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「女性リーダーがコロナを抑え込む」というニュースの違和感

ノルウェー通信
拡大防止対策を評価されているノルウェーのアーナ・ソールバルグ首相 撮影:あぶみあさき Photo:Asaki Abumi

「女性リーダーがいる国でコロナ感染拡大防止が成功していることについて、コメントが欲しい」という連絡が増えている。

「女性の首脳がいる国」で、コロナ対策が「成功している」という記事を発信しはじめたのは、北欧、ドイツ、ニュージーランドなどの現地メディアではなく国際メディアだ。その話題は英語圏で始まり、日本にも到着した。男性首相と男性優位の伝統が続いていた国々にとっては、魅力的なタイトルなのだろう。

各国の政府が成功と断言したがるのは、次の選挙で負けたくないからという思いもあるとして、まだウイルスは存在しているのに、成功しているかどうか急いで結論づけようとするメディアには、あせらないでもらいたい。正しい戦略を知りたい・早く安心したいという心理の現れなのだろうが。

正直、オスロ大学で副専攻がジェンダー平等学だった私個人の最初の反応は、「……はぁ」という感じだった。よくある、「現地では全く話題にならないけれど、他国でなぜか話題になっているニュースネタ」という印象だった。関わるつもりはなかった。

ジェンダー平等やフェミニズムの考え方が進んでいる国では、「自分たちの首相が女性だから」という理由でコロナ対策を評価する思考回路がそもそもない。むしろ、性別で個人の能力を評価することは差別や偏見になりかねない。

今回の関連記事を見ていると、女性だから「共感力がある・優しい・感情を読み取る・慈しみの心がある・現実と向き合う、差別があった政治の世界で男性よりも何倍も努力してきたから優秀」などと評価されている。このような評価は男性らしさ・女性らしさの偏見にもつながる可能性がある。

とはいえ、問い合わせも続くし、この目線で注目したい気持ちもわからなくもない。おじさんばかりの政治の光景に飽き飽きしている人は、違う未来の可能性に望みを見出したいのかもしれない。「まずは何か書いてみようかな」と私は思った。

新型コロナウイルスの感染拡大に関する記者会見に出席するフィンランドのサンナ・マリン首相(中央)ら閣僚=2020年5月4日、ヘルシンキ、ロイター

「それならば、現地の専門家の意見も交えよう」と思い立つ。「この視点のニュースをばっさりと厳しく切ってくれる人がいたら、それもいいな」と思っていた。しかし、1週間経った今、私はちょっと途方に暮れている。

女性首相がいるアイスランド、ノルウェー、デンマーク、フィンランド。そして唯一の男性首相で、まだ女性首相が1人も誕生していないスウェーデン(集団免疫という戦略で世界の度肝を抜いている国)。この5か国の大学や報道機関で働く教授(政治学かジェンダー平等の専門家)や記者、およそ15人ほどにコメントをお願いしたのだが、誰も意見を言いたがらないのだ。

どうも、女性首相とパンデミック対策という異なる2分野が重なると、「自分は意見できる立場にない」と思うらしい。断った方々は「本当にごめんね。誰かコメントできないか、同僚にも聞いてみるね!」と人探しに協力してくれたのだが、誰も乗り気ではないようだ。

これはこれで、とても興味深い。

現地の専門家がコメントしたがらない話題

私はフリーランスのジャーナリストとして10年以上ノルウェーで仕事をしているが、北欧諸国での政府閣僚を含め、コメントをもらうことに苦労したことがほとんどない。ノルウェーは、世界の報道自由度ランキングで1位だし。「日本のメディアにコメントなんて、クール。ビッグ・イン・ジャパン!」と思っている人が多い中、誰も意見を言いたがらないなんて、今回が初めてだ。

恐らく、首相が女性だからという理由で着目する他国の姿勢に対しても、「は?」という感じなのだろう。「レベルの低い質問だと思った人もいるのだろう」と、勝手に妄想している。

というわけで、私個人の憶測しか書けないという状況に至っている。

5月28日。首都オスロのカール・ヨハン通り沿い。天気がいいから日光浴をしたいという理由もあるが、感染拡大防止対策のために、屋内ではなく外で時間を過ごせるようにと、テーブルやイスが増えた 撮影:あぶみあさき Photo:Asaki Abumi

女性が首相になれるお国柄を考えてみよう

この目線のニュースでは、タイトルが「女性リーダー」になりがちで、「1人の人間のリーダーシップ」に着目する傾向がある。

それよりも、「女性が首相になれる国というのは、どういう社会なのか?国民性は?」という考え方をしたほうがいいだろう。

明日、日本で首相が女性になったところで、コロナ対策が成功するわけではない。そんなことでパンデミック対策ができるのなら、どこの国もすぐさま実行に移すだろう。

若い人や女性が首相になれる国の特徴は?

