ウクライナの首都キーウ北方にある松林の奥深くで、キノコの茶色いかさが柔らかな秋の日差しをたっぷりと浴びていた。この国でキノコ狩りをする人にとって、飛びつきたくなるような光景だった。
ただし、その周りは危険でいっぱいだ。苔(こけ)むした地面は、幾重もの塹壕(ざんごう)で切り裂かれている。2022年2月に始まったロシア軍の侵攻で、首都攻防をめぐる戦場となり、今も無数の地雷と不発弾が埋もれている。
そんな危険が残ったまま、侵攻後初のキノコ狩りシーズンがめぐってきた。キノコの魅惑との板挟みになりながら、何千人もが森に入った。
そして今は、その収穫を処理する季節となった。採った量をはじき、厳冬期に備えて保存作業に移らねばならない。
それにしても、「のどかな娯楽」とされてきたことに、これだけのリスクを冒すのはあまりに極端に思える。
でも、キノコ狩りをする人たちの見方は違う。森の静かな散策に情熱を注ぎ、それをウクライナのしたたかな回復力を示す兆しと見ている。さらには、戦時にあっても普通の生活を保つ大切なよりどころの一つと考えている。
「平和な暮らしに戻りたかった」。晩秋のある日、キノコを採っていたDmytro Poyedynok(52)=以下、名前は英語表記=はこう語った。キーウ郊外のブチャに住むヨガの先生だ。こんなふうにちょっとした遠出をするのは、「自分にとっては破壊と暴力の現場となった森で、平和的に獲物を追い求めることの象徴でもあるから」というのだ。
ここにも多くの爪痕が残る。森の合間の空き地や草地には、爆破された戦車が何台もさびついた姿をさらしている。秋の初めにキノコを探していると、子供を葬った仮設の墓を目にした。
戦争の恐怖の中で生きてきた人は、日常のできごとに大きな安らぎを覚えることが多い。とはいえ、職を失った人もたくさんいる。そんなときにキノコはお金を稼ぐすべとなり、冬の備蓄食にもなる。
キノコ狩り愛好家の中には、愛する人を失った人もいるだろう。それでも、霧のかかった、湿っぽい秋の森で味わってきた暮らしの一端を失うつもりはない。
戦争は長引き、10カ月になろうとしている。
ロシアのミサイルは生活基盤を破壊し続け、電気は途絶えがちになり、蛇口からは水が出ない。住まいは暖房が途切れ、凍てつくように寒い。それでも、ウクライナの政府も国民も、おじけづいてはいない。
ウクライナ人の多くは別荘を持っていて、都市の住民でも田舎暮らしに特別な愛着を抱いている。そんな人は、よくこんなことをいう。
「自分たちは、だれに対してもひざまずきはしない。しかし、例外もある。ジャガイモを掘ったり、キノコを撮影したりするときだ」
Poyedynokも、そんな一人だ。ブチャ周辺の松林に、これまでとまったく同じように、ポリ袋を持って自転車でやってきた。
ロシア軍の占領中もブチャを離れなかった。1カ月にわたる恐怖の支配だった。ロシア兵は民間人に発砲し、遺体を通りに放置した。自分の叔父も殺された。自身も拘束され、処刑すると脅されたという。
占領下にあった松林には、大量の地雷が埋められたままだ。全国の膨大な広さの土地に地雷と不発弾が残っている、とウクライナ内相は話す。
だから、政府はキノコ狩りをしないよう、声を大にして呼びかけている。
森林資源担当の政府機関は、全国の九つの地方で森林への立ち入りを正式に制限した。この中には、Poyedynokが行く首都周辺の地域も含まれている。
森林から地雷を取り除くには少なくとも10年はかかる、と専門家は見る。だから、大事な趣味を再開するのに、とてもそんなには待てないということになる。
キノコ狩りをしていて地雷を踏んだという報告は、森に入るのが禁じられた九つのいずれの地方からも上がってくる。
数万人が死んでいる戦争の直接の犠牲者と比べれば大きな数字ではないかもしれないが、地方当局者によると、一地方あたり3、4人が地雷を踏み、命を落とすか足をなくしているという。
「だいたいはみな注意深い。でも、そうでない人もいる」。キノコ狩りで地雷事故があると出動するキーウ地方の救急隊の広報担当Viktoria Rubanはそう話す。
以前は、Poyedynokのヨガ教室はにぎわっていた。しかし、今はほんのわずかな生徒しかウクライナに残っていない。収入が激減した中で、キノコが助けてくれた。この国では、飢饉(ききん)や経済的な困窮に見舞われたときに、よくあることだ。
集めたキノコは、計550ポンド(約250キロ)にもなった。家族ぐるみで多くを冬に備えて蓄えた。友人や親類にもたくさん分けた。キノコの販売も始めた。
買い手の何人かは、かつてのキノコ狩り仲間だ。あの楽しさを忘れてはいないものの、森に入ることにはあくまでも慎重になっている。
「いつもキノコ狩りに行っていたけれど、今はこわい。だから、ただ匂いをかいだり、見たりするだけのためにうちに来始めた」とPoyedynokの妻Yana(44)はいう。「その人たちが、結局は買うようになった」
今シーズンの一家の売り上げは、約1千ドルになった。「多くはない。だけど、こまごまとした支出の一部をまかなえた」
夫のDmytroは、ほとんどは一人でキノコを採っている。
家族みんなで行ったときに、あの子供の墓に行き着いた。予想もしなかったことだけに、妻と息子は森に入るのをこわがるようになった。今は、めったに一緒に来ない。来るのは前に行ったことがあるか、安全だと信じられるところに限られている。
ロシア兵が撤退するようになったウクライナの領土では、歓喜の声は長続きしないことが多い。すぐに遺体がいくつも見つかり、民間人に対する残虐な行為が明らかになるからだ。
しかし、それは過去の「死」だ。森に潜む危険は今ある命を脅かすものであり、将来にわたって死者を増やす可能性がある。
ウクライナ北東部のハルキウ州は大半の地域が22年9月に奪還されたが、キノコ狩りシーズンの幕開けと重なった。数週間のうちに、地雷事故の報告が入り始めた。こちらの地方当局によると、10月には奪回されたばかりの森で3人が地雷によって重傷を負った。
この州の都市イジュームでは、郊外にある森林の一つで数百もの民間人の墓が捜査当局によって発見された。多くのウクライナ兵の遺体を一カ所に埋めたと見られる墓も出てきた。
この森に接したところにRaisa Derevianko(65)は住んでいる。家の外に置いたベンチから、9月には遺体を掘り起こす作業が見えた。それが今は、地雷の撤去作業に変わった。
キノコ狩りの季節は、めぐってきて去った。しかし、彼女が森に入ることはなかった。
「何から何まで、身の毛がよだつ」。Dereviankoは、この集団墓地についてこう話す。
「でも、作業をしている人たちに一番望みたいのは、私のこの森をきちんと片付けてほしいということだ。キノコを見られなくて、とても悲しい」(抄訳)
(Maria Varenikova Ⓒ2022 The New York Times
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