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「医療の価値を高める」という考え方 持続可能なケアの実現に向けて

英国のお医者さん

今回は「医療の価値を高めること」についてお話ししていこうと思います。

みなさんが頑張ってお仕事で稼いだお金で、なにかを買ったり、食事や旅行に行ったりする時、予算の範囲内でできるだけ良い物を買ったり、良い経験をしたりできないかを考えるのではないかと思います。

実は医療でも同じです。加えて、イギリス始め多くの先進国では医療のお金は基本、税や社会保険料など国民みんなで出し合った公的なもの、いわゆる公共財ですのでなおさらです。

それではそうしたお金の使い方を、どういった基準で判断すればいいのでしょうか。

一般的には、おそらくまずはその購入する物なりサービスなりについて、どれくらい良いかはもちろんのこと、価格もしっかりチェックすると思います。医療の世界においても同様で、医療の質、つまり、治療や検査が実際どれくらい効果があるのか、副作用や合併症のリスクはどれくらいかという安全性の話、それに、どれくらいコストがかかるのかについても考えることが重要になってきます。

どうして医療にこうした考え方が必要なのでしょう。

医療はあくまでもその必要性に基づいて提供されるべきで、そこにお金の話が入ってくる余地はない!とお考えの方もきっといらっしゃると思います。イギリスの考え方も同様で、医療はニーズに基づいて提供されるべきというのは、そもそもイギリスが大切にする価値観です。でも、むしろそれをできるだけ可能なものにしたいからこそ、こうした考えが必要になります。なぜなら、実際問題、資源は無限にはないからです。

資源が有限である中、価値の低い医療を提供していてはそれと引き換えに救える命が救えなくなってしまいます。医療の価値を高めることを意識するかしないか、認めるか認めないかに関わらず、リソースに限りがある限り、私たちは必然的にこうした事実から逃れることはできません。

ですから、イギリスは一つ一つの医療の価値を高めることを重視しています。実際にこれは以前紹介した、プライマリ・ケアの特徴の一つとして「ケアの安全と高い質を保ち、財政的に持続可能である」ということ(第8回)や、NHSの理念の一つとして「サービス利用者の利益を最優先に限れられたリソースの最も効果的でフェアで持続可能な活用に努める」というところ(第12回)にも現れています。

それではイギリスでのこうした考えに基づく取り組みを、次の4点に分けて簡単に紹介していこうと思います。

(1)科学的根拠(エビデンス)の重視
(2)適切な情報を素早く入手できる情報源の整備
(3)より価値の高い医薬品の推奨
(4)医薬品処方データの見える化

(1)科学的根拠(エビデンス)の重視

医療が実際どれくらい効果があって安全なのかを判断するにはどうしているのか、これには科学的根拠(エビデンス)が一つの指標になります。

例えば、風邪に対する抗生剤。効くと思われている方もおられるかもしれませんが、風邪の殆どは上気道のウィルス感染が原因で、細菌に対して効果を示す抗生剤では治せませんし、これまでの多くの研究によって抗生剤の効果は限定的であるということが科学的に明らかになっています。

また一方で、抗生剤にも下痢などの副作用やアナフィラキシーといった重大なアレルギー反応が発生する危険もあります。それに、安易に抗生剤を使用することは、抗生剤の効かない耐性菌が生まれるリスクの増加につながり、これは地球温暖化などと同様に私たちの医療を脅かすものの一つとして国際的に認識されている極めて深刻な問題です。イギリスではこれまで安易な抗生剤処方がなされてきた歴史があり、現在ではこれを反省し、抗生剤の過剰な処方をできるだけ減らすようにしていて、実際の処方量も減少しています。

また、日本でよく処方されている風邪薬としての痰切りや咳止めに関しても、その効果が限定的であることが分かっている上、自然治癒する日常的な健康問題に対して安易に処方してしまうと、これから先この薬が治るために必要であるという間違った印象を患者に与えてしまうことになり、不適切な医療依存につながるリスクがあります。

このため、イギリスでは基本、風邪に対してはできるだけ抗生剤はじめ、痰切りや咳止めなどを処方しないようにしていて、代わりに一定の効果があり比較的安全であるとのエビデンスがある解熱鎮痛剤(アセトアミノフェンやイブプロフェン)を勧めるようにしています(第24回)。

