世界保健機関(WHO)が新型コロナウィルスを「パンデミック」(世界的流行)と認定し、各国に対策の強化を訴えたのは3月11日のことだった。その前日、私は米プロバスケットボール(NBA)のワシントン・ウィザーズ対ニューヨーク・ニックスの試合を取材するため、首都ワシントンにあるキャピタル・ワン・アリーナへ猛ダッシュしていた。もちろん、レンズの先には、昨年、NBAドラフト会議で日本初の1巡目指名を受け、ワシントン・ウィザーズに入団した八村塁選手。この頃、新型コロナの感染拡大が懸念され始め、無観客試合の可能性もささやかれていたが、この日の試合は通常通り行われようとしていた。
試合前の「ゴールデンアワー」
試合開始のおよそ90分前。選手たちはウォーミングアップやシュート練習をするためコートに姿を現す。八村選手が懸命に練習する姿や、他の選手たちとふざけて笑う自然な表情を間近で撮影するのがこの時だ。邪魔にならないよう細心の注意を払いつつ、ストレッチする様子やダンクシュート、ボールを見つめる真剣な眼差しや時折浮かべる少年のような笑顔が出る瞬間を撮る。この時間は、まさに「ゴールデンアワー」だ。
私が試合前の練習を「ゴールデンアワー」とまで呼ぶ理由は、試合開始まで30分を切ると、コートから出ていかなければならないからだ。コートサイドから至近距離で試合を撮影するのは、チーム専属や米大手メディアに限られている。他のフォトグラファーが撮影できるのは、2階にある記者席のエリアからだ。日本が誇る八村選手の試合を1階から撮影したいといくら願っても、日本のメディアにとって、それは奇跡に近い。。。
ホーム開幕戦での奇跡
その奇跡が起きた。昨年10月30日、八村選手にとってホーム開幕戦にあたる試合でのことだった。開始2時間前に会場に到着すると、選手のロッカールーム近くにある記者室は、すでに報道関係者でごった返していた。記者室の一角にあるモニターには、試合ごとに取材許可が出たフォトグラファーの名前と、その撮影場所が映し出される。当然、私は2階の記者席だろうと思いつつ画面を確認すると、なんと、コートのエンドライン沿い、リングの真下付近の撮影スペースに自分の名前が!
試合をコートサイドから撮影できるフォトグラファーは、ウィザーズのロゴであるバスケットボールが背中にデザインされた、紺色ベストを着なければいけない。早足でベストを受け取りに行く。サイズが大きいため、羽織ってみるとまるで法被だった。だが、この「法被」を着てコートに入れるフォトグラファーはわずか4人。すぐさまレンズフードをゴム製のものに切り替えた。NBAの取材では、万が一ゴールに突進してくる選手とカメラがぶつかっても、選手にケガをさせないよう、カメラのレンズフードはゴム製にしなければならないからだ。
エンターテイメントとしての演出
八村選手のホーム戦デビューを一目見ようと、観客席には多くの日本人ファンが詰めかけていた。「ガンバレ!八村塁」と日本語で書かれたプラカードを持つ人や、八村選手のユニフォームを身にまとった子供たちが、目をキラキラさせながら選手の登場を待っていた。
まるでコンサートのように、大音響でヒップホップが流れる。試合開始の直前、突然照明が落ち、登場口にスポットライトが。吹き出すドライアイスの煙を抜け、スポットライトの光を浴びながら選手一人一人が、アナウンスとともに登場する。天井近くでは大きな炎が火山のように噴き出している。観客席に向けられたカメラがカップルに大画面でキスをさせる「キスカム」や、躍りまくる観客が映し出される「ダンスカム」も恒例行事だ。ハーフタイムのパフォースマンスやゲームも含め、観客はフェスティバルのように観戦を楽しむ、これがNBAだ。
この大規模なエンターテイメントを至近距離で撮影できるのはコートサイドのみ。選手の表情や信じられないような技をフロアからローアングルで狙う。肌で感じる試合の迫力と緊迫感は、この位置でしか体験できない。
私のレンズが追いかける主役は八村選手。その日は、NBAでも屈指の得点力を誇るジェームズ・ハーデン選手を擁する強豪ヒューストン・ロケッツが相手だった。両チームが150点を超えるという、点の取り合いになったが、八村選手はデビュー後初の3点シュートを決めるなど、23得点を挙げる大活躍だった。
メディアの日
