個人経営の高級ホテルやレストランが加盟する国際組織「ルレ・エ・シャトー」(本部・パリ)。料理はもちろん、もてなしや個性などについて厳格な審査をクリアした世界65カ国・地域の約580軒が名を連ね、国内では21軒が会員となっている。
2022年11月、イタリア・ベネチアで開かれた年次総会で、音羽香菜さん(38)は最年少の、そして日本人として初めての国際執行委員に選ばれた。
食文化や観光資源の豊かさ、多様性の継承をめざすルレ・エ・シャトーにおいて、ローラン・ガルディニエ新会長と、音羽さんら8人による執行委員会は、新会員の入会承認や戦略策定を担う組織の中核。音羽さんはまた、アジア・オセアニア地区を統括する副会長にも就任した。
「幼いころから食を通して人をもてなすことが好き。作る仕事に興味を持った時期もあるが、外国語ができれば世界中どこでも食にまつわる仕事に携われると思った」
今年2月にロンドンで開かれた初会合で、そう自己紹介した。
ガルディニエ氏からは「国籍や年齢など全く気にせず、君なりに思うことを自由に皆と共有できるようになってほしい」と期待の言葉をかけられた。
ガルディニエ氏が音羽さんを選んだ理由として挙げたのは、英語力や海外での豊かな経験、そして深い知識だ。「日本のガストロノミー(美食術・食文化)業界で働いていて、ほかの女性がこの業界に加わり活躍することを推し進めるロールモデルになる」
音羽さんがマネジャーやウェディングプランナーとして働くフランス料理店「オトワレストラン」(宇都宮市)は2007年に父、和紀さん(75)が自身の「集大成」として開き、2014年にルレ・エ・シャトーに加盟した。
和紀さんはドイツやフランスなどで修業し、フランスでは「厨房のダビンチ」と呼ばれた故アラン・シャペル氏に師事。その腕前は世界で広く知られる。2015年にはフランス政府農事功労章シュバリエを受章してもいる。
和紀さんに聞いた音羽さんの人物評は、目的に向けて自分で考えて確実に駒を進める「頑張り屋」。そして、「香菜の生き方には私の影響があると思う」と続けた。
音羽さんの初めての海外経験は小学6年。宇都宮市の事業でオーストラリアなどを訪れた。翌年、和紀さんの視察に同行してフランスを訪問。ほどなく、将来の夢として「海外に行きたい」と言い出すようになった。
学校では、自分の意見を求められる機会が少なかった。でも家に帰ると、和紀さんは「お前はどう思う。間違っていることはないから自分なりに感じたことを言ってごらん」とささいなことでも意見を求めた。そして常日ごろから、和紀さんに「自立が大切。高校を出たら家から出なさい」と言われてきた。
高校を卒業すると英国へ。語学学校に通いながら、フランス料理店で働いたときのことだ。大卒の同僚が徐々に責任のある仕事を任されていくのに、自分は皿運びなど単純な作業しか任されなかった。ホスピタリティーの現場でも、専門的な知識や系統立てて学んだ経験が重要だと痛感し、バーミンガム大学に入った。
授業の一環で選んだインターン先は、米東部ニューハンプシャー州のリゾートホテル。オーナーのジム・クーパーさんが父と同い年で、その姿が重なったためだ。クーパーさんは2019年に他界したが、妻イビーさん(73)は「丁寧で、鋭く観察してすべてのことを学ぼうととても熱心だった。私たちも本当の娘のように接した」と香菜の働きぶりを振り返る。
インターンシップが終わっても英国に戻らず、米国の大学に編入。卒業後も米国にとどまろうかと思っていたころ、長兄の元さん(42)が電話で「卒業したら戻ってくるんだろ?」。和紀さんも「宇都宮でも世界とつながる仕事ができる」と後押しした。
結局、8年余りの海外生活に終止符を打ち、27歳で帰国した。
オトワレストランでは2人の兄が厨房に立つ。そこには「レストランは世襲でないと質を保って向上させ、スピリッツを継承していくことが難しい」という和紀さんの思いがある。
和紀さんの信念に沿い、家業としてレストランを支える。その境遇を音羽さんは「歌舞伎界と同じ。子どもの頃から業界に接してきた」と語る。
レストランではサービスや店舗のマネジメント、ウェディングプランナーを担いながら、地域での食育活動にも携わる。「黒衣が天職」との自己評価だが、英語力と交渉力を生かして、ベトナムやマルタ島など海外に出かけてのイベントも手掛けてきた。
今年3月、オトワレストランで開かれた結婚披露宴ではスタッフに指示を出すだけでなく、自ら料理を運ぶ音羽さんの姿があった。「みなさん、笑って下さい」。記念写真のシャッターも押し、会場では「誰でも緊張しますよ」と20代の新郎新婦に笑顔で語りかけて和ませていた。
ここでレストランウェディングを挙げた人たちが、結婚記念日など大切な日に再びレストランを訪れることも多い。
2015年に披露宴を開いた宇都宮市の樋熊栞さん(32)は「音羽さんは信念を持ちながら私たちと披露宴を作ってくれた。分からないことはあいまいにせず、調べる姿勢もあった」。子ども同士が同じ保育園に通っていたこともあり、いまでも時間があれば顔を合わせて話をする仲だ。
音羽さんは幼い3人の息子の子育てと家庭、仕事にそれぞれ取り組んできた。ルレ・エ・シャトーの執行委員を打診された際、今まで以上に仕事が増えることを会社員の夫、阿久津裕一さん(48)に理解してもらえるか不安だった。しかし、「断る理由はないよね。人生最大のチャンスだよ」。
執行委員の会合で年に4回は海外出張し、オンライン会議もしばしば開かれる。時差があるため、家族が寝静まった深夜1時過ぎにリビングでパソコンに向かうこともざらだ。
子育ては、自身と夫の両家の家族に支えられてもいる。女性活躍を推進していくことは当然だが、社会全体で子育て世代や子どもたちを支える仕組みはないものか。家族や職場でのサポートと理解や共感が必要だと感じる。「『自分だけじゃない。一人じゃない』と、これからの若い世代や同じような境遇の方に勇気を与えられればうれしい」
コロナ禍では飲食業界が大きな打撃を受けた。「いつもよりもオシャレをして、おいしい食事と心地よいサービスを受けることで非日常を楽しむ。心が豊かになり、息抜きやストレス発散につながる。コロナ禍があって食体験の大切さに改めて気付かされた」
6月下旬には、栃木県日光市で先進7カ国(G7)男女共同参画・女性活躍担当相会合も開かれる。
「ルレ・エ・シャトーの認知度を高めて、世界中の素晴らしい宿やレストランの文化をつなぐ後継者たちを生み出していく。食に重きを置いた旅行や観光需要が高まる今こそ、それぞれの地域に根ざす食文化の多様性や豊かさを守り続けたい」