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ベルリンの「平和の少女像」を巡る騒動 その「温度差」について考えてみる

ニッポンあれやこれや ~“日独ハーフ”サンドラの視点~ 
ベルリンの住宅街に置かれた慰安婦を象徴する少女像=2020年10月9日、ベルリン、野島淳撮影

以前からたびたび騒動となっている「平和の少女像」。先日はドイツの首都ベルリン市のミッテ区に少女像が設置されましたが、日本側の抗議により一旦は撤去が決定されたものの、その後、韓国やドイツ国内から撤去に対する抗議の声があがり、ミッテ区は現在「撤去を保留」しています。この一連の流れについて様々な方面から賛同の声があがったり抗議の声があがったりしています。国レベルでも民間レベルでも、なぜこのテーマはこれほどこじれてしまうのでしょうか。

「親日か」「反日か」で物事を考えることの問題点

「平和の少女像」と称される旧日本軍従軍慰安婦像について考える時、日本では「慰安婦像の設置は反日的なことであるから容認できない」という考えをよく耳にします。日本では一部に「慰安婦が実際にいたのかどうか」を疑問視する人がおり、元慰安婦によるロビー活動やその結果としての慰安婦像設置を「日本を敵対する行為」だと見なし「反日」だとする考えが見られます。

しかし今回慰安婦像が設置されたドイツに関していうと、ドイツ人に「親日」や「反日」という概念を理解してもらうことは困難です。というのもドイツに置き換えて考えてみると、ドイツ国内では「親独」「反独」という言葉は使われていません。そのため「親独か」それとも「反独か」という観点から物事を見る習慣はありません。ドイツ人が国際情勢にまつわる時事ニュースを目にしそれについて考えるとき「報じられている内容がドイツに対して優しいか否か」と考えることはまずありません。そういった基準に基づいて判断するという発想がそもそもないからです。

したがって、ドイツ人に対してこの極めて日本的である「親日」や「反日」といった感覚を理解してもらうことは難しく、仮に「慰安婦像の設置は反日を象徴する行為だから日本人は怒っている」と説明をしたところで理解はされないでしょう。この「親日」や「反日」という言葉をドイツ語に直訳することはできる(親日はjapanfreundlich、反日はantijapanisch)のですが、前述のようにドイツ国内において「親独」や「反独」という言葉がそもそも使われていないことから、「親日」「反日」の概念は理解されないのです。

外交は国に任せるとして、民間レベルに関していえば、そういった考え方やとらえ方の根本的な違いに「話がかみ合わない」ことの一因があるといえるでしょう。

欧米社会で少女像は「女性の人権」の問題

ドイツの社会学者でボーフム大学元教授のイルゼ・レンツ氏は「少女像は戦争中の女性に対する性暴力を記憶しようとする運動の象徴」だと語っており、ドイツにおける少女像の設置は「ジェンダー問題の観点から重要」だとしています。日本とドイツのジェンダー問題に詳しい同氏は、第二次世界大戦中に日本の支配下にあった地域における性暴力を問題視するとともに、第二次世界大戦中に東ヨーロッパとロシアで起きたドイツ人による性暴力について「把握し記憶していくこと」が課題だと語っています。

日本では少女像というと「韓国に限った話」としてとらえられることが少なくありません。しかしドイツを含む欧米社会で「平和の少女像」はなにも「韓国の少女」に限ったことではなく、「第二次世界大戦中にアジア・太平洋地域の多くの国々で被害に遭った少女たち全員」(14か国、20万人以上の女性)の象徴だと考えられています。

戦時中に女性が受ける性暴力についてドイツでもじゅうぶんなスポットは当てられてきませんでした。だからこそ近年は「過去、現在を問わず戦争中に性暴力の被害に遭う女性たち」のことを記憶し、屈託のない少女時代を奪われ苦悩あふれる人生を歩まざるを得なかった女性達全員に思いを馳せることに賛同するドイツ人が多いのです。そういった背景もあり少女像の設置に積極的な考えを持つドイツ人が少なくありません。

日本では「歴史は歴史」「現在は現在」というふうにそれぞれを別々のものと考える傾向が強いように感じます。しかしドイツでは歴史と現在をつなげて考えることが一般的であり、今回のような女性への暴力にまつわる問題も含めて「過去を記憶すること」および「過去を克服すること」が重要だとされています。したがって、たとえ何十年も前のことでであってもこの問題にスポットを当てることは大事だと考えられているわけです。

ベルリン・ミッテ区長が公開したプレス・リリース

このことは10月中旬に公開されたベルリンのミッテ区長のプレス・リリースを見ても明らかです。一連の流れを説明した後にシュテファン・フォン・ダッセル区長は「ミッテ区役所は時代、場所、行為者を問わず、女性への性暴力、特に戦時下における性的暴力を非難します。」と書いています。

ミッテ区長のプレス・リリース

当初設置が許可されたベルリン市ミッテ区の少女像について、なぜその後一旦は撤去の命令がミッテ区から出たのかというと、少女像の「第2次世界大戦当時、日本軍はアジア・太平洋全域で女性を性奴隷として強制的に連行した」という碑文について「事前に通知がなかった」からです。上記のプレス・リリースでは今後この碑文に記載する内容について「日韓が折り合える妥協案を望みます」としており、「関係者全員が共に生きていけるような記念碑の建立がなされることを歓迎します」と締めていることから、少女像の設置自体に反対しているわけではないことが読んでとれます。今後について碑文の内容を普遍的なものにし、ベトナム戦争に参戦した韓国軍によるベトナム女性への性暴力についても記載する案が挙がっています。

ベルリン・ミッテ区での少女像の設置がニュースを賑わせてから、筆者はよく「なぜ日本人の気持ちはドイツの著名人や政治家に理解されないのか」と聞かれます。確かに双方の温度差が目立つのですが、その背景には冒頭で紹介したような「親日か」「反日か」といった判断基準が現地では理解されないこと、少女像がドイツでは女性の人権問題としてとらえられていること、過去の戦時中の話だからといって現在と切り離すことのできない問題だと考えられていること、といった考え方の根本的な違いがあります。少女像が今後も設置続けられるかどうかについてミッテ区の行政裁判所の判断が待たれます。