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ITで世界から注目の高崎義一さん 震災きっかけで波乱の転身 正直者が報われる社会を

Breakthrough 突破する力 更新日: 公開日:
IT企業ドレミング創業者の高崎義一さん=2023年1月12日、兵庫県西宮市、林敏行撮影

高崎さんは2022年秋にインド第3位の銀行やインド工科大学と契約し、23年給料をスマートフォンに直接入金する実証実験に乗り出す。

インドや途上国の多くには給料から所得税などを天引きする源泉徴収制度がない。脱税が横行し、政府は常にインフラ投資などの財源に悩んでいる。

現金経済は強盗や汚職といった多くの犯罪の温床にもなっている。インド政府は日本でいえば5000円札や1万円札に当たる高額紙幣の発行を16年にやめ、電子マネー(デジタル通貨)への切り替えを進めようとしている。

そこで、高崎さんらが日本で開発したスマホによる勤怠管理・給料即時払いシステムを普及させる計画なのだ。

インドでは、維持にお金のかかる銀行口座は持っていない人が大勢いる。5年ほど前の世界銀行の調査では世界で17億人もの成人が口座を持っていなかった。途上国で給料の現金払いをやめられない一因だが、そうした人でも仕事探しに欠かせないスマホは持っている。

「ならばスマホに電子マネーで給料を払い込み、所得税や決済時の消費税を自動徴収すればいい。失業対策の財源ができる」と高崎さん。

汗かく人を正当に扱うシステムに

しかし、それでは手取りが減って嫌がられるのではないか。

「給料日まで待たなくても、求めればその日までの分はすぐに振り込まれるようにする。電子化した人は銀行から少額貸し付けも受けられるようにし、真面目に納税して借金を返済すれば、次の借り入れで優遇され、より待遇のいい仕事が紹介されるシステムを作りたい」

「インドでは約60%が非正規労働者だ。シャベルのような道具もろくにない。少額貸し付けで必要な道具を買えばそれだけで生産性が上がる。どんな道具があれば、どのぐらいの所得増につながるかといった貴重なデータも得られる。真面目に働く人たちの生活向上につなげたい」

アイデアは泉のように湧き、尽きることがない。

その原点は意外なところにあった。1995年1月17日未明に起きた阪神・淡路大震災だ。

「ゴーッ」。ものすごい轟音(ごうおん)と揺れで目が覚めた。テレビが窓を突き破って、家の外に飛び出していた。あわてて妻と幼い子ども2人に「逃げるぞ」と声をかけた。

外に出ると、目の前にあった山陽新幹線の高架が崩れかけていた。

昔の自宅近くを通る山陽新幹線の高架を見上げる高崎義一さん。高架は阪神・淡路大震災で崩落した=2023年1月12日、兵庫県西宮市、林敏行撮影

「ここも危ない」。倒壊した家々から家族の名前を呼ぶ声が聞こえるなか、歩いて5分の山陽新幹線記念公園まで逃げた。

やがて神戸方面が大火災で赤く染まっていった。大惨事なのにパトカーや救急車のサイレンも聞こえない。現実離れした静寂の世界だった。

阪神大震災、常連客の死で決意

当時、高崎さんはハンバーガーチェーン「モスバーガー」で西宮、芦屋、神戸に3店を構えるオーナー店長だった。西宮店のすぐ裏に住んでいた。「笑顔であいさつしよう」「お客さんの名前を覚えよう」と、10年励んだ板前時代のノウハウを店員に徹底させた。本部の覆面調査で接客が高く評価され、何度も表彰を受けた。

「ご夫婦とおばあさんで来られる常連さんがいた。その家が倒壊し、みなさん亡くなった。たまたま、ご遺体がトラックに積まれる現場に居合わせ、衝撃を受けた」

自分は生かされている。この命は困っている人のため、社会をよくするために使おう。そう心に決めた。

震災の打撃をしのごうと、電機メーカー出身の近隣オーナーと開発して使っていた勤怠管理PCソフトの販売を始めた。

38歳で初めてネクタイを締め、営業に回った。アルバイトのシフト変更が簡単に反映できるなど、かゆいところに手が届くソフトは評判がよく、オーナー店長の仲間たちが買って支援してくれた。立ち上げた販売会社に「キズナジャパン」と名付けた。