加えて、以前お話しした通り、こうした薬は市販薬としてイギリスでは医師が処方するよりも遥かに安く手に入ることから、あえて処方はしていません。ですから、風邪に薬が処方されることに慣れている日本人が風邪でイギリスのGPを受診すると、多くの場合は何も処方されず、市販のアセトアミノフェンやイブプロフェンを飲むようにとのアドバイスで終わってしまうので、これに驚く人がいるかもれませんし、質が低い医療と思う人もいらっしゃるかもしれませんが、これは誤解です。医療の効果性、安全性、経済性の3つを保つためにこうしています。

イギリスではこうした科学的根拠に基づくアプローチを支援するために、NICE(ナイス)と呼ばれる公的な機関があります。医療や介護のサービスが実際にどれだけ効果があり、安全なのか、そしてどれくらい費用対効果に優れているのかなど多面的な視点から信頼できるエビデンスを評価し、総合的な判断を推奨する、製薬会社や医療機器メーカーなどのステークホルダーからも独立した専門機関です。資源が限られる中、この機関が中立的な立場からガイドラインを作成することで、できるだけ質と財政が両立するサービスの提供を目指しています。

科学的根拠に基づく医療と言うと、エビデンスやガイドライン通りの医療を画一的にしている、という風に誤解されることがありますが、実際はそうではありません。こうした科学的に裏付けされた情報を個々の患者と話合う際に参考にする、というだけのことです。しかしこのベースとなる情報の信頼性はとても重要で、例えばこれまでの医師の経験やTVや週刊誌での注目度に基づくものではない、ということが大事です。

(2)適切な情報を素早く入手できる情報源の整備

とは言え、日々忙しい診療の中で、こうした適切な科学的根拠を、膨大な情報の中から素早く入手するというのはとても難しいのが実際です。

みなさんも経験されたことはあるのではないかと思いますが、例えば何かの治療法についてインターネットで調べてみたけど、ものすごい量の情報があって、どのサイトも言っていることがばらばら、なにが本当に正しい情報なのかどうかわからない、といったことはよくありますよね。

また、たとえ正しい情報が載っているであろうサイトにアクセスできたとしても、そこから必要な情報をピックアップする作業も大変です。例えば先ほどのNICEが作成する診療ガイドライン、ここでは一つ一つのトピックに付き大量の情報が含まれていて、目の前の患者とのやり取りの中で、その場で必要な情報を探すのはとても現実的とは言えません。

また、今、医療者が知るべき医療情報は加速度的に増えています。もはやこの膨大な、しかも日々変わる情報を正確に把握することはコンピュータでない私たち人間にとっては残念ながら不可能です。ですので、最新の医療情報を熟知している、というのは聞こえが良いかもしれませんが、現実的には出来得ないことで、むしろ熟知できないと自覚できていることがこれから先ますますと重要になってきます。これにより、その度に必要な最新の情報をチェックすることができ、より安全で質の高い診療につながります。

こうした考えをもとにプライマリ・ケアに特化した最新の情報を比較的短時間で調べられるようにイギリスで開発されたのが、「Clinical Knowledge Summaries(CKS)」と呼ばれるウェブサイトです。先ほどお話ししたNICEが100%の運営資金を出して、民間会社によって開発・運営されていて、イギリス国内からであれば誰でも無料で登録手続きの必要なくインターネット上で閲覧可能です。

ここでは現在、370以上の健康問題を取り扱っていて、例えば、「インフルエンザに検査や抗インフルエンザ薬は必要か」「慢性的な腰痛にレントゲン検査は必要か」「小児の夜尿症(おねしょ)への対応は」「つわりの薬で一番安全で効果があるのはどれか」「うつ病の対応で二次医療へ紹介すべきタイミングは」などの疑問に答えてくれます。

私の経験では、だいたい30秒から1分もあれば必要な情報にアクセスできることが多いです。多くのGP同様私も電話診療や外来診療の際は電子カルテのコンピューター画面上にこのウェブサイトを一緒に立ち上げて、必要に応じて、適切な情報を調べるようにしています。

(3)より価値の高い医薬品の推奨

費用対効果を高めていく観点から、医薬品を選ぶ際にそのコストパフォーマンスについて注目することも大事です。

この一環として、私たちの使用する電子カルテにはスクリプト・スイッチ(Script Switch)と呼ばれる「処方支援ソフト」が組み込まれていて、薬を処方しようとすると基本、同じ内容のもので他により安価な選択肢があれば、その中で一番安価なものをオプションとして示してくれるようになっています。同時にそれぞれのオプションの価格も表示されるようになっていて、コスト意識の向上にもつながっている印象です。

例えば、強い痛み止めの薬として処方される「フェンタニル」と呼ばれる貼付剤は5枚で£12.50します。一方、中身が同じで名前が違う「マトリフェン」と呼ばれる貼付剤は同じ枚数で£7.52と、£5.07(40%)安く処方できます。

