【尾畑留美子】環境を変えられないなら、自分を変える 老舗酒蔵を継いで学んだ
4人目は、新潟・佐渡島で地酒「真野鶴」を造る老舗蔵元の5代目、尾畑留美子さん(54)。独自に海外にまで販路を広げてきましたが、コロナ禍で国内でも海外でも逆風にさらされています。その中でも「チャンス」を見いだして奮闘する、力の源を聞きました。(聞き手・構成 太田航)
連載「突破する力」はこちらでお読みいただけます。
――コロナ禍で私自身、会社の同僚らとお酒を飲む機会がなくなりました。そうした影響は大きいですか。
はい。特に3月以降、飲食店営業や旅行の自粛が始まってからですが、日本酒の売り上げは業界全体で見ても厳しい状況です。一方で「家飲み」が増えるといった、違う流れを生み出す契機にもなっています。
――輸出のほうはどうですか。
海外でも飲食店営業の規制が厳しく、苦戦しています。私たちは「真野鶴」の輸出を2003年に始め、コロナ禍以前は売り上げの8~9%ぐらいを占めていました。ここ10年ぐらい順調に売り上げが伸びていただけに痛手です。海外の提携先と連絡を取りながら、オンラインでの販売促進策などを練っています。
――一般の人が酒造りを体験できるプログラムを中止にするといった影響も出ているそうですね。
はい。2010年に廃校になった小学校を私たちの二つ目の酒蔵として再生した「学校蔵」で、15年から1週間の仕込み体験プログラムを実施していますが、今年はコロナ禍のため、初めて一部の日程で開催を見合わせました。
学校蔵では、5~8月の間に酒造りをしています。オール佐渡産を掲げ、佐渡の米を使い、酒造りのエネルギーも太陽光発電でまかなっています。プログラムには毎年海外からの参加者もいますが、今年は渡航自体が難しいため、来年以降に参加したいとの声をいただいています。
――コロナ禍の中でどんな打ち手を考えたのですか。
突然やってきた変化だったので、最初は硬直状態でした。何をしていいか分からない数日間を過ごした後、そもそも日本酒の役割とは何なのだろうと考えるようになり、「人と人をつなぐ」ことにあるのかな、と思い至りました。それをメッセージとして伝えたいと考え、新商品をいくつか発売しました。
――例えばどんな商品ですか。
一つは「同じ空の下」というシリーズの商品です。「たとえ離れていても、同じ空の下で杯を傾ければ心が通じ合う」というメッセージを込めました。6月に発売した第1弾の「見上げてごらん」というお酒のラベルには、佐渡の天の川をデザインしました。暗闇で見ると、夏の星座が浮かび上がる仕掛けも施し、予想以上の販売数になりました。このシリーズでは秋にも「月明かりの下で」を発売します。その後も季節ごとの佐渡の景色を折り込みながら、「同じ空の下で一緒にいるよ」というメッセージを送っていきたいと思います。
にごり酒の「くもり後ハレ」という商品もあります。たとえ今日が曇りでも、明日はもっといい日になるというメッセージを込めて造ったお酒です。日本酒を通して、みんなにちょっとでも希望を持ってもらえればいいな、と思いました。
――面白いですね。新商品はほかにもありますか。
コロナ禍前から準備をしていたことですが、佐渡の岩首集落にある棚田の食用米を初めて仕込みに使った「龍のめぐみ」という酒を造りました。日本海を望む棚田の風景は絶景なのですが、地域の高齢化や大型機械が入らない地形の制約のため、年々維持が難しくなっています。私たちは、日本酒には生産地の物語を伝える語り部としての役割もあると考えており、棚田の米で酒を造って景観保全の力になりたいと思いました。クラウドファンディングにも挑戦したところ、目標の2倍を上回る多くの方にご支援いただきました。
いずれの新商品も好評をいただいています。コロナ禍のため対面で商品をご紹介するのが難しい中で、SNSを使って情報をお届けできているということに、手応えを感じ始めているところです。
