそうな会話の本を聞かれたから何冊か良さそうなものをおすすめした」などと書いているではありませんか。
つまりこの人は、自らが顔も本名も出していないTwitterにおいては、平気で差別的なことを書いているにもかかわらず、顔が見える実生活においては、「本屋さんで困っている人にアドバイス」するような親切な人なのです。
顔が見えるリアルな人間関係に癒される
もしかしたら、リアルな生活では周りの人に気を遣い過ぎるからネットで「毒を発散」しているのかもしれない、なんて想像してみました。
筆者自身はSNSをやめる気はないものの、改めて「匿名の人が数多く闊歩しているSNS」よりも「相手の顔が見えて、相手の名前もわかるリアルな世界」に癒しを求めたいと思いました。
筆者のリアルな世界での友達には「仕事上の付き合いのある人」も含まれますが、「まったく利害関係のない友達」と過ごす時間がとても心地良く感じられ、癒しになっています。
仕事でかかわっている人には話しにくいことでも、何の利害関係もない友達には「心の奥の部分」まで話せるからです。
ちなみに「(仕事とは関係のない、利害関係のない)友達と一緒に時間を過ごす」というのは、ある程度、時間の余裕がないとできないことでもあります。
そう考えると、「心地よい生活」のためのキーワードは「時間の余裕」だと思います。ある程度、時間の余裕があると、何か悩んでいることがあっても、一人で抱え込まず友達に話すことができます。
もしかしたら「友達付き合い自体が苦手」という人もいるかもしれません。その場合は一人でできる「散歩」がおすすめです。悩んでいることがあっても、歩いているうちに血のめぐりがよくなりますし、思考もクリアになるため、長く歩いた後はすっきりします。ただ今(7月31日にこれを書いています)は猛暑なので、散歩をするのは9月か10月ぐらいがよいかもしれません…。
筆者の新刊『ドイツの女性はヒールを履かない 無理しない、ストレスから自由になる生き方』(自由国民社)には、ヒールなど靴の話だけではなく、ドイツの恋愛事情や、幸せのあり方などについても書いています。「日々をどのように心地よく過ごせるか」を考える上で何らかのヒントになれば幸いです。