NBAの取材機会は、こうした試合以外にもたくさんある。その1つが毎年行われる「メディア・デー」だ。ウィザーズが普段練習をしている「メッドスター・ウィザーズ・パフォーマンス・センター」という大きな体育施設で開催される報道陣のためのイベントだ。
昨年はキャンプ目前の9月30日に行われた。ウィザーズの練習施設は、ワシントンの南東にある貧困地域の一角にある。不気味にそびえ立つ昔の精神病棟の目の前にある施設は、2018年9月に新設されたばかり。駐車場にはレンジローバーやマセラティなど、選手の高級車が並んでいる。このエリアでは珍しい光景だ。
中に入ると、2面あるコートが細かくブースに仕切られ、記者会見場や写真撮影、テレビ局のスタジオや、ゲームコーナーなど、まるでテーマパークのように様々なセットが設けられていた。そこに、2メートルを超えるウィザーズの選手たちの頭があちこちに見える。
八村選手は記者会見を終え、今度は写真撮影に挑んでいた。「ボールを持ったまま、体はあっち。顔だけこちらを向いて」と、フォトグラファーからの指示。続いて「顔はそのまま。目だけこっちを見て」などという無茶ぶりに、どうしていいかわからず、思わず笑みをもらす八村選手だったが、一生懸命リクエストに応えようとしていた。隣では、ベテランのジョン・ウォール選手が、まだ足を負傷中だったため、靴下にサンダルを履きながらも、上半身でファッションモデルのようにポーズをきめていた。
撮影機材を抱えながら歩き回っていると、突然壁にぶつかった。「壁」は、エースのブラッドリー・ビール選手だった。インタビューを受けている八村選手の背後から、ふざけてカメラに写り込もうとしていたらしい。二人が兄弟のように肩を組む姿や、冗談で爆笑する様子に、チームに溶け込んでいる八村選手を垣間見た。
試合後の囲み取材
試合の終了後には、選手や監督にコメントを求める「囲み取材」がある。八村選手には米国だけでなく日本の報道陣も詰めかける。コートからロッカールームへ続く通路にスペースが設けられ、着替えた八村選手が出てくると、報道陣は選手を文字通り「囲み」まくる。取材する方もされる方も身動きが取れないほどの近距離で行われるため、普段私は八村選手の足元でしゃがんだ状態で撮っている。
このほか、記者たちは「ロッカールーム」の中にも入っていける。ロッカールームは、まさに選手の更衣室を指す。シャワーを浴びた選手がタオルを腰に巻いて登場したり、着替えたりしている中を、記者は選手たちに話しかけて取材する。女性記者だって入室可能だ。残念なことに、写真撮影はできないが。。。
試合後、コートを出ると、メディアは選手を至近距離で取材できる。
しかし……
3月10日、それまでの取材方法は、新型コロナの感染拡大によって変更を余儀なくされた。ロッカールームへの入室は禁止となった。選手への「囲み取材」も中止になり、選手と記者の間に2メートルほどの距離を取るため、記者会見のスタイルに変わった。
いつもの通路ではなく、記者会見場に長テーブルが準備された。そこへ、ピンクのパーカー姿に着替えてきた八村選手が登場。会見では、手洗いとうがいをして気をつけるようにという日本人ファンからのメッセージに触れ、「それほど大きいことになっているので、僕も気をつけたいし、みんな一人ひとりが意識することが大切だ」と語った。とはいえ、マスクの習慣が全くなかった米国だけに、この時点ではまだマスク着用者はいず、特に緊迫した雰囲気も感じられなかった。
ところがその翌日、NBAは急展開を迎える。ゴールデンステート・ウォリアーズがNBA史上初めて、無観客で試合を行うと発表。さらに同じ日の夜9時46分、選手にコロナ感染の陽性反応が出たことを受け、シーズンの日程を無期限で停止することが発表された。
以来、選手たちは練習もできないまま在宅を続けた。そんな中、八村選手ら現役NBA選手がビデオゲーム上で対戦する史上初のトーナメントが行われ、優勝者によって10万ドル(約1000万円)が新型コロナによる被害救済活動支援のために寄付された。
米国でも徐々に経済活動が再開されている。NBAは30チームのうち、ウィザーズを含む22チームがフロリダで7月31日から試合を再開することを発表した。ただ無観客ということは言うまでもない。かつてのように、裸の選手をロッカールームで追いかけることや、八村選手を多くの報道陣で「囲む」ことも難しいだろう。コロナ前の最後の試合を取材できたことは貴重だった。NBAの迫力ある試合をまた撮影できるのはいつになることか。。。