震災の緊急融資も受けたが、2年経っても返済どころではなかった。店周辺の人口が激減し、赤字は膨らむ一方だった。店の修繕費で3000万円も借金が増えた。差し押さえとなると、銀行口座を開けなくなり、新たに就職もできなくなる。一家心中も頭をよぎったが、すべての店を手放してキズナジャパンを中心にして出直すことにした。

そこからがすごい。

PCソフト全盛の時代に「OS(基本ソフト)のバージョンアップのたびに対応するのは大変だ。データをネットワークで送って1カ所で処理して結果を返すサービスができないか」。今でいうクラウド型サービスを思いついた。

「無理」と20社以上に断られても「やってみよう」と言ってくれる事業者に行きあうまで探し歩いた。

ソフトの改良も重ねた。プログラミングはできる人に任せたが、「PCが使えない人でも使えるものに」「この画面から給料画面に移れるようにしてほしい」と徹底して使う立場から注文を出したのも、板前でしみついた顧客第一主義からだった。

JR東社長談判で軌道にのるも……

JR東日本がICカード「Suica」を準備していると新聞で読むと、すぐに当時の松田昌士社長に手紙を出した。

「銀行の夜間金庫が減り、売り上げを店内に保管する店が次々に盗難に遭っている。現金に代わり、Suicaによる決済が普及すれば、業界の救世主になる」

紹介されて会ったJR東日本情報システムの社長には「退勤した瞬間にSuicaに今日の給料の手取り額をチャージし、すぐ買い物できるようにしてあげたい」と、現在のシステムのもとになるアイデアを話した。

JR東日本との提携をきっかけに事業は軌道にのり、2001年には開発費だけで2億円以上かけた日本初のクラウド型人事管理サービスが完成した。

その時、米国で同時多発テロが起きた。増資中止で資金繰りに行き詰まり、資金調達にかけずり回る毎日になった。

幸い、サービスが民間の「ソフト化大賞」を受けたことで信頼が戻り窮地を脱したが、その後も波乱は続いた。

労働者から手数料をとらない「給与のいつでも払いシステム」でネットカフェ難民を助けようとすると、前借りした労働者から手数料をとっていた大手銀行から貸しはがしを受けた。

14年に米国であったITベンチャーによる発表会で自らの構想とシステムを披露すると、「難民対策に使える」と、英国をはじめ各国政府からの招きが殺到。各国政府や世界銀行、国連の首脳と会談を重ね、現金離れと金融工学の可能性を話し合ってきた。

19年に12カ国を回ったところで、今度は新型コロナが立ちはだかった。最も話が進んでいたインドは、日本に一時帰国している間に渡航できなくなり、22年に2年ぶりに戻るとアパートはゴキブリのすみかになっていた。

3年間ほとんど棒に振ったにもかかわらず、やる気がみなぎっている。

「日本では構想に賛同する人がいても、いっこうに進展しない。よく聞くと『話が大きすぎて』ということのようだ。海外では『自分も一役買いたい』と人やお金が集まってくるのだが」

インドの金融工学見本市を訪れたシティー・オブ・ロンドンのビンセント・キーブニー市長と3_2=2022年9月、本人提供

「私は多くの日本企業が尻込みする途上国でも実際現地に行って、人々の生活から何が必要とされているか見るようにしている。考えるだけでなく、あきらめずに行動すれば必ず突破できる。高度経済成長期に日本が学んだ経験を生かし、現地の人たちが中心になって事業をすればきっとうまくいく」

阪神・淡路大震災で避難した公園を訪れ、景色を見るドレミング社長の高崎義一さん。「サイレンの音もなく無音。遠くから家族の名前を呼ぶ人たちの声だけが聞こえてました」=2023年1月12日、兵庫県西宮市、林敏行撮影