世界中の観光客やビジネス客でにぎわうフランスの玄関口、シャルル・ドゴール空港。第2ターミナルには、パリ中心部などに向かう列車の駅があり、待合スペースで人々が所在なげに時間をつぶしていた。ほとんどの人は、スマートフォンの画面を見つめている。
1分、3分、5分のボタンを押すと無料で物語が
飲料やお菓子の自販機、券売機が並ぶ待合スペースの一角、タイからのバカンス帰りのディディエ・フォシュアさん(65)はある機械の前で足を止めた。
自分の背丈と同じくらいの高さ。パネルには「短編配信機」とあり、腰の辺りに「1分」「3分」「5分」と書かれた三つの丸いボタンがあった。1分のボタンを押すと、機械の中ほどから長めのレシートのような紙が出てきた。つるりとした手触りの感熱紙に、1分で読み終えることができるフランス語の物語が印刷されていた。利用にお金は不要だ。
「すごく良いアイデアだ。ここは待つしかない場所だものね」。もう一回、今度は3分のボタンを押すと、もっと長い物語が出てきた。どちらも子ども向けの短編だった。「良いよ、たまに児童文学に触れるのも。最近は趣味の自転車の雑誌しか読んでなかったから」。そう笑うと、紙をクルクルッと丸めてリュックに入れた。
機械を造ったのは、フランス・グルノーブルに本社がある出版社「ショート・エディション」。同社創設者の一人でCFOのイザベラ・プルプリさんによれば、開発の経緯はこうだった。
お菓子の自販機から生まれたアイデア
ある日のこと、プルプリさんらは会社の入るビルの1階のスペースでおしゃべりをしていた。近くにはお菓子の自販機があった。1人がつぶやいた。「ボタンを押すと物語が出てくる自販機があれば良いのに」。誰も見たこともない、それこそ夢物語のような自販機だが、彼らはそのアイデアに魅了された。そして、実際に造ってみた。
機械で文字を印刷するのは簡単だ。
「問題はどうやって無料で提供できるか、でした」。プルプリさんは振り返る。
アイデアが生まれてから約5年後の2015年、関心を示したのは、地元グルノーブルの市長だった。経済的な理由などで本が買えない人々にとって、文字にアクセスできる貴重な機会になるとも考えたという。市役所やコミュニティーセンターに設置すると、地域ニュースなどで取り上げられた。
古くからある紙と、デジタル技術を組み合わせ、ランダムに出てくる物語と人々との「出会い」を実現する「物語の自販機」として話題になり、問い合わせが相次いだ。
空港の駅の待合スペースに自販機を置いたのはフランス国鉄。パネルにはフランス国鉄のロゴが入っている。設置者にとっては、ブランド価値を高める機会になる。「列車が遅れたときにも役立つかも知れない」と、ショート・エディションの国際販売担当クリスタン・ロワさんは笑う。
病院やコミュニティーセンター、博物館など、利用者を待たせたり、列ができたりする施設がこぞって導入しているという。
取材に訪れた2月には、パリの有名デパート、プランタンの宝石売り場にも置いてあった。バレンタイン商戦の期間限定で、恋愛ものの物語が出てくる仕様だ。
関心がある企業や自治体には、自販機の費用として約100万円のほか、コンテンツの購読料(月額約2万5000円)を払ってもらう。それが、ショート・エディションの経営費や利益、そして投稿者への報酬を生む仕組みだ。
定期的にコンテストを開催して物語を募集
物語の売り込みも絶えないといい、月100~150本の原稿が届くという。フランスでも「文字離れ」は進んでいる。「書きたい、表現したいと思っている人は今もたくさんいるけど、世に出るチャンスは多くない」とプルプリさん。同社は定期的にコンテストを開催し、物語を募集している。同社編集チームが複数回読み込み、合格すれば、自販機に供給される。
「これから花開こうとする作家を後押ししたい」と、多くは新人の作品だが、中には古典や、英国のミステリー作家アンソニー・ホロヴィッツなど、人気作家の書き下ろしもある。
出てくるのは小説だけではない。漫画や詩、俳句などもあり、フランス語と英語だけで数千の作品がある。ジャンルも日常生活、SF、ロマンス、ユーモアなど多彩だ。
手触りがある「紙」に印刷することにもこだわる。プルプリさんは「紙があることで読者は、『贈り物』をもらったような気になるんです。ポケットやバッグに入れて持ち帰って後で読んだり、友達や家族と話したりもできる」と話す。物語を気に入れば、同社のウェブサイトで同じ作家の作品を探すこともできる。
世界に約600台 小型の物語自販機は学校や大学で活躍
学校や大学との連携も進む。より持ち運びやすいキューブ型の小型自販機が授業や講義で使われている。子どもたちが書いた作品を教師が添削し、できあがれば機械から印刷して自宅に持ち帰らせる仕組みだ。ロワさんは「親はとても喜びますよ」。
すでに同社の自販機は欧州や米国各地に広がり、まもなく600台を超える。アジアでは香港や台湾などにあり、英語や中国語の作品が読める。
日本にはまだないが、「興味のある人がいればぜひ進出したい」とロワさん。同時にプルプリさんはこう強調した。「私たちが一番大切にしたいのは、この自販機はアートであるということなんです。ビジネスはその次」。自販機から出てきた紙を手にした読者に「自分も書いてみたい」という創作への意欲をうみ出せればうれしい、という。
この自販機に魅了された一人が、世界的な映画監督フランシス・フォード・コッポラさんだ。グルノーブルの1号機設置後、すぐにメールが来た。1号機について報じたアメリカの雑誌記事を読んだというコッポラ監督は、メールの翌月にはフランスへ飛んできた。すっかりほれ込み、自らが経営するサンフランシスコのカフェに置いただけでなく、会社への投資も決めた。
「気に入った」経営するカフェに置いたコッポラ監督
ショート・エディションのホームページの動画でコッポラ監督は「自販機なのに、アート作品が出てくる。しかもお金を入れなくていいところが気に入った」と熱っぽく語る。
従来の自販機の形も、ビジネスモデルも、提供するものも変えた「物語の自販機」。ワイナリーを経営していることでも知られるコッポラ監督は、こう言ったという。
「木に栄養が必要なように、人間の心にも栄養が必要だ。スナックや炭酸飲料より、文学というおやつが良いね」