今や、世界中を不安に陥れている新型コロナウィルスの拡散は、震源地である中国での感染者数が減りつつあるものの、世界的な拡散の勢いは止まらず、イタリアやイランでは感染爆発が起こり、欧州全域や中東地域にも拡散しつつある。今回の感染症は過去のSARSやMERSなどと比べても感染力が強く、また未知の部分も多いためその封じ込めが難しく、多くの国で対処に苦慮している。
筆者は疫学的な知識は全くないため、その感染を巡る問題について議論することは出来ないが、今回の新型コロナウィルスに有効な治療薬やワクチンがないことから、最も有効な対処法は行動制限、すなわち外出を禁止したり、都市を封鎖するなど、個人の行動の自由を制限し、人と人の接触を最小限にすることで感染を防ぐことであると認識されている。また感染経路を明らかにするため、個人情報の開示やプライバシーの侵害など個人の人権の制約もある。個人の行動の自由や人権を制限するとなると、その実行に関わる法的な問題や行政的な問題もあぶり出されてくるため、政治学者としてもコメントする余地はあるだろう。ここでは、新型コロナウィルスの感染拡大を巡る問題を国際政治学や政治学の観点から補助線を引いてみたい。
権威主義体制の優位性?
個人の行動の自由を制限し、接触を減らすことで感染拡大を防止する場合、国家権力が容易に個人の自由を制限できる権威主義体制の方が、より効果的に対処出来るのではないかと考えがちである。しかし、新型コロナウィルスの拡大が発生したのは、他でもなく権威主義体制の代表格である中国であった。確かに、感染症の拡大が広範囲に及び、武漢をはじめとする都市を封鎖し、外出を徹底して抑制したことで、中国における感染の爆発的拡大は収まり、徐々に感染者数も減りつつある。しかし、すでに初動でミスが続いたため、多数の犠牲者と「世界の工場」を長期間稼働させなかったことで世界経済にもたらした多大なダメージを生み出した後のことであり、今回の中国の対処は後手に回った中での強権に頼ったものであった。
中国において初動でミスが続いたのは、他でもない権威主義的な体制だったからとも言える。武漢市で異常に気付いた医師が告発をしても、その情報に基づいて市や省が動くことは出来ず、何らかの措置をとるために北京政府の許可を必要としていた。権威主義体制において重要なのは上意下達の仕組みであり、また下の組織が上に反抗しないよう、縦割りを強化し、横の連携を取りにくくさせる体制を作ることである。そのため、現場の状況がわからない湖北省や北京政府は迅速に対応することなく、初動が遅れに遅れた。さらには1月上旬に武漢市で湖北省の人民代表大会が開催され、それに伴って多くの人が集まり、様々な集会や宴会が行われたが、その時は人から人に感染しないという認識でいたため、感染拡大の防止策は一切採られなかった。それ以上に権威主義体制においてはこうした公式行事をつつがなく行うことが優先され、感染症が拡大しているという事実を隠蔽しようとする意識も働いたと思われる。つまり、この感染症が拡大したのは他でもなく中国が権威主義的な体制だったからである。
また権威主義体制が人々の行動を抑制し、感染を抑え込むことが出来るというのも幻想であろう。シンガポールは経済水準は先進国並みではあるが、政治体制は権威主義的とも言えるが、それでもじわじわと感染者数が拡大している。イランは特殊な政治体制ではあるが、間違いなく国民の自由を抑圧する体制である。しかし、そのイランでも感染の爆発的な拡大が進んでいる。それぞれの国では固有の問題や理由(例えばイランは金曜礼拝などで濃厚接触が起こりやすいとか、水タバコを回し飲みするという習慣など)があると言えるが、それでも権威主義体制だからといって感染拡大の防止が効果的に行えるわけではない。さらにイランの場合、政権幹部に当たる副大統領や保健省次官などでも感染者が発生しており、国会議員でも感染による死者が出ている。革命から40年経ち、革命第一世代の指導者たちが高齢化する中で政権内部での感染拡大という状況が生まれている。
