ブラウンさんはスコップを片手にピックアップトラックに乗り込んだ。そして同乗する私にこう言った。「耕さないと何がよいのかって? 土を見ればすべてがわかるさ」
ブラウンさんと農場を見て回った。耕している隣人の小麦畑はスコップがなかなか入らない。直射日光に照らされた厚さ5センチほどの薄茶色の表土は乾燥し、コンクリートのように硬い。
「私が農業を始めた時もこんな感じだった。化学肥料や農薬の使いすぎで生命がいないからだ」
一方、耕していないブラウンさんの畑の土には、収穫後の作物の残りがじゅうたんのように敷き詰められ、スコップがすっと入る。
土はチョコレートケーキのように黒く、団子状になっていて柔らかい。「これは炭素の色。隣の畑の土には2%以下しか有機物が含まれていないが、うちのは7~8%も含まれている」
ブラウンさんの農場は、もう25年以上も耕していない。農薬や化学肥料も使っていない。だが、雑草はほとんどない。穀物や野菜などの商品作物の合間に、土壌を健康に保つために、ヒマワリやササゲなど12種の被覆作物を育てている。
マメ科植物で被覆すると、肥料なしでも生育に必要な窒素が十分に得られ、発芽抑制物質によって雑草も抑えられる。加えて害虫の発生や水分の蒸発も防ぐ。
種のまき方もこれまでと違う。多品種の被覆作物を植えることで、土の中の微生物や動物が元気になり、生物多様性が豊かになって土も健康になる。
作物が育つと、狭い区画に100頭以上の牛を集めて放牧し、1日ごとに移動させる。「牛の排泄(はいせつ)物が、肥料になって行き渡るのでほかに何もする必要がない。より多くの二酸化炭素(CO2)を取り込み、炭素として長く地中にとどめるので気候変動対策にもなる」
米中西部に入植した白人農民は、作物を植えるため大平原を耕した。地表が乾燥し、干ばつと強風で土壌侵食が進んだ。
1930年代には巨大な土ぼこりが黒い雲となって東海岸にまで到達した。これをきっかけに不耕起運動が起こり、米政府は土壌保護局をつくった。
現在の米農務省(USDA)は、土壌が侵食されるのを抑えて健全になるとして、不耕起を推奨している。
USDAの報告書(2018年)によると、不耕起が農地に占める割合は、小麦45%、大豆40%、綿花18%、トウモロコシ27%。耕すのを最小限にとどめた場合も含めると、不耕起は四つの作物を合わせて半分以上にもなる。
ただ、多くはブラウンさんの農場とは異なり、除草剤を使い遺伝子組み換え作物を植えているとみられている。
除草剤「ラウンドアップ」を販売するモンサント社を買収したバイエル社は、それでも不耕起の利点を強調する。
「わが社は不耕起栽培に適した除草剤や被覆作物で雑草を防ぐ総合的な方法を提供している。除草剤に強い作物を植えれば、農家がもっと不耕起農法を採用するようになる」
ロデール研究所の最高経営責任者(CEO)、ジェフ・モイヤーさんはこうした動きに釘を刺す。
「単に耕さなければいいわけではない。最も重要なのは土の健康。健康な土がなければ、健康な食品や健康な人々は生み出せない」
研究所はペンシルベニア州に設立された民間機関で、世界の有機農業研究の中心として知られる。
モイヤーさんは「除草剤や農薬、化学肥料を使った不耕起農業は土を殺す。現在のような土壌管理を続けていくと、持続可能な食料生産を維持できず、長期的には食料危機を招く」と話す。
モイヤーさんは大規模な農場で効率よく不耕起栽培をするため、被覆作物を倒すための農機具「ローラークリンパー」を開発した。「有機による不耕起栽培は、昔に戻ることではない。AIやドローン、ロボット工学などを駆使した現代的な農業スタイルだ」
再びブラウンさんの農場に戻る。
広さは借地を含めて2400ヘクタール。日本の平均的な農家とは比べ物にならないが、「このあたりでは小さい方だ」と笑う。
単位面積あたりの収益はほかに比べて2割以上高いという。農薬や化学肥料に金がかからず、家畜の飼料代もいらないからだ。
農機具に使う化石燃料代も耕す農業に比べて少ない。最近は化石燃料や肥料の価格が高騰し、節約の効果はさらに大きくなるだろう。
農場は、家畜や野生の鳥、虫などの絶好のすみかになっている。土の中は微生物や菌、ミミズなどにあふれ、地上よりもさらに生物多様性に富んでいる。
だが、ブラウンさんが義父から250ヘクタールの農場を引き継いだ1991年当時は今の土とはまったく違っていた。農薬や化学肥料が大量につぎ込まれ、小麦など限られた穀物を育てるために、毎年土を掘り返していた。
友人に勧められて不耕起栽培に取り組み出したのは1994年。それが苦難の始まりだった。翌年から4年連続でひょうや猛吹雪に見舞われ、作物は大打撃を受けた。借金はふくらみ破産寸前になった。
ところが、これが功を奏した。ブラウンさんは土の中にこれまでいなかったミミズがいることに気づいた。
農機具は手放していたので耕すことができず、金がなく化学肥料や農薬、除草剤はほとんど使わなかったのがよかった。収穫できなかった作物の残りをそのままにすることで、生命が戻ってきたのだ。
それらの経験からブラウンさんは「土の健康5原則」を打ち立てた。
- 土をかき乱さない(土を耕さない)
- 土を覆う(被覆作物を植える)
- 多様性を高める(数十種の野菜や穀物、花を一緒に育てる)
- 土のなかに「生きた根」を保つ(一年中、何かしらの植物を育てる)
- 動物を組み込む(農場では、牛750頭、豚250頭、羊150頭、ニワトリ1000羽を放牧している)
これに自然条件や経済状況に合わせたやり方を取り入れる「背景の原則」を加え、現在は6原則と呼んでいる。
ブラウンさんが2018年に著した「Dirt to Soil: One Family’s Journey into Regenerative Agriculture」はベストセラーになり、日本語にも翻訳されて今年「土を育てる」として出版された。国内外から農場の視察が絶えない。
ただ、日米で気候も農場の規模も違う。私が「それでも原則はあてはまりますか」と聞くと、ブラウンさんはこう答えた。「原則は同じ。栽培する作物や使う道具は違うかもしれないが、その土地に根ざしたやり方でやれば世界中のどこでも土はよみがえる」