3.11に機敏に反応したロシア
東日本大震災と、それが引き金を引いた原発事故から、10年の時が流れようとしています。私たちは、あの苦難の日々に、諸外国が支援の手を差し伸べてくれたことを、決して忘れてはならないでしょう。
その中でも、公平に言って、ロシアが官民を挙げて提供してくれた支援は、非常に寛大なものだったと思います。ロシアは、国家体制の問題を言えば切りがありませんが、危機に際してはトップ主導で機敏に動ける国でもあります。そして、ロシアの一般国民は、そもそもが善良な人々であり、困っている人を放っておけないところがあります。3.11に際して、ロシアの官民が提供してくれた各種の支援は、そうした国の個性が良い形で表れたものでした。
むろん、プーチン(2011年当時は大統領でなく首相でした)が特有の嗅覚で、ロシアにとってのチャンスを嗅ぎ取ったという面もあったでしょう。当時の日露関係は、首脳の相互往来が途絶えて久しく、非常に低いレベルに留まっていました。窮地の日本を支援することにより、ロシアにとって東アジアでの新たな可能性が開かれるという計算も、当然ロシアにはあったはずです。
そして、危機に瀕した日本に対して、プーチンが切ったカードが、エネルギーでした。今回のコラムでは、グラフをお目にかけながら、3.11後に日本とロシアがエネルギーの面で辿ってきた軌跡を、ごく簡単にではありますが、振り返ってみたいと思います。
サハリン2のLNGプラント稼働まで
日本がもともとエネルギーの輸入依存度の高い国であることは、周知のとおりです。エネルギーの中でも、天然ガスの利用に関しては、島国なので、パイプラインによって気体のままガスを輸入することができません。一時期、サハリンから北海道に海底パイプラインを敷設してロシア産ガスを輸入するという案も取り沙汰されましたが、実現しませんでした。したがって、日本が輸入するガスはほぼ全面的に、専用船で輸送される液化天然ガス(LNG)です。日本は以前から世界一のLNG輸入国でした。
一方、天然ガス輸出大国のロシアは、主力市場の欧州と地続きになっているので、国営ガスプロム社は、陸上のパイプラインで欧州市場にガスを供給するのが基本でした(近年は対立関係にあるウクライナ領経由を迂回するため、バルト海や黒海の海底を通るパイプラインも建設してきましたが)。LNGは、加工や輸送に余計なコストがかかるため、ロシアのビジネスモデルにはないものでした。
ロシアにとって初のLNGプラントは、外資によって建設されました。国際メジャーのロイヤル・ダッチ・シェルと、日本の三井物産および三菱商事が結成したサハリン・エナジー社によるサハリン2プロジェクトがそれです。サハリン沖の大陸棚で石油・ガスを採掘し、ガスについてはサハリン島南部のプラントで液化をして、日本をはじめとする国際市場にLNGを販売するものです。2007年にサハリン・エナジー株式の50%+1株をロシア国営のガスプロム社が取得したことにより、初めてロシア資本がLNGプロジェクトにかかわることとなりました。
サハリン2は2009年に稼働し、同年3月から日本向けを中心としたLNGの出荷が始まりました。これに至るまでには、関係者による長年にわたる血の滲むような努力があり、ガスプロムがやや強引にプロジェクトに割って入ろうとした時には騒動にもなりましたが、ようやく先達たちの苦労が報われた形でした。今思えば、東日本大震災から遡ること2年前、日本のすぐ北隣に、世界最大規模と言われるLNGプラントが完成していたことは、3.11後の日本のエネルギー危機を軽減する上で、意義深いことでした。
エネルギー大国の矜持を見せたプーチン
3.11後に日本が直面したのは、原発の停止による電力不足でした。原発は、震災後に定検時期を迎えたものから順次運転を停止し、2012年5月には稼働ゼロとなりました。大飯原発については2012年8月に営業運転が再開されましたが、2013年9月にはそれも止まり、再びゼロに。新エネルギーへの転換が叫ばれたものの、すぐに進捗するものではなく、結局は化石燃料を燃やす火力発電が、原発停止で生じた不足分を埋めることとなったわけです。図1で赤系のところが火力発電を示しており、日本の場合は天然ガスは基本的にLNGということになります。
