■夜空を見上げて浮かんだアイデア
アイデアが浮かんだのは01年、東京大学で天文学を学んでいたころだった。100年に1度といわれた規模のしし座流星群を見ようと友人と千葉県の牧場を訪れた。流星ショーを見ながら友人に語りかけた。「流れ星ってちりなんでしょ。小さな粒を宇宙で放てば自分でつくれるってことだよね?」
鳥取市で生まれ育った。宇宙との出合いは中学生のころ。英国の宇宙物理学者ホーキング博士の「ホーキング、宇宙を語る」を読んで物理学の理論を美しいと感じ、天文学に興味が広がった。一浪して東大に入学。物理好きで東大合格と聞くと、スキのない秀才のようだが、母親の岡島光子(74)は「遅刻が多いと先生との三者面談でよく怒られました。いわゆる優等生ではありませんでした」。岡島自身も「大学ではマージャン漬け。おかげで4年生を2回やりました」と笑う。
大学では、周囲に引け目を感じていた。理学部には国際数学オリンピックでメダルをとったような学生がそろう。「同級生はご飯の最中も『スペクトルが……』と楽しそうだったけど、私はご飯のときはご飯を味わいたかった」。大学院に進むが「周りが優秀すぎて研究は無理」とあきらめた。
■リーマン・ショックで「リストラ」
当時、「天文学は税金で研究しているのに役に立たない」と批判する声がよく聞こえてきた。それには納得がいかず、「基礎科学の発展に貢献したい」との思いを強くした。基礎科学にはお金がいる。まずは資本主義を知ろうと、大学院修了後の08年、米金融大手ゴールドマン・サックス証券に入社した。実際は「博士号を持っていると研究職以外は採用してもらえなかった。博士号の人材を重宝するのは外資系金融機関ぐらいしかなかった」という事情もあったと岡島は振り返る。
入社1年目、リーマン・ショックが直撃。学部卒の同期より役職が上におかれたことがあだとなって、09年に退職を余儀なくされた。当時30歳。転職しようにも面接のたびに「博士号取得者はいらない」と言われ、友人とコンサル会社を立ち上げて生計を立てた。
そのころ、人工流れ星を実現させたいという思いがふくらんだ。ちょうど探査機「はやぶさ」が7年ぶりに地球に帰ってくる話題でもちきりだった。「人工流れ星で誰かに先を越されるのはイヤだ」と一念発起して、技術研究をスタート。11年、長男が生まれる2カ月前、人工流れ星を見ながら好きなビールをみんなで飲みたいとの思いから「ALE」と名付けた会社を登記し、たった1人でリビング起業をした。
そこからが岡島の本領発揮。専門家に会っては人工流れ星のアイデアを示し、共同開発を持ちかけた。東北大学大学院准教授の桒原聡文(40)は、岡島と初めて会った日を覚えている。「語り口が純粋。『人工流れ星って実現できますよね。私、実現したいんです。技術的にもできると分かっているのに、何で誰もやらないんですか?』と言われました」。桒原は最初、逡巡した。「そもそも人工衛星から小さなモノをこぼすことは、宇宙の安全上あってはならない。多くの粒を放つなんて専門家の常識ではありえない」。それでも手をさしのべた。
「決め手は仕事のワクワク感。常識人がやらないことをやると、新しい世界が見える気がした。初期的な検討をしたところ、軌道上の安全性を担保する方法も見いだすことができたのです」
■損得でない、純粋な好奇心
岡島は子育てをしながら突き進んだ。向かった先は元上司でゴールドマン・サックス・アセット・マネジメント社長の桐谷重毅(59)。単刀直入に事業への出資を求めた。桐谷は振り返る。「いつか人工流れ星を流したいと話すのを聞いてはいましたが、本気でやると思わなかった」。失敗の恐れもあるのに桐谷は個人での出資を約束した。