鍵になるのは「信用」
権威主義体制で封じ込めることが出来ないのであれば、民主主義体制ではより一層封じ込めは困難になるのではないだろうか。実際、イタリアなどでは人の自由な移動が感染の爆発的な拡大をもたらし、それはEU域内のシェンゲン領域(国境を越えた自由な移動が認められている地域)の中でさらに拡大し、さらにはEUを離脱したばかりでシェンゲンには参加していないイギリスでも感染者が拡大している。また、アメリカでは当初西海岸に集中していた感染者が次第に全国的に拡大しており、多くの民主主義国で新型コロナウィルスの拡散に手を焼いている。
しかし、そんな中でも新型コロナウィルス対策を積極的に行い、若干の拡散は見られるものの、効果的な対処を行っているのが台湾である(台湾の感染拡大防止策についてはこちらの記事がよくまとまっている)。台湾はかつてSARSの流行で多くの感染者を出し、その時の政府の対応が後手に回ったため、様々な問題を抱えながらSARSと闘った経験があった。現在の民進党の蔡英文総統は2003年のSARS拡大の当時、中台関係の政務を担当する行政院大陸委員会の主任委員であった(当時はまだ民進党に入党しておらず法律の専門家として任命された)。SARSの時、台湾は「一つの中国」を掲げる中国共産党政府によって世界保健機関(WHO)に入れず、国際的な対応で後手に回っていたが、蔡英文が中台関係の担当者として中国との交渉を重ね、WHOの情報へのアクセスを求めた。また、現在の副総統である陳建仁はSARS当時行政院衛生署(保健省に相当)の署長を務めており、SARS対策の最前線にいた人物である。
他にもSARS当時の政権担当者が複数政権内にいることで、感染拡大への対処のノウハウを持っていた。また、天才プログラマーとして知られるIT担当相の唐鳳が、マスクの配布を健康保険カード(国民が持つ保険証)のデータにリンクさせて希望者全員に平等に配布する仕組みや、薬局の在庫データなどをスマホのアプリで表示させるような仕組みを整え、国民の混乱と不平等感を取り除いた。
何より、台湾での対応で際立つのはリスクコミュニケーションである。毎日、感染症予防の主たる機関である疾病管制署が記者会見を開き、外交部(外務省)や教育部(文科省)などの各部局の担当者も対応し、メディアに対して積極的な対話を行っている。国民に対して期待すること、なぜ政府がこういう政策をとるのかといった内容や理由についても説明し、国民に対する情報発信を徹底している。またLINEなどのSNSを使い、国民に直接情報が伝わるような仕組みも整えている。
こうしたリスクコミュニケーションは政府に対する信頼を高め、国民の行動の自由や日々の生活における手洗いうがい、咳エチケットなどの日常的な予防行為を徹底させるには極めて有効である。蔡英文政権は本年1月の選挙で圧勝したばかりであり、そうした高揚感や国民の支持が冷めないうちに対処出来たというのも大きい。要するに、民主主義国家であっても、政治家がリーダーシップを発揮し、行政機関が感染拡大を見越して先回りした予防策を打ち出し、それをとことんまでメディアに公開してリスクコミュニケーションを図ることで、国民は政府の対策を信頼し、自ら感染拡大を予防するための措置に協力していくことになる。
言い換えれば、権威主義国家で強権的な力をふるい、強制的な都市閉鎖や感染者・非感染者を問わない行動制限を行っても、政府に対する信頼がなければ効果は期待出来ない。イラン政府は2018年のトランプ政権によるイラン核合意撤退と制裁再開によって経済的な苦境に立たされ、反政府デモが頻発していた。さらには本年1月のウクライナ国際航空機撃墜事件で多数のイラン人が亡くなっており、先日の国会議員選挙では体制に批判的な改革派や穏健派の立候補すら認めなかったと言うこともあった。このような状況で、政府に対する信頼は圧倒的に弱まっており、それがイランにおける感染拡大に一役買っていたことは間違いない。
