ほのかな光に照らし出された老舗ジャズバーの観客席に、かすかな驚きが広がる。
大阪市内で昨年11月下旬に開かれた「ジャズカラバッシュ」。ピアニストの永田有吾さんが2021年から関西のミュージシャンを中心に始めたジャズフェスだ。
中島さち子さん(43)と5人のバンド仲間は、自作の曲や民話の語りをはさみ、ジャズの枠をどんどんはみ出していく。
最後はスクリーンに観客席を映し、手拍子の大きさに反応して色とりどりの花の絵が飛び出す映像で会場を盛り上げた。
中島さんの音楽を一度聞いてみたかったという大阪府吹田市の女性は「音楽とグラフィックの融合や、観客との一体感が良かった」。奈良県の男性は「かなり異色だったけれど、楽しみました」と話した。
同12月半ば、今度は、中島さんは奈良市立一条高校付属中学校の教室にいた。
この中学校のアドバイザーとして、分野を横断する授業を提案し、教壇に立つ。
この日は1年生80人を対象に、理想の家を考える授業だ。
「家にどんなセンサーがあったら便利かな? 人が感じるものにはどんなものがある?」
生徒たちから「触覚、嗅覚、味覚……」と声が上がる。社会、理科、プログラミング、アートも組み合わせて考える授業だ。
中島さんを一つの肩書で表すのは難しい。ジャズピアニスト、数学研究者、教育者、そして2025年の大阪・関西万博のテーマ事業プロデューサー。
一見つながりのなさそうな世界の間を、「クラゲ」のように浮遊しながら歩んできた。
会社員の父親と専業主婦の母親のもとに、大阪・羽曳野市で生まれ、4歳からは東京や神奈川県で育った。
幼い頃は川に行くと、川面を見たまま2時間も動かなくなるような、ちょっと変わった子どもだった。
3歳から通い始めた音楽教室では周囲の子が手拍子をする輪に入るまで半年かかった。
練習曲より、「台風の音」「子犬が遊ぶ様子」などと、自分で作曲するのが好きだった。
小学校では電車の時刻表などを見て遊ぶクラブと、将棋やオセロをするクラブに入った。両方とも女の子は1人だけ。遊び相手はいつも男の子ばかりだった。
一つの問題をじっくり考えることが楽しくて、中学に入ると大人向けの数学雑誌を買い、編集部が出す問題に解答を送るようになった。
中学3年のある日、家に電話がかかってきた。問題を作成していた数学者で大道芸人のピーター・フランクルだった。
「一緒にやりませんか」
大人でもなかなか解けない問題に中学生の女の子が正答を送ってくるのを見て、声をかけたのだ。
事務所に行くと、同世代の男の子が数人集まっていた。「国際数学オリンピック」を目指しているという。
国際数学オリンピックは、毎年世界中の高校生以下を対象に行われる大会だ。1日に難問3題をじっくり4時間半かけて2日間にわたって解く。予選、本選、合宿を経て6人の日本代表が決まる。
フランクルの元に通いながら他のセミナーなどにも参加するようになった。
高校2年のとき日本代表に選ばれ、インドで開かれた大会で女性の日本代表としては初の金メダルを獲得。
翌年のアルゼンチン大会でも銀メダルを取った。その後、オブザーバーとしてルーマニア大会にも関わった。
数学オリンピックは中島さんの世界を変えたが、それはメダルだけではなかった。
インドでは学校に行けない子どもたちを多く見た。海外の参加者に日本の宗教や政治について聞かれたが、きちんと答えられなかった。
「私は音楽も数学も自由にやっているようで、知っている世界はほんの一部なんだ」と思い知ったのだ。
以来、世界の文学書や哲学書を読みあさるようになった。
中島さんにとって、音楽と数学は切り離すことのできないものだ。
音楽には隅々に数学が隠れている。
人が心地よく感じる音やリズムには数学的な規則性があり、古代ギリシャの哲学者ピタゴラスは音と周波数の関係を見いだした。数学者や物理学者で音律の研究をした人もいる。
「数学も音楽も、論理と感性が行ったり来たりする。自分で問いを立て、答えを求め続けるのも同じ。創造も探究も終わりがないところにひかれる」と言う。
神奈川県の高校を卒業後、東京大学に入学。
たまたまジャズのサークルに入り、即興で演奏する面白さに引き込まれた。
昼間はゼミで数学の問題を解き、夜はプロの音楽家とセッションをする生活。
さらに、名ジャズピアニストと言われた本田竹広との出会いが、将来を方向付けた。
本田は病に倒れ、片手がまひしても弾くことを諦めなかった人だ。
本田が演奏すると涙する人たちがいた。音楽を通じて生きることを表現する姿を見て、ますますのめり込んだ。
4年生になると、就職活動の代わりにジャズクラブを回り、「弾かせてください」と頼んで歩いた。
音楽はまったくの自己流だ。
周囲からは「好きなことは仕事にするな」と言われ、将来のめどもなかった。予備校で中高生に大学レベルの数学を教える仕事をしながら暮らし始めた。
クラブに行っても、客がひとりもいない日もあった。それでも演奏できれば十分だった。
ある日、弾き終わるとクラブのオーナーが言った。「めちゃくちゃ面白いじゃないか」
オーナーから前衛的な演奏やパフォーマンスで知られるビッグバンド「渋さ知らズ」を紹介された。
即興で反応しながら演奏するスタイルで、海外でも人気が根強いバンドだ。一緒にヨーロッパやロシアなどをツアーで回り、日本ではフジロックにも出演した。
そんな自由気ままな生活が大きく変わったのは、2005年に結婚し、長女が生まれてからだ。
数年後に夫と離別し、ひとりで娘を育てるようになった。安定した仕事を求めてeラーニングの会社に就職。
会社員をしながら数学と音楽とのつながりなどを本に書いたり、CDを出したりすると、講演依頼が来るようになった。
ちょうどこの頃広がりつつあったのが、アメリカ・オバマ政権が打ち出した「STEM(ステム)教育」だ。
先端分野である「科学、技術、工学、数学」の英語の頭文字を取ったもので、最近はさらに芸術の「A」を加え「STEAM(スティーム)」とも呼ばれる。これらの分野を横断的に学ぶのが特徴だ。
これはまさに自分がやってきたことではないか――。
2017年に退職し、自分で会社を立ち上げた。
従来の科目の枠にとらわれない学校の授業をつくり、自分でも教える。
たとえば、スポーツと数学を結び、球から逃げる子の動きから、経験や直感の合理性を分析してみる。プログラミングと他の教科を組み合わせて身近な問題を解決する授業もある。
中島さんが目指すのは「好きな分野をつなげながら、学び続ける楽しさを知ること」。
授業やバンド活動などをともにする打楽器奏者の小林武文さんは「視野が広く、面白い人はいないかといつも探している。だから魅力的な人が集まってくる」。
アーティストの武徹太郎さんは、「様々な形のアートをつなげる試みに共感している」と話す。
2020年には、2025年の大阪・関西万博でテーマ事業のパビリオンやイベントの企画・運営を担うプロデューサーの一人に選ばれた。
中島さんがパビリオンのイメージに選んだのは「クラゲ」だ。
「揺らぎのある遊びから、ひとの創造力が生まれる」。そんな思いを込めた。それはあちこちに浮遊し、一つの形にとらわれない生き方を模索する中島さんの姿そのものでもある。