日本の危機を受けたロシアの対応は、きわめて迅速なものでした。プーチン首相は震災直後に、関係閣僚およびガスプロム社に対して、日本へのエネルギー供給を拡大するように指示します。プーチンは、「ロシアは日本に今後100日間で400万tのLNGを供給する用意がある」と表明、ガスプロムに対して、日本側と至急コンタクトし、その必要があるかどうかを確認するよう求めました。欧州に出荷する予定だったLNGを日本に回し、欧州向けには代わりにパイプラインによるガス供給を拡大するというのが、プーチンの示した案でした。強権政治の弊害は大きいにせよ、非常時にこういうことを即断即決できるのは、世界でもプーチンくらいではないかと、改めて感心させられます。
火力発電の熱源としては、LNGだけでなく、石炭や石油もあります。ただ、石炭火力は環境面で、石油火力はコスト面で、LNG火力に劣ります。日本の電力各社の広報資料によると、1kWhの発電をするのに、石炭火力では943グラムのCO2を排出します。それに対し、LNG火力では599グラムで、コンバインドという方式のLNG火力では474グラムで済むということです。
上述のとおり、サハリン2による日本向けのLNG輸出は、2009年3月に始まりました。図2に見るように、2010年代の前半、日本のロシアからのLNG輸入は拡大し、日本にとって第4位のLNG輸入相手国という地位が固まりました。現実には長期契約で決まる供給が多く、プーチンによる配慮で実際にロシアからの輸入がどれだけ増えたかは不明です。それでも、震災後のエネルギー不安に苛まれていた我が国にとって、ロシアからもたらされるLNGは、とても有難い資源でした。
ちなみに、2011年当時、日本が各国から輸入していたLNGの1t当たり輸入単価を計算してみると、オーストラリア769ドル、マレーシア804ドル、カタール812ドル、インドネシア782ドルなどであったのに対し、ロシアは664ドルでした。サハリン2のLNGは、価格面でもメリットがあり、日本が震災後の苦しい時期を乗り切る上で助けになったと言えそうです。
煮え切らなかったガスプロム
しかし、図2に見るように、日本のロシアからのLNG輸入は、2013年の857万tがピークであり、以降は縮小に転じます。一つには、新エネルギー開発や原発再起動などで、日本のLNG需要自体が低下したという側面があったでしょう。ただ、オーストラリアのように、2010年代の後半になっても、日本への輸出増に成功している国もあります。オーストラリアでは、3.11後の日本の需要増もにらんで、LNGプラントの新規建設が積極的に推進されたことが知られています。
それとは対照的に、ロシアでは、LNGプラントがサハリン2のそれしかない時期が、長く続きました。その結果、図3に見るとおり、ロシアのLNG輸出は2017年に至るまで、ずっと横這いだったのです。なお、図2の日本の対露輸入と、図3のロシアの対日輸出の数字が合わないのはおかしいと感じられるかもしれませんが、微妙なタイムラグなど諸々な要因でよくあることですので、悪しからず。
サハリン2に続くプロジェクトとして、ロシア極東に新たなLNGプラントを建設する計画は、確かにありました。これは3.11の前から検討されていたものですが、ガスプロムがウラジオストクにLNGプラントを建設するというプロジェクトがあり、2010年には複数の日系企業が調査のための合弁会社を設立しています。震災後の2012年9月には、ウラジオストクで開催されたAPECサミットに際して、プーチン大統領と野田佳彦首相の首脳会談が行われ、両首脳立ち会いの下、ガスプロムのミレル社長と資源エネルギー庁の高原長官が「ウラジオストクLNGプロジェクトに関する覚書」に調印するという進展がありました。