――コロナ禍でSNSでの情報発信に力を入れているのですか。
そうですね。コロナ禍でいろいろなことが今までのようにできなくなりましたが、何もできなくなったわけではありません。SNSは以前から十分に使えていないと感じていたので、まずその活用を考えました。
商品ごとに短い動画を作り、ホームページなどに載せています。先日は学校蔵のことを広く知っていただこうと、蔵の内部や酒造りの様子をSNSでライブ配信しました。
以前の私たちにとっては、少し難しいと思い込んでいた技術が、身近な情報発信のツールとして使えるようになってきています。
――前向きな変化ですね。
今までと違うことに取り組む過程で、絵やデザインが上手だったり、動画の編集が得意だったり、と従業員がさまざまな才能を持っていることに気づけたのも、大きな収穫でした。私も見よう見まねでやっているうちに、短い動画だったら何とか作れるようになりました。少しずつ新しい分野に挑戦しているところです。
――困難を前にしたときに大事にしていることは何ですか。
酒蔵を継いだころにうまくいかないことが続き、心がけ始めたのが何事も丁寧にやるということでした。野球にたとえると、スランプの時に球拾いをするということです。球拾いを一生懸命するうちにリズムが戻って、またホームランを打てるようになる、と思うようにしました。
また時には、自分にはどうしようもない「踊り場」のようなものがやってくることもありますが、「踊り場で踊る」をモットーにしています。試行錯誤することは無駄ではなく、きっといつか役に立ちます。
――このコロナ禍を乗り越えるために大切なことは何でしょうか。
コロナのせいにするばかりではなく、今の環境に対応して自分を変えることだと思います。
自分が変わらなくてはならないというのは、酒蔵を継いだころに得た教訓です。29歳で佐渡に戻り、何をやってもうまくいかず、そのたびに何かのせいにしていました。そんなことが5年も続いてから、世界も社会も変わらないなら、変わるべきは自分だ、とやっと目が覚めたんです。
――その頃の姿が今に重なるのですね。
はい。コロナが突然未来を奪ったように感じた時もあったのですが、コロナが奪っていたのは、未来を描き出す自分の力だったのだと分かりました。そして、今はチャンスの時でもあると思えるようになりました。
グローバリゼーションの時代、大量生産の商品が出回りましたが、それを支えた大量消費がコロナ禍で止まってしまいました。これからは「誰にでも手に入る安くて同質のもの」よりも「誰かのためにあるそこだけの特別なもの」の存在感が高まるのではないかと思います。そういう意味で、私たちのような小さな酒蔵にはチャンスかもしれません。
また、コロナ禍で経済活動が減速し、成長率や効率性では測れない価値に、より目が向けられるようになりました。日本酒造りや学びの場はそうした価値を生み出すところだと思っています。
――具体的にはどういうことですか。
例えば、学校蔵の体験プログラムでは、酒米に触れることで田んぼ、気候風土、食文化などに自然と思いが巡るようになります。佐渡で酒造りを学びながら、自然との共生や循環型社会の重要性も実感できます。酒造りを通して、飲んでくれる人、造り手、この地域に喜びや幸せが増えていくような、そんなものづくりをしていきたいと思っています。
――まだまだ厳しい状況が続いているとは思いますが、どうやって気分転換していますか。
自粛生活で楽しいのは、夫と一緒に料理をして晩酌をすることです。新鮮な地元の野菜で料理をするのはいいものです。毎日ごはんがおいしいですね。
コロナ禍は、身近な人を分断し、味覚まで奪うなどと言われますが、これまで仕事に追われてつい後回しにしてしまっていた「家族」や「おいしさ」の大切さに改めて気づくきっかけにもなりました。
■9月6日(日)発行の朝日新聞朝刊別刷り「GLOBE」にもインタビュー記事を掲載します。