【前の記事を読む】住民はそこを「死の通り」と呼んだ 現地取材で見えた、占領下のブチャで起きたこと
――ボロジャンカへは、どのように向かったのでしょうか。
4月6日にメディアツアーという形で、ほかのメディアと一緒にバスで向かいました。
9階建ての高層マンションの真ん中に大きな穴があいていて、そこにあったはずの建物の部分ががれきになっている。そんな建物が、私が確認しただけで、5棟ありました。地下のシェルターには避難している人たちがいたとみられているのですが、ロシア軍が撤収するまで、救助活動が行われた形跡もなかったといいます。当局によると、がれきの撤去作業を通じてこれまでに41人の遺体が確認されました。
民間人が多数住んでいるマンションを爆撃しておいて、救助活動を行わないまま1カ月放置するというのは、殺そうとした意図があるかどうかではなく、許されることではありません。
ボロジャンカの現場で私が歩いていると、2人組みのおばあさんに声をかけられました。そのときは通訳がいなかったので、ウクライナ語でなんと話しているのかがわからなかったのですが、とにかく聞いてくれ、という感じだったので、私はカメラを回しました。あとから映像を通訳してもらったら、「どうしてこんなことをするのですか。なぜ、なんのためなのですか。私たちが何か悪いことをしたのですか」と話されていた。彼女は、カメラを通じて世界に届けたかったのだと思うのです。
私自身、彼女の問いに対する答えを見つけられませんでしたし、世界の誰が、この問いに答えられるんだろうと思いました。また、仮に答えがあったとしても、彼女たちの被害を正当化するものは絶対にあり得ない。取材をしていて、とても印象に残っています。
一方で、イルピンで見た軍服のような布切れがあった遺体にも、考えさせられるものがありました。私自身、市民の被害がどうなっているかというところに強く関心を持ってきたのですが、その反面、兵士の死については、「数」で捉えてしまいがちな感覚がありました。
キーウ近郊に入る前に、リビウで軍の葬儀を取材しました。ウクライナの兵士2人が亡くなって、教会で葬儀をして、遺体をお墓に運んで、最後にラッパを鳴らして、棺桶を埋める。兵士のお母さんが、ずっと嗚咽を漏らしていたのが、最後、ご遺体を納める瞬間に、わーっと声をあげて泣き始めたのが、すごく強く印象に残っています。亡くなった兵士の同級生からは、高校時代はクラスメートみんなの誕生日を覚えて祝ってくれるすごい人だった、という話を聞きました。ウクライナの兵士であってもロシアの兵士であっても、家族がいて、友人がいて、同僚がいて、地域社会とのつながりがあって、かけがえのない一人だったっていうことを改めて思ったんですね。
そもそも、戦争が起きていなければ死ぬ必要が全然なかった人たちのはずです。どうしてこんなことになってしまっているのか、本当につらいし、彼らにも家族がいるだろうとも思うし……、ちょっとどう受け止めていいのか、分からない気持ちがしました。
――現地では、これからどんなことが必要だと考えますか?
やはり継続的な支援ということだと思います。いま現在でいうと、物資がないということ以上に、運べないという状況です。街に通じる橋も落ちているし、現地のインフラも破壊されている。支援団体が入って炊き出しなども行っていますが、まだまだこれからです。
本当にすべてが破壊されてしまっているので、今後、お金もものも、様々なものが必要になってくるのは明らかです。そこを、一度だけ何かするというのではなく、継続的に、長く寄り添うような形で、街や暮らしの再建を支えていくことが重要だと思います。
これは避難されている方々への支援も同じです。例えば子どもの教育などを考えると、すぐに帰れる状況ではありません。相当長いプロセスになると思います。段階に合わせた支援を、国際社会が継続的に行っていくことができればよいと思います。
――ロシア側はまったく異なる主張を続け、ネットを中心にフェイクニュースもあふれる中、読者・視聴者として、気をつけるべきことはどんなことでしょうか。現地から見ていて、どう考えますか。
できる限り、現場の生の情報に接するようにすることが、大切だと思います。どうしてこうなったのかとか、誰がどこで何をしたのか、というのは、長い時間をかけて検証されていくことになると思いますが、私自身は「今日、この場で目の前にある光景はこういうものなんだ」というのを伝えたいと思っています。まず、こういう現場があって、これだけの数のご遺体がある。その現実をちゃんと、伝えたいと思いますし、見ていただきたいと思います。
戦争が起きると何が起こるのか、というのが、いままさに目の前にさらされています。「見える化」されている状況です。ちゃんと目に焼き付けていくことが、同じことを起こさないためにも必要だと思います。
日本にいらっしゃる方も、毎日ニュースで、次から次に悲惨な情報が入ってきて、もうそういう報道に触れるのも本当につらいと思うのですが、それでも、今この現実を見ておくということが、これから先、いかに戦争を起こさないか、将来起こりうる紛争にどう向き合っていくか、ということのベースになるのではないかと思っています。
私はいま50歳で、両親も戦後生まれです。戦争の実体験を持っていない世代です。だからこそいま、この瞬間に起きてしまっていることを焼き付けるというのが、これから先を考えるために、欠かせないプロセスなんじゃないかと思います。
――いま起きていることを直視することですね。一方で、日本のメディアは基本的にご遺体の写真や映像を出さない傾向があると思います。現場からご遺体の写った写真がたくさん出てきているのに、一生懸命、写っていない写真を探して、掲載しなくてはいけない。もちろん、ご遺体を見るのはつらいという読者・視聴者のことを考えなくてはいけない一方で、私自身、これでいいのだろうかと疑問に思うこともあります。難しい伝え方について、どう考えますか。
これは本当に悩ましいですよね。私も悩みながらやっています。
ニュースを広く、一般の方に届けることを考えると、ある程度、大勢の方々が受け取りやすい形にしないといけません。でも、例えばご遺体にモザイクをかけ過ぎる、あるいはまったく掲載しないとなると、伝わるべきところが伝わらない部分があって、本当に悩んでいます。悩んでいるし、発信の仕方を工夫して届けていく必要があるのかなと思っています。
特に今回の場合は、虐殺、市民に対する殺害、これらが意図的なものだったのかどうか、という点が注目されています。遺体が語る部分が、すごく多い。ご遺体が置かれている状況も含めてです。まったく目に触れないようにして、何が起きているのかが本当に伝わるのか。ですから、映像にはモザイクをかけつつ私自身の言葉でできる限りその状態を表現したり、参加者が限られる少人数のイベントではお断りを入れたうえで映像をそのままお見せしたりするなど、試行錯誤をしています。発信する側も、受け手や受け取る環境に応じて、工夫しながら伝えていく必要があるのだと思います。
――村山さんはこれまでも難民・移民の問題を取材されてきました。今回のウクライナ難民に対する各国の反応は、これまでの難民危機のときとは異なるように思います。そのあたり、どう考えますか?