もちろん提示された選択肢を取るか取らないかは処方を行なう医療者の判断にまかされていますので、必しもそれを選択しないといけない、というわけではありません。

(4)医薬品処方データの見える化

イギリスでは医療機関や地域ごとの処方がデータ化、可視化されていて、こうした仕組みも資源の価値を高めることに一役買っています。大量のデータが様々な形で見えるようになっていますが、例えば、わかりやすい情報源の一例としてオックスフォード大学が運営している「OpenPrescribing(開かれた処方)」と呼ばれるサイトがあります。ここでは私たちGPの処方データがまとまとめられていて、イギリス国外からでも誰でも無料で登録なしに閲覧できます。

例えば、そのデータセットの一つとして、GPが気をつけるべき処方という項目があり、診療所やCCG(第25回)が各々の処方データを国内平均と比較し、質の改善につなげることができます。ここではいくつもの処方について取り上げていますが、そのうちのいくつかの例としては以下のようなものがあげられ、同時にお示ししたように、それぞれなぜそうした統計をとることが必要なのかについての理由も一緒に添えられています。

• 抗不安薬と催眠薬の患者千人あたりの1日平均処方量

なぜ重要なのか:抗不安薬や催眠薬は、不安や睡眠障害などの症状を短期間で治療するために処方される薬です。英国精神科医学会は、「毎日6週間以上服用した場合、10人に4人程度が依存症になる」としており、4週間を超えて処方すべきではないとしています。

• 一般的な広域抗生剤の処方量

なぜ重要なのか:アモキシシリン/クラブラン酸、セファロスポリン、キノロンは、他の抗生剤が効かない場合に使用することができる広域抗生剤です。しかし、耐性菌の発生を防ぐためには、これらの抗生剤を控えめに処方することが重要です。

• プロトンポンプ阻害剤(PPI)処方のうち高用量処方の割合

なぜ重要なのか:PPIは、胃酸逆流症などの症状を治療するために、胃の中の酸の量を減らすために使用されます。NICEは、症状の治療には最低用量を使用することを推奨しています。PPIは安全な薬ですが、その使用により、クロストリジウム・ディフィシル感染症や市中肺炎のリスクが高くなるなど、多くの疾患の増加が認められています。

• アンジオテンシン変換酵素(ACE)阻害剤処方のうち高価な銘柄の処方の割合

なぜ重要なのか:イギリスで一般的に使用されているACE阻害剤は、現在、すべてジェネリック医薬品として販売されていて低価格です。これらのジェネリック医薬品と高価な銘柄の医薬品との間に差はないため、診療所では可能な限り費用対効果の高いものを処方することが重要です。

また少なくとも私の働く地域のCCGにある「処方マネジメントチーム」や、診療所に在籍する薬剤師が、可視化された処方データを使って、私たちGPにフィードバックしています。これらフィードバックはあくまでもアドバイスで指示ではありません。

以上が今回私が特に紹介したかった取り組みになりますが、これら4点の他にも、第29回で紹介したように、電子カルテから得られる地域のヘルスデータとNICEガイドラインとを結びつけて、公的資源の分配先を費用対効果が高い範囲に限定することも医療の価値を高めるための取り組みの一つです。

例えば、インフルエンザの予防接種は若く基礎疾患のない成人など低リスクの集団に接種しても入院や死亡のリスクを下げる効果は最小限です。逆に高齢の人や基礎疾患のある人など高リスクの集団に打つと入院や死亡リスクを効果的に下げる効果があります。こうしたことからイギリスでは、公費でのカバーを後者に限ることで公的資源の価値を高めるようにしています。

さらに、第19回でお話ししたように、医療機関が競争ではなく共生することで適切な医療がより安価で受けられるようにすることも、こうした対策のうちに入ります。

例えば、私が働く地域を例に挙げると、検査器具の配置については、そのニーズが低いところ(一般集団を診る診療所)ではあえて重装備にせず、検査用オンラインネットワークを病院群と診療所群が共有して、軽装備な診療所でも必要な病院検査を利用できるようにしたり、検査結果も診療所から閲覧できるようにしたりしています。こうすることで、重複検査はもちろん、特にCT・MRIなどの高コストな検査器具の過剰配置を避けるなど、過剰医療のリスクを減らしつつ、財政的にもより持続可能な形で、過不足のない医療を必要な人に提供できるように努めています。

以上になります。

今回でイギリスのプライマリ・ケアの現場の紹介は終わりになります。次回は、これまでの話を振り返り、イギリス医療の長所と短所についてお話しします。