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ロシアは米バイデン政権の誕生に戦々恐々

迷宮ロシアをさまよう 更新日: 公開日:
ロシアのプーチン首相(当時)と握手するバイデン副大統領(当時)=2011年3月10日、モスクワ、ロイター

バイデン政権発足へ

アメリカ大統領選挙は、11月3日に一般有権者による投票が行われ、難航した開票の末、民主党のジョー・バイデン候補の当確がようやく7日に伝えられました。ドナルド・トランプ現大統領は訴訟合戦に持ち込む構えも示しているものの、来年1月20にバイデン新政権がスタートすることはまず間違いないでしょう。

アメリカ大統領選挙のロシアへの影響に関しては、投票前に、「トランプ氏とバイデン氏 ロシアにとって望ましいのはどちら?」の回で論じました。今回は、バイデン勝利後にロシアの論壇で見られた論調を紹介することを中心に、改めてロシアおよび米露関係への影響を考えてみたいと思います。

バイデンとロシアは知らない仲ではない

実は、バイデンという政治家は、ロシアとのかかわりはかなり長く、関係はソ連時代の1970年代にまでさかのぼります。バイデンは1973年に連邦議会の上院議員になると、核軍縮の問題を手掛けるようになりました。1979年に米ソの首脳間で第二次戦略兵器制限条約(SALT II)が調印されながら、米国議会が批准を拒否すると、バイデンは調整役の一人としてソ連を訪問し、グロムイコ外相と会談しています。

2009年1月から2017年1月まで2期8年続いたバラク・オバマ大統領の下で、バイデンは副大統領を務めました。副大統領職にあった2011年3月に、バイデンはモスクワを訪れ、当時のメドベージェフ大統領、プーチン首相と対面しています。しかし、バイデンはプーチンに会ったその足で、反体制活動家らとの会合に出向き、その席であろうことか「もしも私がプーチンだったら、次の大統領選には出ないだろう」と発言しました。当時は、メドベージェフの大統領任期が切れる2012年以降の体制をどうするのかが焦点になっていた時期であり、プーチンの大統領復帰の可能性を牽制するような米副大統領の発言に、ロシア側は苛立ちを募らせたということです。

「ロシアとウクライナがどう違うのか」や、ベラルーシという国がどこにあるのかも良く知らなかったであろうトランプとは異なり、バイデンは旧ソ連諸国の問題に精通しています。トランプからバイデンへの政権交代により、アメリカの対ロシア政策はより厳しいものになるだろうという点で、ロシアの有識者たちの見方は一致しています。問題は、「どの程度」厳しくなるのかということに尽きます。

最も悲観的な見解としては、「ロシアは中国に代わって、アメリカの外敵No.1になる」(政治学者のN.ズロービン氏)、「バイデンは全国民の大統領になりたいと何度も述べており、その点、反ロシア政策は、民主・共和の両党が合意できる最もシンプルな接点だ」(資源市況予測研究所のM.アベルブフ所長)といった声が聞かれます。また、バイデン政権が中国との提携に乗り出し、その結果、中国がロシアとのより緊密な関係を必要としなくなる恐れについて指摘する論者もいます(投資家グループ「フレンデックス」のR.ピチュギン代表)。

事欠かない制裁の材料

プーチン政権が最も注視しているのは、アメリカの対ロシア制裁が強化されるかどうかという点です。確実に言えるのは、少なくとも現時点で発動されている制裁措置が、バイデン政権の下で解除されることはなく、あるとすれば強化されるシナリオだけということです。

アメリカの対ロシア制裁には、いくつかの種類がありますが、最も広範なのはウクライナ領クリミアの併合に対する制裁です。人物を対象とした制裁は、当初11人だったリストが段階的に拡充され、現時点では690人ほどに上っているということです。また、アメリカ企業がロシアの特定部門の企業と取引を行うことを禁止する措置もあります。

そして、バイデンはウクライナのポロシェンコ前大統領とも太いパイプで繋がっており、「バイデンの下で、アメリカはウクライナ問題により深くコミットするだろう」(戦略コミュニケーション・センターのD.アブザロフ社長)と見られています。トランプ大統領は2018年のG7サミットの席で、「クリミアはロシアのもの。なぜなら大部分の住民はロシア語を話しているから」などと述べたことがありましたが、この問題でのバイデンの立場は比べ物にならないくらい厳しいものとなりそうです。

