フィンランドの首都ヘルシンキ。中央駅から地下鉄で15分のイタケスクス駅には北欧最大規模のショッピングモールが直結し、近くには一度に1000人が利用できる地下の市営プールがある。
水中ウォーキングにいそしんだり、子どもたちがスライダーではしゃいだり……。年間40万人が利用する市民の憩いの場だが、硬い岩盤をくりぬいたこの巨大な地下空間には、もう一つの顔がある。
「有事の際は水が抜かれ、72時間以内に3800人収容の核シェルターとして利用できるように準備されます」
5月末、ヘルシンキ市の危機対策担当官トミー・ラスクさん(53)が、1993年建造の「シェルター」を案内してくれた。
地上の入り口から地下へと続く階段はゆるやかに右にカーブし、その先の廊下は逆に左に曲がっている。爆風などの衝撃が地下へ直接伝わるのを防ぐため、ジグザグに設計されているという。廊下を進むと、爆風や放射線を防ぐ分厚い扉が2枚あるが、普段は開いていて人が自由に行き来できる。地下約20メートルにあるプールを一望できる吹き抜けが広がっていた。
毎週泳ぎに来ているという地元の介護職員ユハさん(34)は「ここが核シェルターだということは、地元民ならみんな知っている。あまり意識してこなかったけど、ロシアのウクライナ侵攻で、やっぱりシェルターは必要だと感じている」と話した。
人口約550万人のフィンランドには、全国約5万500カ所に市民用シェルターが設置され、計約480万人を収容できる。中でも人口約65万人のヘルシンキ市には約5500カ所あり、旅行者ら住民以外も入れるように約90万人分のスペースを確保しているという。一定規模以上の建物に設置義務があり、シェルターの大半は民間の所有だ。
公営シェルターの建設は1950年代に本格化した。当初から平時には駐車場や運動場などとして利用できるように整備され、ヘルシンキ市の地下鉄駅もシェルターを兼ねている。爆風や毒ガスなどへの対策に加え、1970年代以降につくられたものは核シェルターとしての機能も備えており、条件によっては最大で数カ月間、避難することも可能だという。
市中心部に近いメリハカ地区の地下約20メートルにあるシェルターは、駐車場やサッカーコート、ジムや子ども向けの遊び場として使われている。周辺の集合住宅の住民ら6000人を収容できる。避難者は、シェルターの運営などの労働、自由時間、就寝の三交代制で動く想定で、簡易の3段ベッドは2000人分用意してある。
政府の指示が出ると72時間以内にジムや遊び場の運営者が設備を撤去する。ベッドやトイレの設営は避難者自らが行い、食料や寝具なども各自で持ち込まなくてはならない。「我々が提供するのは最低限生き延びるために必要な安全な場所と水のみ。民間防衛はサービスではなく、市民自らも役割を果たさなくてはならないのです」
人口の大半をカバーできる核シェルターを整備している国は、世界でもまれだ。ロシアと1300キロ超にわたって国境を接するフィンランドは、1917年にロシアから独立、1939~40年にソ連の侵略を受けた冬戦争を経験した。ヘルシンキ市のラスクさんは「巨大な隣国に苦しめられた過去があり、いつまた同じようなことが起きないとも限らない地政学的な状況もある中、私たちは備えることを選んだのだと思う」と説明した。
昨年2月のロシアによるウクライナ侵攻以降、市にはシェルターに関する市民からの問い合わせが急増した。「それまで月数件だったのが、昨年3、4月には数千件にのぼった」。最寄りのシェルターの場所などをたずねる人が多かったという。
ロシアの脅威にさらされてきたフィンランドは、ウクライナ侵攻で危機感を強め、長年の軍事的中立の立場から転換。昨年5月にNATO(北大西洋条約機構)加盟を申請し、今年4月に正式に加盟した。
市民プールに来ていた警察職員のアヌ・インキネンさん(51)は「ロシアという眠れるクマを起こさないように、私たちは常に東側に過剰に気をつけなくてはならなかった。長年、中立でいることがより安全につながったからNATOに加盟しなかったが、ウクライナへの侵略は越えてはいけない一線だった。核の脅威なんて、過去の思い出だと思っていたのに」と嘆く。
核シェルターへの注目は国外からも集まっている。内務省で危機対策の主任担当官を務めるヤルコ・ハウリネンさん(53)によると、侵攻直後やNATO加盟を申請した昨年5月をピークに、外国の当局やメディアから150件近くの視察や取材があった。
「多くの国では、シェルターは一握りの上層部の人々を守るためにしか考えられていないが、フィンランドではすべての市民が対象だ。世界で初めて女性の完全な参政権を実現した国でもあり、民主的でなにより平等を重んじている。一部の人が優先的にシェルターに入れる、というような考えはなじまないのです」