ポーランドの東側の国境は、北部はベラルーシ、南部はウクライナと接しています。南部が、ウクライナから避難してくるルートになっていて、いま約500万人にのぼる難民のうち、280万人以上がここを通っている。ここではもう全面的に、ありとあらゆる、考えられる支援を提供しようと、ヨーロッパ中、あるいは世界も含めてボランティアが集まり、子どもを少しでも和ませようと怪獣の着ぐるみを着てお菓子を配るような、細やかな支援が行われています。
欧州連合(EU)としても、2001年に旧ユーゴ紛争を受けて作った「一時保護措置」という仕組みを初めて適用しています。普通の難民申請だと書類をそろえて、審査して、インタビューして……と半年から2年はかかるプロセスをしていては間に合わないので、一時的な滞在許可を出し、就労を認め、社会福祉的なサポートも行うと。ヨーロッパをあげてウクライナからの難民を受け入れ、支援しています。
一方で、北部の国境では昨夏から何が起きているかというと、シリア人やクルド人など数千人の移民・難民がベラルーシ経由でポーランドに入り、それをポーランド側が押し返す。門前払いしてきたわけです。「ベラルーシによる『ハイブリッド戦争』の攻撃をかけられている」「兵器のように送り込まれている」といった主張が強まり、当初は人道上問題があると懸念を示していたEUも途中から事実上、目をつぶるようになっていきました。
南部国境のウクライナ難民は特例を初適用して全力で支援する一方、北部国境のシリア人やクルド人は難民申請を受け付けずに送り返す。南部ではみんなが手を携えて支援している一方、北部では、森の中で凍えている人を助けた支援者は密入国の幇助に問われてしまう。あまりにもダブルスタンダード(二重基準)じゃないか、と言う声が、ヨーロッパの中でも起きています。
二つの基準になってしまっているのは、日本も同じ状況です。
これまで日本は、難民条約を厳密に運用して、年間数十人しか難民認定をしてきませんでしたし、人道上の配慮による在留特別許可などを含めても、ほとんど受け入れてきませんでした。それが今回、ウクライナに対しては特例的に「避難民」という扱いで受け入れています。特別扱いしていることは間違いありません。
2月24日に突然侵攻を受けて、500万人を超える前代未聞の規模の市民が難民となり、既存の法制度の枠内で対応できないときに、どうするのか。私自身はそれこそが政治の出番で、特別扱いになったとしても迅速に柔軟に対応すべきだと思います。
ただ、それでおしまいではなくて、ではこれまで拒んできた人たちと何が、なぜ違うのか、これまでの対応でよかったのか。これらを振り返って、きちんと制度設計し直すタイミングに来ているのだと思います。これまで拒んできたミャンマー人やシリア人、クルド人と、いったい何が違うのかということです。100人来たら、100人全員を無審査・無条件で受け入れることが必要というわけではありません。でも、いま目に見える形でダブルスタンダードになっているので、そこをどうするべきかということを、いま一度、見つめ直して、考え直す時期にきているし、その機会にすべきだと思います。これは日本だけでなく、ヨーロッパも同じ。世界全体が問われていることだと思います。
村山祐介(むらやま・ゆうすけ) ジャーナリスト。1971年、東京都生まれ。立教大学法学部卒。1995年、三菱商事入社。2001年、朝日新聞社入社。2009年からワシントン特派員として米政権の外交・安全保障、2012年からドバイ支局長として中東情勢を取材し、国内では経済産業省や外務省、首相官邸など政権取材を主に担当した。GLOBE編集部員、東京本社経済部次長(国際経済担当デスク)などを経て2020年3月に退社。米国に向かう移民の取材で、2018年の第34回ATP賞テレビグランプリのドキュメンタリー部門奨励賞、2019年度のボーン・上田記念国際記者賞、2021年の講談社本田靖春ノンフィクション賞を受賞した。