感染を拡大する政治
一方、民主主義国家でも台湾同様、MERSの経験が豊富な韓国では、MERSの時の教訓を元に全員検査を行うことで、限られた検査能力を感染の疑いのない人にまで振り向けてしまうことになり、感染者を特定することが難しくなった。また、軽症者でも入院させることになっていたため、症状が重い感染者のための病床が足りなくなったことなど、MERSの教訓が裏目に出ているところも見られる。また、MERSの教訓から感染経路を明らかにし、感染拡大を防止するため、感染者の行動に関する情報公開も進んでいるが、新興宗教の集会に参加したことを知られたくないために、感染していてもその事実を隠してしまい、かえって感染が拡大するといったことが起きている。感染症はそれぞれ特徴が異なるため、状況に合わせて柔軟に対処しなければならないが、制度をきっちり作ってしまったことで教科書通りの対処になり、それを上書きする政治的リーダーシップも欠けていたこと、プライバシーの保護など人権よりも公衆衛生上の利得を優先したことが韓国での感染拡大をもたらしてしまったのだろう。
また、日本が韓国からの入国者に対して2週間の自宅ないしホテルでの待機を決定した際、「対抗措置」として日本からのビザなし入国を停止するなど、科学的な根拠よりも政治的な関係を優先した措置をとった。これは日本も同様で、習近平主席が国賓として来日することが予定されていたため、その延期が決定するまで中国からの入国者に対して強制的に隔離することはしなかった。日本は武漢で感染が急速に拡大した際、チャーター機を派遣した時に大量のマスクを支援物資として提供したことで、中国から感謝されたこともあり、日中関係を良好な状態に維持するため、中国に配慮したとも考えられる。
このように、感染症の拡大に対して、政治的な思惑が働くことはしばしばあり、それが対策を後手に回す結果をもたらしている。こうした政治的配慮や外交的対処は、本来感染症対策としてあってはならない。感染症対策はあくまでも科学に基づき、エビデンスを積み上げて行うものである。
ポピュリズムと感染症対策の相性の悪さ
次に、感染症対策とポピュリズムの問題についても触れておきたい。上述したように、感染症対策は科学に基づいて、エビデンスを積み上げて行うものである。しかし、ポピュリズムは科学に対して懐疑的な立場を取り、専門家を「エスタブリッシュメント」として遠ざけ、科学的なエビデンスを「フェイクニュース」と一蹴し、自らの直感に頼って問題解決を図ろうとする。
その典型がトランプ大統領であろう。アメリカは世界でも最高水準の保健医療の技術と人材が揃っており、疾病対策センター(CDC)をはじめとして、世界に名の通った機関も揃っている。にも関わらず、トランプ大統領は自らの直感を頼りに「4月になったら消えてなくなる」とか、検査キットが不十分で感染者を判断することが難しくなった時も「検査は大丈夫。素晴らしい検査が出来る」などと発言し、周囲を困惑させている。また、サンフランシスコ沖に停泊しているクルーズ船で感染が広がっている時も「下船させることでアメリカの感染者の数字が増えることは望ましくない」と、日本でのクルーズ船「ダイアモンド・プリンセス号」の経験を全く無視した対処を発表した(後にCDCが2400名の下船の方針を発表)。
このように、ポピュリスト的な政治を行っている国では、政治のリーダーシップによる感染拡大予防策どころか、政治が率先して専門家の活動を妨害し、効果的な対処が行えないだけでなく、国民に対して感染拡大を予防するための行動を取ることを政府が推奨することも難しくなる。アメリカほどの成熟した社会であれば、専門家やメディアを通じた社会への呼びかけで一定の行動制限を実現することは可能であろう。しかし、国民皆保険が実現しておらず、感染しても病院に行くことも出来ないという状態がある中で、政府がやるべきことも多い。また、政府が正確な情報発信をしないまま、SNSなどでデマが拡散し、差別的な行動や誤った対処方法が広まる恐れもある。その意味ではポピュリズム傾向の強い政治環境での感染症対策は極めて困難なものになるだろう。結果的に感染症の拡大を抑えることが出来なければポピュリズム政権に対する幻滅や失望が高まり、ポピュリスト的な政治家を支持してきた人たちからの支持も失う可能性もないわけではない。