また、軍事独裁と化しつつあるベラルーシのルカシェンコ体制を、ロシアが支援し続けるとしたら、今後それがアメリカによる新たな対ロシア制裁の材料になる可能性もあるでしょう。実際、バイデンは選挙運動中の9月、ルカシェンコのことを「独裁者」と呼んだ上で、ルカシェンコが就任式を強行したことは恥知らずな行為であり、トランプ大統領がベラルーシでの市民弾圧につき沈黙していることは許されないと批判しました。

もう一つ、ロシアの野党政治家ナバリヌィ氏の暗殺未遂事件も、新たな制裁の材料になるかもしれません。想起されるのは、2018年にイギリスで元スパイのS.スクリパリ氏とその娘が毒殺されそうになった事件につき、ロシアが化学兵器禁止条約に違反したとして、アメリカが制裁を発動したことです。ロシア国際問題評議会のI.ティモフェエフ・プログラム部長は、ナバリヌィ氏の事件が、それと同じようなロジックで、追加制裁の根拠とされる可能性があると指摘しています。

「地獄からの」制裁

このように、ロシアとしては「身に覚え」は色々あるわけですが、バイデン政権発足後、直ちに追加制裁が決まることはないだろうという点では、識者の間で大まかなコンセンサスがあります。「すぐに制裁強化ということはないし、バイデンがどこまでその気なのかも分からない。当面は現状維持だろう」(ガイダル経済研究所のS.ジャボロンコフ上級研究員)といった見立てです。

当面は現状維持にしても、新政権が落ち着いた頃に、アメリカが対ロシア制裁を強化するのかという点については、ロシアの中でもかなり見方が分かれています。

ロシアにとって悪夢なのは、「フロム・ヘル(地獄から)」と呼ばれている対ロシア制裁の法案パッケージが、復活することです。「地獄から」というのは、法案の発案者の一人であるリンゼー・グラム上院議員が名付けたそうですが、ロシアに対してきわめて厳格な制裁を導入しようとするものであり、アメリカ議会で審議されたものの、トランプ政権の消極姿勢により、棚上げとなっていました。

もしもこれが成立すると、ロシアの新規国債の引受けの禁止、ズベルバンクやVTBといったロシアの国営銀行のアメリカでの取引禁止、ロシアをテロ支援国家に指定、ロシアのエネルギー部門に投資することの禁止、プーチンおよびその側近に対する制裁などが実施されるということです。前出のピチュギン氏をはじめとする一部の論者は、フロム・ヘル法案の復活は現実味を帯びていると考えています。

もちろん、制裁はそれほど強化されないのではないか考える専門家もいます。ソフコムバンクのK.ソコロフ主任エコノミストは、「ルーブル建て国債の引受け、石油取引、銀行のドル取引などを禁止するような厳しい制裁は考えにくく、一部の個人や泡沫企業、ノルドストリーム2に対するものなど、ピンポイント的な制裁がありうる程度だ」という認識を示しています。

投資会社「ルネサンス・キャピタル」のS.ドネツ主任エコノミストも、厳格な制裁の可能性は低いと見ています。同氏は制裁を、ソフト(人物・経済部門を特定した制裁の拡大)、中間(ロシア国債の一次市場での引受け禁止、流通市場でのロシア・ユーロ債の購入禁止)、ハード(ロシア国債の一次市場および二次市場での購入禁止)と3種類に分けた上で、それぞれが導入される可能性をソフト25%、中間7%、ハード2%と評価しています。

石油・ガス立国ロシアの不安

以前のコラムでも述べましたが、目下ロシアがアメリカの動きで最も気を揉んでいるのが、バルト海海底を通る天然ガスパイプライン「ノルドストリーム2」をめぐる問題です。ロシアのガスプロム社が従来のウクライナ・ルートを迂回して欧州市場に直接ガスを供給することを目指すプロジェクトの第二弾ですが、工事を担当していたスイス企業が米政府からの圧迫に耐えかねて2019年12月に鋼管敷設作業を中断してしまい、宙に浮いています。

このプロジェクトについては、政治工学センターのA.マカルキン副社長が「その命運につき、はっきりとした予測をすることは困難。制裁措置は解除されていないし、上院で共和党が過半数を維持する見通しもある。当の民主党も、この問題でロシアに対して特に好意的なわけではない」と指摘しているとおり、とにかく先行きが不透明です。