「金融業界の人はリスク・リターンを考えますが、それが感じられず、純粋な好奇心というか面白いからやっているように見えた。『これに関わると得するよ』とか、そんなアプローチじゃない。だからこそ損得抜きで多くの人が支援しているのでしょう」。これが呼び水となり、お金が集まりだした。一部投資家からは「宇宙ってビジネスになるのか」と厳しい言葉も浴びせられたが、粘り強い交渉を重ねたところ、出資してくれる会社が出てきた。
エンジニアもそろい、開発が波に乗ってくると進展があった。人工流れ星の素をのせた衛星が宇宙航空研究開発機構(JAXA)のイプシロンロケットに搭載されると決まり、いよいよ現実味を帯びた。順風満帆に見えた17~18年ごろ、挫折も味わった。メンバーが会社を去っていったのだ。「ビジョンやミッションを共有できず、小さなボタンのかけ違いが大きなズレになった」。そこで会社がめざすものを「科学を社会につなぎ宇宙を文化圏にする」と再定義し、人工流れ星の研究を通じて基礎科学発展に資するという軸をはっきりさせた。
そして19年、鹿児島県の観測所で衛星初号機をのせたロケットが宇宙に放たれ、その年末には2号機打ち上げに成功した。だが20年春、流れ星の素を放つ装置に動作不良が見つかり、実現目標は23年に延期となった。岡島は「モチベーションをなくし会社を去る人が出るかも」と心配したが、延期を理由に離れる人はいなかった。「みんながミッションを共有し、次は絶対やると同じ方向を見ることができた」
■「自分よりできる人」を集める
一人で始めた会社は約40人に増え、人工流れ星の実現も間近となった。ビジネスの才覚があると思うか聞くと、岡島は否定した。「得意なのは『自分よりできる人』を集めること。一人でやるよりみんなでやった方が早くできることを知っています」。ともに修羅場をくぐってきたALE執行役員、長柄奈々絵(47)は岡島をこう評する。「能力があるのに、それを表に出さない。他人に対し、いい意味で無防備でバリアーがない。素のままでひょっこり現れるイメージ。だからこそ『できる人』を味方につけていく」
いま人工衛星3号機打ち上げに向けて準備が進む。岡島は「前回の動作不良の原因は特定済み。『強くてニューゲーム』なのです」。ゲームの課題をクリアした状態で、ゲームを再開できる機能を意味するゲーム用語を使って説明した。つまり、さらに上の技術レベルをめざせると言う。「23年は100%成功といいたいですが、科学の世界では100%はありえないので、100%近い成功確率があると考えます」。宇宙空間というキャンバスに、人工流れ星を描く日は遠くない。(文中敬称略)
■プロフィル
- 1979 鳥取市に生まれる
- 2003 東京大学理学部天文学科卒業
- 2008 東京大学大学院理学系研究科天文学専攻で博士号取得 ゴールドマン・サックス証券に入社
- 2009 人工流れ星の研究を始める
- 2011 株式会社ALEを設立
- 2019 自社開発の人工衛星初号機がイプシロンロケットに搭載、打ち上げ成功 人工衛星2号機打ち上げ成功
- 2020 2号機に動作不良が見つかり、この年に予定した人工流れ星を流す試みは延期
- 2023 人工流れ星を流す予定
生き物が大好き…「小学生のころ、外に遊びに行って帰ってこないので心配していたら、3時間以上ずっとカマキリの卵やアリの行列を見ていたようです」。岡島の母親、光子は振り返る。なりたい職業は、「ムツゴロウ(畑正憲)さん」だった。いまも生き物や昆虫が大好きだ。休日になると長男(10)と次男(5)といっしょに地元の公園などに出かけては昆虫観察に夢中になっている。
人工流れ星の「素」…自社の人工衛星から放出する流れ星の素となる粒は、見た目はパチンコ玉とほぼ変わらない。ALEが独自に開発したもので、「どんな材料が使われているかは企業秘密です」(岡島)。人工衛星の打ち上げに向けては、国際宇宙ステーションや他の衛星にぶつからないか、宇宙で放った粒が地上に落ちてくる可能性はないかなど、JAXAの厳しい安全審査をクリアしたという。