しかし、このプロジェクトはその後一向に進展しませんでした。ロシア・エネルギー問題のエキスパートである酒井明司さんによると、ガスプロム社はソ連ガス工業省を母体に誕生した国営企業なだけに体質が保守的で、LNGの重要性を充分に認識しておらず、アメリカ発のシェール革命のインパクトにも鈍感で、また極東での土地勘も乏しかったことから、LNG事業への取り組みが遅れたのだそうです(酒井明司『国策企業ガスプロムの行方』ユーラシア文庫、2019年)。そして、2014年5月にロシアと中国が30年間のガス供給長期契約で合意し(LNGではなくパイプラインを敷設して供給)、ガスプロムとしてはその事業を優先する必要が生じたことから、ウラジオストクLNGは棚上げ状態となってしまったということのようです。
その間、ロシアには新たなLNGプレーヤーが現れました。独立・新興系のガス会社ながら、プーチン大統領ときわめて近いノバテック社です。ノバテックは、フランスのトタル社と中国のCNPCおよびシルクロード基金による出資を得て、北極圏のヤマル半島にヤマルLNGというプラントを完成させました。プラントは、2017年12月から順次稼働を開始しています。
ロシアにとっては、待望のサハリン2に次ぐLNGプラントの誕生です。これにより、図3に見るように、2018年からロシアのLNG輸出が急増するとともに、従来はごくわずかだった欧州および中国向けのLNG輸出が本格化しました(図3で「その他」とあるのは大部分が欧州諸国)。日本は、今のところ主力の輸出先とはなっていないようですが、2019年6月にはヤマルLNGから出荷されたLNGが北九州のターミナルに積み下ろされ、日本への初供給が実現しました。
なお、ノバテックの第2弾プロジェクトとしてアークティックLNG2というものがあり、日本勢では石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)と三井物産がこれに参画しています。
今日のプーチン政権は、LNG輸出を国策として重視しています。そのことは、図4に見るとおり、2020年6月にロシア政府が採択した「2035年までのロシア連邦のエネルギー戦略」に示された見通しを見ても明らかです(図2、3は単位がトン、図4は立方メートルで異なりますので、ご注意ください)。おそらく、その主役となるのはガスプロムではなくノバテックであり、また舞台は極東というよりも北極圏ということになりそうです。
もっと関係を深められたのではないか
2011年の東日本大震災で原発が停止し、LNGを必要としていた日本。LNG市場にデビューしたばかりで、安定した輸出先を確保したかったロシア。3.11後の世界で、日露には相互依存の関係が成立しました。
個人的には、LNGをかすがいとして、日本とロシアはもっと関係を深め、お互いの国益を増進できたのではないかという気がしてなりません。現実には、ウラジオストクLNGが棚上げ状態となるなど、中途半端に終わってしまいました。アークティックLNG2にJOGMECと三井物産が参加したのは朗報ですが、ノバテックが北極圏で推進するLNG事業は気象や地政学を含め多くの要因に左右されると思われ、実際にどれくらい日本にLNGがもたらされるかは未知数です。
3.11後の早い時期に、ロシア極東で新規のLNGプラントが具体化するなどして、ロシアからよりまとまった規模のLNGを調達できる目途が立っていたなら、日本は石炭からクリーンなLNGへのシフトを、加速できたていたかもしれません。そうすれば、国際社会から「石炭中毒」などと批判されずに済んだのではないかなどと、つい考えてしまいます。
皮肉にも、日露間の貿易で、現在一番勢いがあるのは、日本がロシアから石炭を輸入する取引です。図5に見るとおり、日本のロシアからの石炭(発電用の一般炭)の輸入は、価格の変動による金額の上下動こそあるものの、数量は一貫して伸び続けています。