――耕すという行為はそもそも、人類にとってどのような行為だといえるのでしょうか。
耕すという行為は農業の基本で、人類が農業を始めてからずっと続いてきたものです。狩猟・採集とは異なり、みずから自然に働きかけて、自分たちに有用な植物の育ちやすい環境を整えていきます。
耕すことで土壌の構造をふかふかにし、水がたまりやすいようにして、人間が飼いならした植物を自然の厳しさから守っています。耕すことは、人類の文化の基本であるといえます。
――人類の文化という点で考えると、20世紀の農業の機械化がもたらした変化についてはどのように考えていますか。
ウシやウマなど動物の力も使い長きにわたって土壌を耕してきた人類にとって、20世紀に決定的ともいうべき変化が起こりました。トラクターの登場です。
内燃機関を持ち、非常に短時間でかつダイナミックに土を深く耕すことができるようになりました。
トラクターは化学肥料とセットで20世紀初頭から世界中に広まり、その結果、収量が劇的に上がり、世界人口は増えました。近代化への強烈な欲望、生産を合理的にしたいという欲望を満たしていきました。耕すという文化の極致に達したといえます。
ただし、問題はここからです。トラクターの広がりは、人や自然に負荷をかけることにもなりました。つまり、化石燃料に頼った農業になってしまったということです。
ウシやウマなどの家畜は牧草からエネルギーを得て、糞尿(ふんにょう)を堆肥(たいひ)にして土壌に変えることもできました。村落の中でエネルギー循環ができていたのです。
トラクターの登場はその循環を断ち切り、世界各地の産油国と結びつくことになりました。田園をトラクターが走っている風景はのどかですが、その背景には油田があります。
――化石燃料を使わなくてはいけない循環の仕組みの上に私たちの食生活が成り立つようになったということは、重大な変化ではありますがなかなか気づきにくいところでもあります。
トラクターがもたらす生産力に魅せられ、(従来の)循環が途切れることに対する意識は希薄でした。この間に農業の根源的な変化があったことは、意識しないと忘れがちです。土壌と人間の接地面に機械が入り込み、土から人間が離れてしまったのです。
――トラクターで土を耕すというのは、世界中に広く普及した今では当たり前のことになっています。20世紀の歴史の中ではどのように受け止められていたのでしょうか。
農業の工業化で、自然が持っている回復力を発揮できず土壌が劣化していることに気づき始めた人々もいました。
例えば米国のジョン・スタインベックの小説「怒りの葡萄」には、1930年ごろの中西部の荒れた農地を捨て、西へ西へと向かう農民が描かれています。工業化のもたらした負の遺産がダストボウルと呼ばれる砂嵐となって現れたのです。
鋭い人はそこで「工業化をやり過ぎてしまった」と立ち止まります。「農業は工業ではない」「土壌の力をないがしろにしていいのか」という危機感が、急速な工業化と同時代に示されていました。循環を重視する様々な農法がこの時期に誕生していることには注目すべきです。
第2次世界大戦後には、もう一度農業の工業化に向かうアクセルが踏まれ、高度成長と世界的な好況をもたらしました。
他方でその時代に日本で不耕起農業を唱えた福岡正信が登場します。もちろん突然登場したわけではありません。
いきすぎた工業化・人間の知性の過信に疑義を抱く人々はそれ以前からいました。歴史性のある運動だと考えた方が史実に即しています。このような流れが現在まで波のようにずっと続いていることは強調したい点です。
いま、不耕起農業は気候変動の観点からも注目されています。化石燃料の使用や化学肥料の生産過程で温室効果ガスが生じていることが明らかになっています。
――これだけトラクターが普及し、農業は「耕す」ことが前提となっています。その点を踏まえて「耕さない」農業についてどう考えればよいのでしょうか。
不耕起農業の利点が知られつつありますが、だからといって近代農業をすべて代替できるわけはなく、突然すべてを不耕起にしたら世界は破綻(はたん)してしまいます。
ただ、不耕起農業は人間と自然の関係性の根源的な変換を促しています。それは、「耕さないけど、実は耕されている」ということ。
土壌微生物や植物の根、アリやミミズ……。放っておいても土壌は耕されています。私たちは「みずから土を耕し、作物を作っている」と考えていますが、自然は人間が何かをする以前に自己調整能力を持っています。人間はそれを助けることしかできません。不耕起農業は人間中心主義的な世界観からの転換をもたらすものなのです。(聞き手・目黒隆行)