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「北極はロシアのもの」ムルマンスク州知事が断言 海底のガス田開発、国営企業が野心

World Now 更新日: 公開日:
原子力砕氷船「シビーリ」号。サンクトペテルブルクから母港のムルマンスクに帰投した=2022年1月、ロイター
原子力砕氷船「シビーリ」号。サンクトペテルブルクから母港のムルマンスクに帰投した=2022年1月、ロイター

北緯68度58分、ロシアのムルマンスク。

学校の教室2つ分ぐらいの広さの知事室に、物静かだが迫力のある声が響いた。

「北極はロシアのもの、という意識は強くある。何としても科学的な論拠を見つけて世界を納得させたい。チリンガロフ下院副議長の探検もそのためだ」

9月9日。モスクワから飛行機で2時間半。貴重な不凍港を持ち、ロシアによる北極開発の拠点として注目されているムルマンスク州のユーリ・エブドキモフ知事(62)に会った。部屋の壁にはプーチン首相と並んだ姿の絵が飾られている。

海洋学者でもあるチリンガロフ副議長は、昨夏、ムルマンスクを母港とする原子力砕氷船の支援で北極点まで到達。潜水艇に乗り込んで、深さ4300メートルの北極点付近の海底にチタン製のロシア国旗を立てた。北極点がロシアの大陸棚の一部だと科学的に示す調査の一環だ。

ロシアは、そうした「調査」によって、北極点の領有を世界に認めさせようとしているだけではない。カナダや米国の動きをにらみながら、軍事面でも着々と布石を打っている。ロシア国防省は、ムルマンスクに基地がある北方艦隊の行動半径の拡大を発表。空軍も15年ぶりに、北極圏で爆撃機による警戒飛行を再開した。

北極点から約4300メートル下の海底にロシア国旗を立てる小型潜水艇の映像
北極点から約4300メートル下の海底にロシア国旗を立てる小型潜水艇の映像=2007年8月、ロイター

「北極に対する姿勢も、グルジア問題でもみられるように強硬になっているのでは」。北極開発を強力に推進する知事に聞いてみた。

「数年間弱くなっていた軍が通常の姿に戻っているだけだ。軍事的な対立は誰にも利益を与えないが、私たちは権利を主張する権利がある」

知事の言葉を聞きながら、モスクワで会った軍事専門のビクトル・リトフキン記者の話を思い出した。

「グルジア紛争も、北極の問題でも、エネルギーをコントロールできる強いロシアの力を見せつけることができる」

ロシアを通らずに中央アジアと欧州とを結ぶ石油パイプラインが、親米政権のグルジアにできたことが、紛争の背景にある。資源の宝庫である北極圏に対するロシアの主張が強硬になっても不思議はない、と指摘する。

「冷戦でソ連は崩壊したが、ロシアという国が負けたわけではない。経済的に復活したロシアは、自分の力を見せつけ、世界の大国として認められたいのだ」

グルジア紛争でロシア政府が巨額の支出を求められ、北極開発に影響が出るようなことはないのだろうか。知事に尋ねると、「10年前のロシアとは違う」と答え、こうつけ加えた。

「ムルマンスクはいずれ、米国のヒューストンのような港になる」

ムルマンスク州では、来年から新しい石油精製ターミナル港の建設が始まる。北極圏から運ばれてきた石油を精製し、大型タンカーで積み出す輸出基地になるという。ムルマンスク港の取扱量は2020年には5倍になり現在の横浜港をしのぐ、との予測もある。

北極圏で本格的な資源開発が始まるとき、ムルマンスクの姿は、石油産業の中心地として栄えるヒューストンと重なってくる。

ムルマンスク州の沖合には、世界の注目を集めるシュトックマンガス田がある。日本の消費量の40年分、3兆8000億立方メートルのガスが埋蔵されていると推測され、ロシアの半官半民企業ガスプロムが中心になって開発を手がけている。沖合約550キロの海底からパイプラインで引き込まれたガスを輸出する。しかし、技術的な要因などから、2013年の計画通りの操業開始を危ぶむ声は絶えない。

北極圏にあるガス採掘精製基地「ホッキョクギツネ」の精製施設。永久凍土の上に建設された
北極圏にあるガス採掘精製基地「ホッキョクギツネ」の精製施設。永久凍土の上に建設された=2006年6月、西シベリア、ガスプロムのヘリから、大野良祐撮影

ガスプロムは、メドベージェフ大統領が最近まで同社の会長を務め、現在も閣僚が役員を務めるなどロシア政府との関係が強い。傘下にテレビ局まで所有し、「怪物」と呼ばれることもある。

モスクワの郊外にそびえたつ34階建ての本社ビルを、訪ねた。

金属探知機を持った警備員が立つ門扉をくぐって、鉄さくに囲われた敷地へ入る。取材相手のセルゲイ・クプリヤノフ報道官の部屋までたどり着くまでに、計3回もパスポートの提示を求められた。

