昨年12月、神奈川県横須賀市の観音崎沖で、佐田和子さん(71)は夫・光三郎さんの遺骨の入った包みをそっと海へ放った。花びらをまき、夫が好きだったお酒を注いだ。水溶性の包みは水に溶け、パウダー状の遺骨は海へと還っていく。3人の子と義妹とともに波間に揺れる花を見ながら、ぐっとくるものがあった。
長年、都内の特別支援学校で教員を務めた夫は釣りが大好きで、仕事の合間を縫っては、職場仲間らと三浦半島に海釣りに出かけていた。狭い装置の中に入るのは無理だと、MRI検査を受けられないほどの閉所恐怖症だった。暗くて小さなお墓の中より、海で良かった。改めてそう感じた。
この日、散骨を行ったのは、NPO法人「葬送の自由をすすめる会」(東京都千代田区)。1991年に初めて公に散骨を行ったとされる、草分け的存在だ。会では散骨を「自然葬」と呼ぶ。
和子さんは知人を介して会を知った。自然葬への思いが固まったのは、義母の四十九日の法要を終えた2019年2月。家族会議で長男が問いかけた。
「2人は、おばあちゃんみたいなお葬式がいい?」。和子さんは岐阜出身。ともに都内の教員で、職場で出会った夫は宮崎出身。菩提寺も墓もない。このとき初めて、自然葬を考えていると伝えた。夫は「子どもたちの好きにしていいよ」と言った。
半年後、夫が突然病に倒れ、2カ月後に68歳で亡くなった。
生前葬の代わりに、旧知の教員仲間らと集まって福祉や教育について語り合いたいと、病と闘いながら自ら計画していた会を5日後に控え、会場やあいさつの動画も用意していた。葬儀は行わず、自宅から直接火葬場へ向かった。その翌日、予定通り開いた会には約200人が集まり、お別れの会となった。
コロナ禍もあり、それから約3年。自然葬を前に遺骨を分けた。今も手元に残る二つのうち、一つは夫の故郷・宮崎の海にまく予定だ。もう一つは手元で供養する。元図工専科教師で、今は小さな教室で陶芸を教える和子さんが小さな藍色の骨つぼを焼き、子どもたちと分けた。
いま、一段落ついた安心感とともに、夫が近くにいるように感じている。あのときの長男の問いかけがなければ、自然葬という選択はできなかったかもしれない。タブー視をせずに家族で話し合うことが大切だと、今でも感謝している。
子どものころの荒天下の海水浴がトラウマで、自分の時は山へ、と以前は考えていた。でも雨が降れば川に流れ、やがて海へ行き着くはず。海もいいかな。子どもたちにも伝えてある。
広がる散骨、法的な位置づけは
1948年にできた墓地埋葬法は埋葬と火葬について規定するが、遺骨を海や山にまく「散骨」は想定していない。
墓園の乱開発などへの問題意識から発足した「すすめる会」は、1991年に初めて散骨を行う際、厚生省(当時)と法務省に確認。散骨は同法の対象外で、葬送の目的で節度をもって行う限り刑法の遺骨遺棄罪にも当たらないという見解が出された。
携わる業者は次第に増え、今では年間1万件以上との推計もある。2020年度には厚生労働省が初めて、散骨を行う事業者向けのガイドラインを出した。
会ではこれまでに海や山で4638人の自然葬を行った。会員は現在、約5000人。今でも「散骨は違法」と勘違いされると嘆く声もあり、昨年6月に「自然葬推進法案」をまとめた。自然葬(散骨)を基本的人権の一つと位置づけ、法制化を訴える。
4代目会長で弁護士の中村裕二さん(66)は「お墓を持たないと『罰が当たる』というのは、一種の刷り込みのようなもの。墓を作りたい人、自然葬を望む人、それぞれの生前の自己決定権の問題だ」と指摘する。
「私自身、暗く冷たい墓の中に入りたいと思っていない。自然葬は、墓地の乱開発を防いで環境保全に貢献し、また土地の有効利用を可能にすることでより持続可能な社会の実現につながる」