――統合司令部の設置が求められる背景には何があるのでしょうか。
まず、2011年3月の東日本大震災での対応があります。当時、統合幕僚長は首相官邸にずっと詰める日が続き、現場の部隊に適時に指示を出せない状況がありました。
また、米国の希望も大きかったと思います。米国は2006年、自衛隊に統合幕僚監部ができたことを歓迎しました。米軍の統合参謀本部議長のカウンターパートができたからです。
ただ、米軍には「インド太平洋軍司令官の相手になる、統合作戦部隊の司令官がいない」という不満が残りました。自衛隊は、有事などの際には臨時で統合任務部隊司令官を設置しますが、米軍が平時に訓練や協議する相手が日本側にいないからです。
こうした事情に、台湾有事への懸念が高まったこともあり、統合司令部の設置が決まったのだと思います。
――自衛隊の最高司令官は首相ですが、統合司令部のトップになる統合司令官はどんな権限を持つことになるのですか。
自衛隊の指揮権を持つのは首相と防衛相です。防衛出動など本当に重要な判断は首相が行い、それ以外の重要な判断は防衛相が行います。重要な判断を防衛大臣命令として出し、「細部は統幕長に指示させる」とし、それを受けた統幕長が「統幕長指令」として現場の部隊に指示を出してきました。こうしたやり方は、ミャンマーなどの軍事政権を除き、多くの民主主義国家が採用しています。
問題は、東日本大震災などの際、適時の細かい指示が十分にできなかったという点にあります。この問題を解消するためには、統合幕僚監部の機能を強化してその中に統合司令部を設置するか、あるいは実際に事態対処に当たる部隊を統合指揮する司令部を別に設置する必要があります。
東日本大震災などの自然災害は、いつどこで起きるのか予測が難しいですが、南西地域の緊張で、平素からの準備の必要性が高まったことから「常設の統合司令部を設置しておくべきではないか」という意見が反映されたわけです。
ただ、「どの地域で」「どの事案を」「いつから」任せ、「どの部隊を」指揮させるのかという議論は必要不可欠です。統合司令官の権限をどんどん広げていけば、「防衛出動の発動以外は、すべて統合司令官にやらせるのか」という議論に行き着きます。「どこまで委ねるか」という重要な問題が起きるわけです。
――最近は「市谷か、朝霞か」という統合司令部の設置場所に注目した報道が増えています。
防衛相がいる市谷(東京都新宿区)に統合司令部を置く方が、陸上総隊司令官がいる朝霞(東京都練馬区)に置くより、政治家の目が行き届くという議論は、情緒的で論理的ではありません。
問題は設置場所ではなく、「どこまで委ねるのか」という問題です。統合司令官にどこまで任せるかという議論をしっかりしないと、日米の司令部間の連携が密になることで、日本の自衛隊なのに、むしろ、米国の軍事的意向が強く反映されることになりかねません。
日本は、この委任の範囲があいまいになっています。自衛隊が戦闘をした経験がないからです。米軍は人の生死にかかわる問題だとして、権限を厳格に区切っています。「部隊がどこまで危険にさらされるのか」「近隣住民の犠牲者がどのくらい発生するのか」を考えます。政治的な影響を考え、作戦ごとに、師団長や連隊長などの権限を厳密に決めます。政治と軍事の境目がはっきりしているのです。
さらに、指揮官が誤った判断をしたときの措置として軍法や軍事法廷を設置しています。戦争での対応は一刻を争うため、現場の指揮官に委ねざるをえないことが多いからです。
これに対し、日本には自衛隊の指揮官が責任を負える仕組みがありません。先の大戦で旧軍が暴走したため、軍隊をつくらず、自衛隊を行政組織にしました。この仕組みにまで踏み込んだ検討をしないで、「市谷か朝霞か」と議論しても意味がないのです。
――どうして議論が進まないのでしょうか。
自衛隊を行政組織とみなすことで、政軍関係のあり方を真っ向から議論することを避けてきたからでしょう。今後は、政治のコントロールをしっかりと効かせつつ、自衛隊の軍事的能力をフルに発揮して国土を防衛していくためには、どのような組織体制にすべきなのかという点に注目し、議論していくべきです。