ようやく会えた33歳の報道官は、「シュトックマンは、議論の余地なく、もっとも重要なプロジェクトです」と言い切った。

20年前に発見されていながら思うように進まなかった開発計画だが、技術開発の進展や石油価格の高騰で、本格的に動き始めた。操業までの設備投資は数兆円にのぼる見通しだが、1バレルあたり原油価格が50ドル前後まで下がっても、採算が取れるという。

シュトックマンでの成功。それが次のステップへの足場となる。

「北極に広がるロシアの大陸棚で調査されているのは5%ほど。さらに探査を続ければ、もっと大きな鉱脈がみつかるだろう」と報道官は言った。

北極圏の開発で、最も困難なのは流氷対策だ。せっかく巨費をかけて設備を建設しても、巨大な流氷とぶつかればひとたまりもない。衝突を避けるには、船で近づき、流氷にロープを結びつけて進路を変える実験が重ねられてきた。ところが、驚くような別の手法が練られている。

ガスプロム付属研究所のディリジャン・ミルゾエフ教授が明かした。

「海底150メートルの部分で、それより下の基盤と切り離せるプラットフォーム(採掘設備)を建設したい。流氷の動きを数十キロ手前で読み、プラットフォームを船のように動かすことで、衝突を避けられるはずだ」

いくら原油高騰で潤うロシアでも、莫大(ばくだい)な費用や高度な技術が必要なプロジェクトをガスプロムだけではまかなえない。ガスプロムは、フランスのトタルとノルウェーのスタットオイルハイドロと合弁会社を作り、ガス田の掘削については、共同で事業を行うことにした。ただし、シュトックマンから出る天然ガスの所有権は、ガスプロムが100%握ったままだ。

ガスプロムに関する共著があるロシア経済紙「コメルサント」のミハイル・ジッカリ記者は「はじめは2社も含め海外企業もシュトックマンから出るガスの所有権を持てるはずだったのに、結局ガスプロムだけのものになった」と経緯を説明する。ガスプロムが2社を招き入れた理由については、「オフショア開発や液化天然ガス(LNG)の技術が欲しかっただけだ」と言い切る。

「つまり『パーティーを開くので各自、飲食物をご持参ください。でも、あなたはパーティーにいてもらわなくてもいいですよ』ということさ」

ガスプロム研究所のミルゾエフ教授も、否定はしない。「資産はガスプロムのもの。2社との協力で技術を吸収したい」

北極資源開発の権利はどこにも渡さない。ロシア国策企業のむきだしの野心がのぞく。

天然ガス企業「ノバテク」の天然ガス関連施設
ガスプロムに次いでロシアでは第2位の天然ガス生産量を誇る会社「ノバテク」の天然ガス関連施設=2021年11月、ロシア・ムルマンスク、ロイター

ロシア、自国の大陸棚を主張

北極と南極の違いは何か。南極は氷の下に大陸が広がっているのに対し、北極には陸地がない。氷が溶けたら、ただの海なのだ。このため、領土の請求権を凍結した南極条約のような特別な条約はなく、他の海と同じように国連海洋法条約(UNCLOS)が適用される。

また、南極はアフリカ、南米、オーストラリアの各大陸からかなり離れているが、北極は「最寄り」の大陸との距離が近い。しかも、周辺に連なるのは、ロシアや米国を筆頭に国際社会で発言力の強い国ばかりだ。豊富な資源を前に、南極のように「だれのものでもなくていい」という声は出ていない。

北極に適用される国連海洋法条約は1994年に発効し、150カ国・地域以上が締結している。航海や海洋資源についての規定のほか、紛争解決のための国際海洋法裁判所の設置規定などを含んだ包括的な内容で、「海の憲法」とも呼ばれる。

海沿いの国に岸から200カイリまでの排他的経済水域(EEZ)を認め、200カイリを超えても、海底が陸地から続く「大陸棚」の延長であれば、一定の範囲内で資源の開発権を認める。深海底の資源については、人類全体に帰属するとしている。

大陸棚については、科学者で構成される国連の大陸棚限界委員会が、各国の申請について科学的に検証して、勧告する。申請は条約を締結してから原則10年以内に行わなければならない。

北極海でいえば、ロシアは北極点付近を通るロモノソフ海嶺について、ロシア側の大陸棚から続いている、と主張している。そのための証拠を探して、地質学的な調査に力を入れる。

もしロシアの主張がそのまま認められれば、北極点も含め、日本の3つ分ほどの広さの海底資源の開発権をロシアが握ることになる。

ドックに停泊する原子力砕氷船「レーニン」号
ドックに停泊する原子力砕氷船「レーニン」号(左)。ソ連が就航させた世界初の原子力砕氷船で、水面の氷を割りながら進むことができた。今は現役を引退し、保存されている=2021年10月、ムルマンスク、ロイター