フィンランドでは、昨年34歳の女性首相が誕生し、世界中で大きなニュースとなった。

考えてみよう。「若い人や女性でも、首相として受け入れる国民」がいる社会とは、どういう社会だろう?

どの国も、男性首相が当たり前の時代があり、男性優位の歴史をたどってきた。でも、どこかで変化が起きた。

市民の意識の変化だけでなく、市民の実際の行動、政策、労働契約、企業ルールといった広い範囲で改革が起きれば、「おじさん」以外の人が首相になりやすくなる。国会の風景も、社会の雰囲気も、がらりと変わる。

年齢や性別にとらわれずに首相を選ぶ市民で構成された社会は、過去の伝統や慣習からある程度脱却している。その過程で、柔軟性や寛容性も広がる。こうした市民の成長によって、自分たちの声を代表する議員を国会に送れるようになり、その状態でなら政府と市民が様々なレイヤーですれ違いを減らすことができる。コロナ対策での不満も減らすことができるというわけだ。

5月29日のノルウェー・首都オスロの公園。快晴を楽しむ人々。マスクはしている人はおらず、社交的距離を保ちながら新しい日常を楽しんでいる 撮影:あぶみあさき Photo:Asaki Abumi

意思決定の場は民主的で、多様性があるか?

集団免疫を目標に掲げる男性首相のスウェーデンを含め、政府と市民の連携がうまくいっている国々の共通点に、「意思決定の場に、民主的多様性があり、信頼関係が確立している」という仮説が私の中にある。

北欧各国の取材現場で、人々がいつも口にするのは「国会は市民の鏡」だ。

女性が首相になれる国では、政府、国会、政党、企業など、さまざまな社会現場にも一定数の女性がいるだろう。意思決定の場に多様性があることの大切さや民主主義の意味を、市民は理解しているだろう。国会をどのような風景にするか、本来、ひとりひとりの市民に決定権がある。

今、補助対策などを決めているのは国会に座っている人たちだ。

その決定のテーブルに座っているのはどんな人たちだろう?同質の狭い世界に生きている人ばかりになっていないだろうか?市民の生活や意識の変化に気づかない人ばかりになっていないだろうか?

今月の固定費の支払いに悩む飲食店の立場に立ったことがあるのだろうか?狭い家の中で育児とテレワークをする人の立場に立ったことがあるのだろうか?満員電車に毎日乗っているのだろうか?大学時代に生活費の支払いに困った体験をしたことがあるのだろうか?

正直、日本の国会はまだまだ同質性が高い。同じような年齢と恰好のおじさん政治家ばかりの写真を見ると、私は「気持ち悪い」と違和感を感じざるをえない。おじさんばかりの場を、北欧の人たちは決して民主的とは思わない。そのテーブルで決められるコロナ対策案は、どのようなものになるだろう?

だから、コロナ対策が本当に評価されるべきポイントは、「女性リーダー」や「女性首相」というよりも「意思決定の場に民主的多様性がある」ことだと私は思う。

アイスランドのカトリーン・ヤコブスドッティル首相=2019年12月4日、イギリス・ワットフォード、ロイター

おじさん政治家ばかりが集まったら、どういう社会になるか

北欧でも国会が男性ばかりという時代があった。でも、男性には出産をする女性の痛みや悩みはわからない。外国人労働者の悩みは本人にしかわからない。今の若者の暮らしや悩みを大人たちはわからない。だから、立場の異なる人たちが集まって意見を交わす必要がある。