リーダーシップも情報公開も不十分だった日本
最後に、日本の対応についてもコメントしておこう。上述したように、感染症対策には科学を積み上げてエビデンスに基づいて対策を打つのが基本であり、それに実効性を持たせるためには政治のリーダーシップ、徹底した情報公開とリスクコミュニケーションで国民から政府への信頼を得ることが重要である。しかし、日本での感染拡大、とりわけダイヤモンド・プリンセス号での感染拡大においては、政治的リーダーシップもリスクコミュニケーションも十分ではなく、国際的な注目が集まっているにもかかわらず、厚生労働省からの情報発信は極めて脆弱で、誤解を招くものであった。その後、感染が世界的に拡大したことで日本への注目は薄れたが、それでも情報発信の脆弱さや、説明能力の不足は否めず、日本の対処能力に対する疑念はつきまとったままである。
しかも、ダイヤモンド・プリンセス号への対処が遅れたことを、後から「旗国主義」を持ち出して説明したのもあまり筋の良いものではなかった。「旗国主義」とは、船舶が公海など国家の管轄権が及ぶ範囲を超えて航海するため、その船舶の中で有効な法的管轄権を持つ国を設定することである。
ダイヤモンド・プリンセス号はイギリスに船籍を置いているため、船内の統治にはイギリス法が適用されるが、それはあくまでも船内でのガバナンスに関するものである。日本の領域内である横浜に寄港し、多数の日本人が乗船している船で、日本政府が「旗国主義」を前面に出して関与する義務を持たないと主張するのは、邦人保護の観点からも、領海内での船舶の扱いにしても筋が悪い。商船の多くは「便宜置籍船」、すなわち船籍を置く費用が安い国を選んで船籍を選ぶことが多く、パナマやシエラレオネ船籍の船なども多数日本の領海内で航海しているが、それらの船で何かが起きても、ほぼ間違いなくパナマやシエラレオネは何もしない。確かに国際法上、旗国の責任や役割は曖昧なところがあり、寄港地の義務も正確に定められているわけではないが、現実問題として多数の感染者が出ている中で、義務がないから対応しないと受け取られるような議論を前面に出すべきではなかった。
ただ、ダイヤモンド・プリンセス号の乗員乗客が下船し、ひとまず対処の局面が終わると、政府は積極的な対応を取るようになった。北海道の鈴木知事が小中学校で感染者が出たことをきっかけに小中学校の一斉休校を要請し、また、その直後に「緊急事態宣言」を宣言するなど強い政治的リーダーシップを発揮したことで、北海道での行動制限が強くかかるようになり、感染症対策への意識が高まるようになった。その流れを受けて安倍首相も小中高校の一斉休校を要請し、感染症によって打撃を受けた観光業や中小企業への支援、子供の面倒を見るために休業した人に対する支援など、様々な対応を打ち出すようになった。
こうした政治的リーダーシップを発揮するようになったのは、遅かったとはいえ、何もしないよりははるかにマシであり、国際的な評価も高い。しかし、徹底した情報公開やリスクコミュニケーション、またエビデンスに基づく政策を実施できているか、といわれると心許ない。北海道の事例は、実際に小中学生に感染者が出たことで一定の正当性があると受け止められているが、全国でそれを行うことの意味や理由を明確にせず、首相が「専門家の意見ではないが」「私の責任で判断した」と説明するように、エビデンスのないまま決行した。リスクコミュニケーションの観点からしても、こうした「思いつき」や「直感」による政策はポピュリストのそれに近い。
政治的リーダーシップはただむやみに発揮すれば良いと言うものではない。