一部には希望的な楽観論も見られ、「バイデンは対欧州関係を重視するので、ノルドストリーム2に参画する欧州企業への制裁にはより慎重になるのではないか」(ロシア国際問題評議会のA.コルトゥノフ理事)、「バイデンはドイツとの関係でよりバランスのとれたスタンスを示すはずであり、ドイツが希望するノルドストリーム2をかたくなに阻むことはないはずだ」(投資コンサルタントのYe.マルィヒン氏)といった声も聞かれます。

他方、アメリカは近年、フラッキング(水圧破砕法)というシェール岩盤層から石油・ガスを採掘する技術により、その生産を拡大してきました。しかし、環境への悪影響も指摘されており、バイデンは連邦公有地における石油・ガス採掘の新規リースを禁じることを提案、グリーンエネルギーへの転換を図ろうとしています。

バイデン政権下でこれが現実のものとなり、アメリカから世界市場への石油・ガス供給が縮小すれば、石油・ガス立国のロシアにとっては、短期的には好都合です(特に欧州市場ではロシアのパイプライン・ガスとアメリカの液化天然ガスが直接的に競合し合うだけに)。しかし、前出のアベルブフ氏は、バイデン政権の成立により、世界の脱化石燃料化、グリーンエコノミーへの転換が本格化・不可逆化し、中長期的に見ると、それにより石油・ガス立国ロシアの存立基盤が危うくなることへの危機感を表明しています。

核軍縮は前進か

米露関係にとってポジティブなのは、バイデンがライフワークとして核軍縮の問題に取り組んできており、新政権下でこの面では米露の歩み寄りが期待できそうだという点です。

現に、2002年にジョージ・W・ブッシュ政権のアメリカが弾道弾迎撃ミサイル制限条約(ABM条約)から脱退した際に、バイデンはそれを厳しく批判し、「ロシアとは妥協・合意の道を探るべきだ」と主張しました。トランプ大統領が2019年に中距離核戦力全廃条約(INF条約)を破棄した際にも、やはりバイデンは反対の姿勢を示しています。

現在、米露間で焦点となっているのは、新戦略兵器削減条約(新START)を更新するかどうかという問題です。この条約は、2011年2月にオバマ政権がロシアと結んだものであり、2021年2月に期限が切れるため、その延長問題が米大統領選とも絡んで注目を集めていたわけです。

ロシアの言論サイト「ザ・ベル」のP.ミロネンコとA.ストグネイは、「バイデンが、ロシア問題で最初にやることは、就任直後の2021年2月5日に期限が切れる新STARTを、5年間延長することになりそうだ」と指摘しています。そうなれば、グローバルな核安全保障にとっても、朗報でしょう。

対話の「窓」ではなく「隙間」があいている程度

筆者が最も信頼するロシアの政治評論家は、前出の政治工学センターのマカルキン副社長です。この専門家の分析が、最もバランスがとれていると思うので、最後にマカルキン氏が示している今後の米露関係の見通しを紹介して、本稿を締めくくりたいと思います(いくつかの記事で発言していた内容をまとめて構成)。

「2011~2012年にプーチンが大統領の座に復帰しようとしていた頃、バイデンはあからさまにそれを批判したことがある。バイデンは真っ正直なところがあり、それゆえにはっきりものを言ってしまうのだが、これがクレムリンの不興を買った。

民主党は今日、2016年の米大統領選で自分たちがロシアから屈辱を受けたと考えており、その再現を許すまじという立場である。現在の民主党は、オバマが選挙戦でロシアとの関係『リセット』を唱えていた時の民主党とは、まったく別物だ。

ただ、トランプは前任者たちの築いてきたすべての合意から離脱しようとし、とりわけ新STARTに関してそうだった。それに対し、バイデンは新STARTを延長する用意がある。したがって、ロシアにとってバイデンは、必ずしも悪いパートナーではない。確かに、バイデンはウクライナ問題でかなり厳しい立場をとってきたが、共和党はアメリカからウクライナへの航空兵器供給を許可したのに対し、民主党は許可しなかったことを覚えておいて損はない。

ロシアとバイデンの関係は錯綜したものになるだろうが、破局的ではなく、対話は可能である。バイデンの下では、ロシア問題に関する専門的で経験豊かなチームが作られ、ロシアへの対応は非常に厳しくも、突拍子のないものにはならないだろう。トランプ政権下で、ロシアへの対応が行き当たりばったりだったのとは、異なる様相となる。

しかし、対話のための『窓』がしっかりとあいているといった幻想は禁物だ。それは、わずかな『隙間』程度のものにすぎない」