政治家も全ての現状なんて分からないから、ノルウェーでは市民は組合などの団体に入り、政治家に何が足りないかを伝える。

日本でも同じように、市民の声を国会へと届けようとしてはくれているだろう。与野党がそれを聞いて政策に反映する姿勢があるかが、北欧との違いかもしれない。市民の声を与野党が聞いていないようであれば、『民主的ではない!』とメディアも市民も怒るだろうし、次の選挙でそのような政党は支持率を落とす。分かりやすく制裁がくだるのだ。日本と違い政権交代も頻繁にあるので、政党にとっても『ちゃんとしなきゃ』という危機感が常にある。

このように、市民が日常的に政治の話をし、決定の場に民主的に関わっている、つまり「自分のことを自分で決められる」社会づくりを北欧各国がしてきた結果、幸福度調査や育児がしやすい国ランキングなどでトップ常連国となった。市民が信頼できる政治体制ができていることも評価項目のひとつだ。

北欧各国が辿ってきた道の先に今たまたまあるのが、世襲政治家が少ない国会であり、おじさん以外の首相の誕生だ。そこに、新型コロナ時代がきた。

デンマークのメッテ・フレデリクセン首相 撮影:あぶみあさき Photo:Asaki Abumi

意思決定の場に市民の声は届いているか

コロナ対策と女性リーダーを関連付けて評価する記事では、まるで首相ひとりが優秀かのように彼女たちの経歴を並べるが、首相がひとりで対策を考えられるはずがない。首相の周りにいる人たち、専門家、政府、国会、医療現場、研究者、市民など、たくさんの組織や人が知識を集結してもがいている。さまざまな判断をする場が多様性を大切にし、民主的であれば、それまでとは違う政策やコミュニケーションがされているだろう。

首相のリーダーシップは重要だ。でも、その国で、市民が政治を信頼していなかったら?市民が政治と距離を置こうとしている社会だったら?政治家が専門家や苦しむ市民の意見をあまり聞こうとしていなかったら?市民のリアルな生活を政治家が体感していなければ?意思決定する人たちやその周囲が、特定の層の人たちだけで構成されていたら?

男性ばかりが座るテーブルに、女性がひとりいたとしよう。男性たちと意見が違った時、その女性の声は声をあげやすいだろうか、その声は採用されやすいだろうか?

政府や国会という意思決定の場で、民主主義や多様性が尊重されているかどうか。それが、コロナ禍の中で、垣根を超えた現場間の協力、市民同士の思いやりなどに反映しているのではないだろうか。広がり、反映しあう水たまりの波紋のようなものだ。

長くなってしまったが、このような要素が重なって、女性リーダーのコロナ対策を持ち上げるニュースになったのではないかと思う。そもそも、社会が民主主義や多様性を重視し、市民が日常的に政治に関わっていなければ、若い人や女性が首相になれるような土壌や空気はできないものだ。

日本の国会の風景やコロナ禍での不満は、市民が今まで政治と選挙にどう向き合ってきたかの結果ともいえる。

ついにコメントが届いた!

さて、この記事を書き終えている途中、なんと現地の専門家からコメントが届いた!

ラーシュ・ネール・サンド氏(Lars Nehru Sand)は、ノルウェー公共局NRKの超有名な政治記者だ。ノルウェー政治の解説といえば彼で、わかりやすい説明は政治家からも市民からも人気で信頼されている。ちなみにノルウェーの公共局は日本のNHKとは報道の仕方が異なっていて、相手が政府でも遠慮することは一切なく、おかしいと思ったら批判的 ばっさりと切り、ニュースを伝える。

「性別とコロナ対策における努力の成果に、因果関係はないと思います。私に言えることは、ソールバルグ首相の対策に効果が出ているのは、性別が関係しているからではなく、彼女が優秀な首相だからです。それに、政府の多くの対策は、厚生省や傘下の専門機関によっても決定されています」

そう、サンド氏も指摘しているが、どの国でも首相がひとりで決めているはずがない。だから女性首相の経歴を並べて、コロナ対策と女性リーダーを伝える記事に私は違和感を感じたのだろう。与党だけではなく、与野党で合意し、専門家や現場の当事者の声を聞き、民主的なテーブルで対策は決断されているのだ。

というわけで、北欧の女性首相とコロナ対策をつなげるニュースを次に見かけたら、「女性を首相として選ぶ国は、どういう社会・国民性か?」という目線で考えてみるといいかもしれない。

Photo&Text: Asaki Abumi